JINKI 243 プリンセス・メルJ


「それはそうだけれど……いいんじゃないの? あんたがきっかけになるってのはさ」
 どこか得心が行ったようにウインクする南に、メルJは当惑していた。
「……別に、私だって物に気を遣っていないわけじゃないんだ。それを……こうして言われてしまうと……」
「南! これ! すっごく機能美に溢れてて、ボク魅力的だと思うなー」
 濁した先をエルニィが差し出したもので遮る。
 それは、一組の登山靴であった。
「……あのねー、エルニィ。あんた、機能性を重視し過ぎよ。そんな色気の欠片もないのがいいって言うの?」
「だってー、メルJの見せてくれたの、あまりにも機能性とか度外視し過ぎじゃん」
 文句を垂れるエルニィに、今度はルイが別の靴を差し出す。
「馬鹿ね、自称天才。本当の機能美ってのは速く走れることを言うのよ」
 ルイが選択したのはマラソンシューズであった。
「あっ、ルイさん……。けれど、それだと、その……学校の規定で……」
 さつきの手にしたのは学校指定のローファーでメルJは頭痛の種に参ってしまう。
「……何で、こうなったのだったか……」

「――あれ? ヴァネットさん。荷物来てますよ?」
 玄関先に出て速達を受け取った赤緒が小首を傾げているのを、メルJは発見して首肯する。
「ああ、届いたみたいだな」
「届いた? じゃあ、本当にヴァネットさんの? 立花さんのいつものPCパーツじゃなく……?」
「ああ、事務所から明日には柊神社に送っておくとの連絡があったんだ」
 メルJの言う事務所と言うのは、ついこの間所属を決めたモデル事務所のことだろう。
 と言うことは、と赤緒は宛先を凝視する。
「……これ、お高い何かですか?」
 箱はそれほどの大きさではなく、ちょこんと両手に持てる程度でしかない。
 しかし、本職のモデルが使う何かであったのならば、自分のような素人が持っていてはまずいのではないか。
 考えが及ぶ前に、メルJは箱をすっと持ち上げていた。
「うん、思ったよりも軽いな」
「それ、何なんです? 危ないものとかじゃ……」
「割れ物注意とはなっているが、まぁ、素材はプラスチックだとは聞いている」
 メルJが玄関先で箱を開く。
 中に納まっていたのは――。
「……ガラスの靴……ですよね、これ」
「そのレプリカだな。童話に登場するようなイメージの靴を用意するとのことだったから、本物のガラス細工ではない。そもそも、ガラスの靴の一点ものなんてなかなか用意もできないだろう。何なら触ってみるか?」
 メルJがガラスの靴を差し出す。
 おっかなびっくりに触れると、確かにガラスにしては伸びやかな素材で作られているのが窺える。
「……プラスチック……ですか?」
「柔軟性がないと、靴擦れでせっかくの足を傷つけてしまうと意味がないからな。事務所もそこのところは気を付けてくれているらしいが、今回は透けて見える靴だと言うことで事前に履いてみて欲しいとのお達しだ」
 メルJが玄関先に靴を置くと、自分の愛用しているローファーに比べると少し大きいのが分かる。
「……ヴァネットさん、足大きいんですね……」
「……何だ、見るな、あまり……。足が大きくていいことなんてあまりない。そうでなくとも、女物は小さめの設計が多いからな」
 メルJなりに少し照れているのが察せられて、赤緒は意外な一面を発見する。
「……けれど、ガラスの靴なんてメルヘンの世界でしか見ることないと思っていましたよ」
「私だってそうだ。だが、案外、メルヘンとは身近なのかもしれん。まさか、私がガラスの靴を履く羽目になるとはな」
「もう、羽目って。いいことじゃないですか。だって全女子の憧れですよ! ガラスの靴!」
 思わず語尾が上がってしまうと、メルJは大慌てで唇の前で指を立てる。
「ば、馬鹿……! あまり大きな声を出すと……!」
「なになにー! 赤緒ー! 何か面白いことやってない?」
 居間から飛び出してきたエルニィに、迂闊だった自分を呪う前に、彼女は駆け寄ってくる。
 メルJは、これだから、とでも言うように頭を抱えていた。
「……あ、すいません……」
「いや、いい……。どうせ、遠からずバレただろう……」
「えーっ! 何それ! ガラスの靴じゃん! ……誰が履くの?」
 こちらへと視線が振られ、赤緒が頭を振る。
 メルJが居心地の悪そうにエルニィへと頬を紅潮させて言い返していた。
「……私で悪いか」
「わ、悪かないけれどさ。えーっ? 何で?」
「……副業で使うんだ。別にいいだろう」
 言葉少ななのはエルニィに勘繰られたくない、メルJなりの乙女心があったはずだが、その身振りを面白そうにエルニィは観察する。
「……へぇー、そういうのも。ねぇー! ルイー! さーつきっ! こっち来てみなよー!」
 ルイとさつきを呼び寄せたエルニィは、恐らく全員でからかってやろうと言う心持ちだったのだろう。
 ガラスの靴を携えて硬直するメルJの下に、ルイとさつきが駆け寄ってくる。
「どうしたんです? ……あれ? ヴァネットさん、それ。ガラスの靴ですか?」
「何よ。メルJみたいな人間らしからぬ代物じゃない」
「これ、メルJが履くんだってさー」
 分かっていて、エルニィは二人の興味を引こうとしているのだな、と言うのは赤緒にも窺えたが、ルイとさつきの好奇の眼差しにメルJは立ち尽くすばかりである。
「わぁ……っ! すごいですね! ヴァネットさん! 全女子の憧れですよ! シンデレラのガラスの靴!」
 自分と似たような反応をするさつきに比して、ルイは冷静である。
「さつきってば、子供ね。ガラスの靴なんて実際にあったって履きたいなんて思うわけないでしょ」
「で、でもですよ? これってモデルの仕事で履くんですよね?」
「あ、ああ……まぁ、仕事道具みたいなものだな……」
 さつき相手には強く出られないのか、愛想笑いで済ませようとしたメルJに、ルイが目聡く察知する。
「……何よ、それ。私は、そんなの、一生要らないわよ。仕事道具は人機とアルファーで充分でしょう」
「そうは言いますけれど、ルイさん。ガラスの靴って私、一度でいいから履きたかったんです!」
「……そりゃあ、さつきはお似合いでしょうけれど、私はパス。そもそも、何でガラスの靴なの? シンデレラってその辺のディテールが甘いのよね。ガラスの靴なんて履いたら靴擦れで血まみれよ」
 相変わらず夢のないことを言う、と思っていると、さつきがこわごわとガラスの靴へと手を伸ばす。
「その……触ってもいいですか?」
「聞きなさいよ。さつきのクセに、生意気……」
「あ、ああ……別に構わんが……」
 メルJの許可を得て、さつきが憧れたっぷりにガラスの靴へと触れると、感触で純正のガラスでないことが分かった様子であった。
「あれ? ……プニプニしてますよ?」
「……まぁ、先に黄坂ルイが言った通り、本物のガラスだと不都合らしいからな。プラスチック製なんだ」
「そ、そうですか……。ですよね、本物のガラスの靴なんて……そうそう……」
 目に見えてしょげたさつきに、メルJは何とか取り成そうと言葉を紡ぐ。
「だ、だがもしかすると……撮影の時には、一回くらい履くことになるかもしれんな……。分からんが……」
「えっ……やっぱり、モデルの世界にはガラスの靴があるんですか?」
 目を輝かせるさつきに、メルJは言い辛そうに視線を逸らす。
「……まぁ、あるかもしれん……多分……」
「メルJさー、本物のガラスの靴を履くとして、その足のサイズじゃちょっと厳しくない? ボクらの中でも大きいほうじゃん」
 エルニィは、と言えば、玄関先に置いてあるメルJの靴を計測している。
「あっ、コラ勝手に……」
「二十六センチ……あるかないか? って言うか、これ、本革で靴底は鉄製の靴だよね? 何でこんな重々しいの履いてるのさ」
 エルニィにメルJの普段の靴を差し出されて、赤緒が手に取るとその想定外の重さに驚愕する。
「……重っ……い、ですね、これ……それに、頑丈ですし」
「空戦人機のペダルを踏むんだ。……軽い靴ではすっぽ抜けてしまう」
 そう言えば、メルJが操るのは《シュナイガートウジャ》をはじめとする空戦人機。
 確かに、ただの靴では心もとないのだろう。
「それにしたって……色気のない靴だね、これ。そんなメルJがガラスの靴を履くの?」
「……うっ……わ、悪いか? これも仕事なんだ」
 しかし手痛いところを突かれた様子で、メルJは言葉に詰まっていた。
「あの……立花さん。あまりヴァネットさんを刺激しないほうが……」
「でも、ガラスの靴だよ? これとは正反対じゃんか」
 確かに言われてしまえば、メルJの本革の靴は戦闘用に研ぎ澄まされており、ガラスの靴のようなメルヘンにはそぐわない。
「……だったら、何なんだ」
 少し苛立っているのが赤緒には察知できたが、さつきは興味深そうにガラスの靴を覗き込む。
「……すごく精巧ですね、これ。いいなぁ……」
 さつきのような少女にはガラスの靴は似つかわしいのだろうが、仕事で履くのはメルJなのだ。
「……あの、さつきちゃんにルイさんも、その辺でやめておいたほうが……」
 おずおずと口にした赤緒は、こちらの騒ぎを聞きつけてやってきた南を視野に入れていた。
「何よー、あんたたち。玄関でがやがやと……あれ? メルJ、何なのよ、それ」
 面倒なことになってきた、と思う間にルイが指差す。
「ガラスの靴よ。メルJ専用の」
「いやいや、あんたそれ、メルヘンから飛び出して来たのかって言う……。って、あれ? もしかしてマジだった?」
 羞恥心で耳まで真っ赤になったメルJへと南は何か適当な言葉を投げようとして、困惑し切ったように言葉を彷徨わせる。
「えーっと……そ、そうだ! みんな、今って時間ある? せっかくだし、靴でも買いに行きましょう!」
「靴って……普通のお店にガラスの靴なんて置いてないでしょ。南ってば、急に何を言い出すんだか」
 エルニィの言葉に、まぁまぁ、と南は取り成す。
「東京って言ったってまだまだ広いんだし……私たちが知らないだけでそういう専門店とかあるかもしれないじゃないの。よし! 決めた! 今日は靴探しに行きましょう! 車は私が運転するわね!」
 この場を無理やりにでも納めるのには、恐らくその方法しか思い浮かばなかったのだろう。
 南の少し苦しい着地点を感じながらも、赤緒はメルJへとそっと声をかけていた。
「そ、その……ヴァネットさん……。嫌なら無茶をしなくっても……」
「い、いや、別にそれは……いいんだがな。黄坂南なりに気を回してくれているのは窺えるし、ここでワガママを言うものでもないのだろう」
「け、けれど、ヴァネットさんは立派にその……モデルの職業をやられているわけで……。何だかからかっているみたいじゃないですか」
「……まぁ、からかわれてはいるのだろうが……。こういうこともこれから先、二度や三度でもない。慣れておかなければな」
 そう言いながらもメルJは少し無理をしているように映った。
「じゃあ、南の奢りねー! 久しぶりにボクも靴、買っちゃおっかなー!」
 既にガラスの靴よりも自分の靴に興味が向いているらしいエルニィの奔放さに呆れつつ、赤緒は少しだけ懸念を浮かべる。
「……本当に大丈夫なのかな……?」

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