「あんた、また怪我でもしたの? って、オリハルコンはいちいち包帯なんて巻かないか。それで治りが早くなるわけでもないでしょうに。……ってなると、えーっと……」
困惑するこちらを他所に、レイカルはアイパッチを装着する。
「ふふっ……怖いだろう……」
「えーっと……目の病気とか?」
探り探りの小夜に比して、ナナ子は一発で言い当てていた。
「あっ、レイカルもしかして……それって中二病……」
「分かるか、ナナ子……。ふふっ、怖いか?」
何だか潜めたように笑うのは平時のレイカルを知っていれば奇妙にしか映らず、小夜は戸惑いの声を上げる。
「ねぇ、どういうことよ。作木君、居るんでしょ?」
「創主様なら奥の間だ。……ふふっ、怖いだろう……」
「あんた、それしかボキャブラリーないの? ……ってか、こういうのは作木君よね? えーっと、奥にって」
「……王手」
「うーん、待ったできるかい?」
当の作木は削里と将棋盤を挟んで向かい合っている。
「……何をやっているのよ、作木君も削里さんも」
「あっ、小夜さん。その……実は冬の間の作業は辛いって言うんで、ちょっと削里さんのお店にお邪魔していて……」
「それは前も言ったでしょ? ……レイカルが変なのよ」
囁いた自分に作木も心得たように応じていた。
「ああ、ちょっと……最近、色んな番組がやってるじゃないですか。その、パソコンでも観れるのもあって」
「あー、そういえば作木君、次のフィギュアの資料にって言うんで、サブスクの配信番組観てるんだっけ? どうなの? 作業工程は」
「それなりに物にはなってきたんですけれど……」
作業途中のフィギュアのポーズはつい先ほどレイカルがやっていたのと同じく、アイパッチを身に着け、そして腕には何故なのだか包帯を巻いている。
黒いコートをはためかせて躍動感のあるポーズに仕上げているのはさすが作木だったが、何だか妙な符合に嫌な予感が脳裏を掠める。
「……ねぇ、もしかしてだけれど、これって何かのアニメのキャラ?」
「鋭いですね。最近流行りらしいんで、僕も一気観したところで」
ふわぁ、と欠伸をかみ殺したところでまた無茶をしているのだろうと言うのは察知できる。
「……作木君、仕事があるのはいいけれど、徹夜とかは感心しないわよ」
「ああ、それなら大丈夫。さっきまで寝ていたところらしいからね。部屋も貸しているんだ」
パチン、と駒を打った削里に怪訝そうな視線を向けた小夜は、再び向かい合った作木へと声をかけていた。
「……危ないこととかじゃ……」
「ああ、大丈夫なんです。部屋が余ってるって言うんで、じゃあって冬の間はお邪魔してもいいとのことでして。ヒヒイロも了承済みですし」
「小夜殿。レイカルの様子に関して聞きたいことがあるのでは?」
テレビを観ていたヒヒイロの声に、そうと指差す。
「あれ……何なの? えーっと、このフィギュアの子によく似ていたけれど……」
「それが……えーっと、僕は成ったことないんですけれど、中二病みたいで……」
「それ、私もよく分かんないのよねぇ……。反抗期はあったみたいだけれど、それは患ったことはなくって……」
「あら、小夜。こういう特撮だとか男の子向けの作品に携わるんなら中二病は必須科目よ?」
ナナ子も奥座敷に来れば自然と手狭になってくる。
小夜は追及の眼差しを作木に送っていた。
「説明、してちょうだいよ、作木君」
「……とは言いましても……。あ、仕事を引き受けたこの作品のメインヒロインが、そうですね、ちょうど……」
話の途中でレイカルの高笑いが聞こえてくる。
不意打ちだったので小夜はびくついてしまっていた。
「……あんな感じで……」
作木の説明に、つまるところ、と小夜は咀嚼する。
「仕事で引き受けていた作品のキャラに、レイカルは感化されちゃったって?」
「……みたいです。元々、憧れみたいなのはあったんですかね? 僕はよく分かんないんですけれど」
作木は黒コートのメインヒロインを傾け、その造形を仔細に観察する。
「……あのコートは?」
「あっ、余った黒い布にワイヤーを通してありまして。何となくの形を再現しようかなって思いまして」
「……何だってそんな風になっちゃったのよ。第一、私、その中二って言うの、男の子だけがなるものだと思っていたんだけれど」
「あら? 小夜ともあろう者が見識が古いわねぇ。今は女の子だって中二病には成っちゃうのよ? 作品がたくさん溢れているからね」
「……ナナ子はそんなことなかったでしょ? あんたは……中学時分って言えば……」
思い出すに、ナナ子の姿かたちが大きく変わった時期が思い浮かばず、どうしてなのだか今のナナ子の姿が連続的に脳内に浮かぶ。
「……まぁ、私もなかったわけじゃないかな、中二病ってのは。あそこまであからさまじゃなかったけれどね」
「ナナ子も? ……えーっと、この場でよく分かってないの、私だけ?」
「……みたいですね。あっ、これで王手です」
「……ちょっと待ってくれ。ああ、続けて」
将棋初心者のはずの作木が一手打っただけで待ったを連発する削里にはどれほど適性がないのだろうと懸念しつつも、小夜は話を促す。
「……そういえば、中二病っぽいキャラって、芸能界にもたまに居るけれど……」
「小夜はそういう子とかどう対応するの? たまには一緒の現場もあるでしょ?」
小夜は言おうか迷ったが、正直に告げていた。
「……そういう子ってのは……何て言うの? ビジネス中二病って言うか、あくまでもキャラ付けとしてのそういうのであって……裏じゃすっごい丁寧だったりするのよね」
実際、顔を合わせてきたタレントたちは、そのほとんどが実際に大衆からイメージされているキャラとはブレがあるのは当たり前で、業界入りしたばかりの小夜は戸惑ったものだ。
「……何だか聞いちゃいけないこと聞いた?」
「まぁ、吹聴しないならいいんだけれど。多分、公然の秘密って奴なんだろうし……」
とは言え、と小夜はのれんの隙間からレイカルの様子を覗き込む。
レイカルはカリクムとラクレス、それにウリカル相手に完全にキャラになり切っている感じだ。
「ふふっ……右手が疼く……」
「……あんた、さっき左手って言ってなかった? あと、包帯の巻き方、逆よ?」
「カリクム、ふふっ……。細かいことは気にするな……」
「……ねぇ、ラクレス。何か言ってやりなさいよ、レイカルに。色々勘違いしているように映るけれど」
「あらぁ、カリクム。こんなに面白いことになってるのに、野暮なことは言うものじゃないわよぉ」
どうやらラクレスは確信犯のようで、分かって放置しているらしい。
「れ、レイカルさん……すごい! 大人っぽいです……!」
「そうだろう……これが闇の力……」
ウリカルはウリカルで、中二病と言う概念を知らないのか、素直に憧れているようだ。
「……ねぇ。何だか知り合いが笑いものになっているようなむず痒さを感じるんだけれど……」
「ぞわぞわ、ってするのよね。中二病って傍から見ると……」
とは言え、ナナ子はある程度の理解はあるらしい。
作木も、自分に覚えはないものの一応のところは応援しているようだ。
この場で浮いているのは自分だけだろう。
「……中二病って、私、そんな暇なかったし。よく分かんないまま成長しちゃったのよねぇ」
「何なら今から患ってみる? ほら、ちょうど包帯と眼帯くらいならあるし」
ナナ子が愛用しているスーツケースから澱みなく包帯と眼帯を取り出す。
「……何であんたはそんなのを持ち歩いてるのよ……。でも、そうねぇ。レイカルの気持ちになってみないと、こういうのって絶対分かんないのよねぇ」
「じゃあ、いっそのこと、今日のコーディネートから変えてみましょうよ。小夜って一応はモデル体型だから、多分黒は似合うわよ」
ぱぱっとスーツケースから黒コートを取り出したナナ子に怪訝そうにしていると、作木の視線に気づく。
「……作木君……」
「あっ、すいません……。着替えですよね」
「いや、誰も中二ファッションになるとは言ってないけれど……でもそうねぇ。こういうのってゴスロリ? だっけ。そう言うんじゃなかったの?」
「ゴシックロリータと中二病ファッションは似て非なるものと言えるでしょう。ある一面では同一視する向きもあるようですが、それぞれが独立した進化をしているようです」
ヒヒイロは雑誌に視線を落として言いやる。
「……何で私以外はみんな詳しいのよ……。って言うか、さすがにそんなのがちょうどあるわけが……」
「あるわよ? ナナ子スーツケースの財宝を舐めなさんな! ミサイルからブラジャーまで取り揃えているんだから!」
すっと差し出された中二系の黒服に、何故あるのかと言うのは最早愚問であろう。
「……ええ……じゃあ今から中二ファッション? ……大丈夫なの? その……年齢的には無理があるわよ?」
「小夜ってば芸能界に居るのに遅れてるわねぇ。世の中にはいつまでも自称十四歳なんていくらでも居るのよ?」
ナナ子がそう言うのならばその通りなのだろうが、今回の主旨は違うはずだ。
「……ってか、いいの? 作木君として見れば、レイカルが中二にかぶれて……」
「……うーん、これもまた勉強かなって思ってるんですよね。ほら、まだ全然ですけれど、レイカルも成長しているわけで。その途中に絶対に無視できないものだってあるはずですし」
「……とは言え、ねぇ……。中二なんて患わないほうがいいんじゃないの?」
「まぁまぁ。今日は一段と冷えるし、さっさと着替えちゃいましょう。削里さん、奥の部屋借りますよー」
削里は将棋盤に視線を落としたまま、片手を上げて応じる。
「……大丈夫なのかしら?」
「――思った以上の出来になったわねぇ」
ナナ子が会心の出来の笑みを浮かべる。
小夜は半分ほど不安に苛まれたまま、動きにくい服装で一回転する。
「……黒服なのもそうなんだけれど……片目を隠す意味は?」
「小夜。邪気眼よ。これは心得ておかないと」
ナナ子は威厳たっぷりにポーズを行う。
「……そのポーズ決まってるの? レイカルもそれだったけれど」
「中二病の決めポーズなのよ。ほら、小夜。せっかくピッタリなんだし、作木君にもお披露目したら?」
「……けれど、これって恥ずかしいことなんじゃないの?」
「小夜っ! 駄目よ! そんな風に思っちゃ! これは一種のファッション……いいえ、文化遺産なんだから! もっと誇らないと!」
どう見ても文化遺産とは思えず、小夜はうろたえながら作木たちの前に躍り出る。
――身に纏っているのは黒いジャケットで、下に着込んだ少しタイト気味な白装束に黒ネクタイ。さらにワンポイントとしての金色の装飾。
何をイメージしているのかはよく分からないままだったが、作木はこちらを見るなり感嘆した様子だ。
「……えっと……」
「や、やっぱ変でしょ、これ……」
「いや、小夜さん、スマートですから、よく似合うなぁ、って……」
「作木君も背は高いじゃないの。……って、別にこれは褒めたわけじゃ……」
「おっ、中二病にツンデレか。いやぁ、一晩に見るにしては贅沢だなぁ」
削里の言葉に小夜は羞恥心で顔が真っ赤になってしまう。
「……さ、さすがにツンデレは知ってるんですけれど……。ってか、そんなんじゃないんですからっ!」
「小夜。言えば言うほどツンデレに成ってるわよ」
「成ってない!」
ツッコんだところでレイカルがこちらを発見して笑顔を浮かべる。
「割佐美雷! 何だそれ……すごい、カッコいいぞ!」
いつもの調子に完全に戻ったレイカルがこちらのファッションを凝視する。
「べ、別にいいもんじゃないわよ……って、あー! これもツンデレじゃないの!」
「泥沼って奴よね。そう振る舞うつもりがないのに、成っちゃうって言う……まぁ、板についてるってことじゃないの?」
「嬉しくない!」
レイカルだけに留まらず、カリクムまでこちらへと歩み寄って、それからふぅんと訳知り顔になる。
「……小夜にしちゃ、いいセンスじゃないの」
「……何で上から目線……って言うか、これがセンスいいってあんた……」
そこでカリクムのイメージカラーを思い返す。
「……そうだ、あんた、ちょうど真っ黒じゃないの。私よか、カリクムをコーディネートしたほうが手っ取り早かったんじゃ?」
「私はツンデレじゃないわよ?」
「……そう言い出すとよりツンデレに見えるって言う……。はぁー、これまでこういうキャラ付けってちょっと楽してるなぁってイメージだったんだけれど、こういうのを売りにするのはそれはそれで大変そうねぇ」
「ま、どの業界も楽じゃないのは事実でしょうねぇ。ねぇ、レイカル。こういうのに憧れたりするんじゃないの?」
ナナ子の言葉にレイカルはうーんと渋面を浮かべていた。
「……何だか傍から見ると随分と妙なカッコだな。割佐美雷、そういうの流行ってるのか?」
「さっきまでのあんたに同じ言葉言ってやろうか……?」
腕を組んでレイカルは黒コートをウリカルに着させる。
「……何だか、ちょっと飽きちゃったな。ウリカル、これ着てもいいぞ」
「えっ、いいんですか……! ありがとうございますっ! 大事にしますね!」
「創主様の特製だからなー」
「あら? もうやめちゃうの、レイカル。もうちょっと楽しみ……いいえ、似合っていたのに」
「欲望出てるぞ、ラクレス……」
レイカルは思案するようにしてアイパッチを外し、それから包帯を解いていく。
「戦闘力があるように見えたんだがなぁ。何だか割佐美雷がやってるのみたら、ちょっと満足したみたいだ」
唖然としているとナナ子が肩に手を置く。
「まぁ、身内が中二病やってるのみると、一周回って冷静に成っちゃうわよねぇ。よかったじゃない、小夜。貢献ご苦労さま」
「う、嬉しくないー……」