「分かった、分かったから! ……冬で助かったわ。コートの袖口まで来れるわね?」
コートの内側から袖口まで伝い、レイカルが千円札を入れると、券売機が吸い込む。
「うおっ……! 何だこれ……これを……どうするんだ?」
「行きたいところまでの運賃を買うのよ。えーっと……ちょうど九百円――」
「私が買う!」
袖口に噛み付いたレイカルに小夜は思わず大声を発する。
「……あんたねぇ……。分かったから! そこの、九百のところを押しなさいよ。数は分かるわよね?」
「もちろんだ! これだろ?」
「よし……とりあえず切符の購入はクリア……」
切符をレイカルは拾い上げ、それから不思議そうににおいを嗅ぐ。
「……何だか変なにおいだな、これ。旨いのか?」
「こらこら。しゃぶるな、しゃぶるな。……ったく、これを改札に通すのよ」
改札に通すとしゃっと切符が吸い込まれ、そして取り出し口に出る。
「……おぉー……これが電車……」
「レイカル、まだ電車はこれからよ。えーっと……十分ほど待てば来るわね」
「……十分待てば? おかしいな、創主様はいつも三分待てば、できるって言うんだが……」
「それはカップ麺の話でしょ。……作木君の食生活は相変わらず心配ね……」
とは言え、車両が滑り込んで来れば後は乗って到着を待つだけ――そう思い込んでいた迂闊さを、直後に小夜は呪う。
「割佐美雷! すごいぞ、こんなに速いのか! “いい日旅立ち”って言うのは!」
「……少しは静かになさい。あと、快速だから速いんじゃないの?」
「カイソク……よく分からんが、速いんだな!」
レイカルは鞄のジッパーを持ち上げて外の景色に魅了されている。
別段、珍しい冬の始まりの光景とも思えないのだが、レイカルは目を輝かせていた。
「……ねぇ、カリクム。そんなに電車って物珍しい?」
「私はそうは思わないけれど、レイカルは馬鹿だからなー。そういうのもあるんじゃない?」
「カリクム! あそこのほうに鉄塔が見えるぞ! すごいな、電車ってのは……!」
「……何だか小学校の時を思い出すわねぇ。覚えてる? 小夜、あの時、家出するって言って」
ナナ子は隣の席にちょこんと座って使い捨てカイロを揉んでいる。
「……そんなこともあったわね。まだママが生きていた頃の話で……でも喧嘩したのはパパじゃなくってママだったかな。すごく……些細なことで……」
今にして思えば、怒るような出来事でもなかったのかもしれない。
それでも、当時の自分には一大事だったのだ。
「……それで、電車に乗って遠くに行きたい、って……。私たちも子供だったわよね。お小遣いなんて千円あればいいほうなのに、どこまでも遠くに行こうとしたっけ」
ナナ子との思い出は一言では言い表せない。
それでも、彼女はゆったりとした口調で回顧していた。
「……結局、私が居ないって言うんで、パパが大慌て。それで隣町の駅で捕まったんだっけ?」
何だか今でも距離感は変わらないな、と思い返す。
「子供の行って帰って来られる距離なんてたかが知れてるし、知っている世界の範囲はとても狭かったけれど……それでも小夜とああして、プチ小旅行を味わえたのはよかったわよ。あれこそ“いい日旅立ち”ね」
苦い思い出の一つであるはずなのに、今は何故なのだか掛け替えのない記憶だ。
ナナ子とはそう言えばそれがきっかけで親友になったのだったか。
「……何がきっかけかなんて分からないものよね……」
「そうね。私もオリハルコンなんてものに関わるとは思わなかったし、それは小夜もでしょ? こうして……あの日に夕焼けの向こうに行こうとしていた時と同じ。隣り合った席で、座って」
そう、言葉少なに。
それでいて、数多の言葉よりも、誓い合った絆を感じ取って。
「……ねぇ、ナナ子。私の友達を、まだ続けてくれてるのって……それは……」
「小夜も馬鹿ね。……感傷一つに気を取られて、大切なことに目が向いていないじゃないの。私たちはどれだけ時が経っても、この関係性は変わんないでしょ?」
人生の中で誰かと出会い、誰かと交友関係を築くかも一つの旅路だ。
それもある種の“いい日旅立ち”――長い旅路は続く。
車掌のアナウンスが響き、もうすぐ到着を予告する。
「……帰りは……二人で話すことも多くなりそうね」
レイカルは飽きたのか、それとも心地よい揺れのせいか、鼻ちょうちんを作って眠りこけている。
カリクムが肩を竦めていた。
「レイカルの奴、結局こうなんだもんなー」
「……まぁ、でもいいじゃない。親友とこうして、久しぶりの旅路に感謝できるんだもの」
到着駅で冬の寒さが身に染みてくる。
この季節には、お互いの熱が恋しくなる。
ひと肌を求めて、それで益体もない話をいつまでも続けるのだろう。
――ならば、帰路には語り尽くせない思い出話を。
それが自分なりの“いい日旅立ち”なのだから。