「おう、それには……そうだな。お前を含めたアンヘルの操主の力が不可欠だ。お前も頼りにしてるんだからよ」
「私も……? それって……」
「――って言っていたのが、まさかこんなことだとは思いも寄らなかったって言うか……」
両方の陣営がそれぞれ、紅白のカラーリングを与えられた《ナナツーマジロ》に乗り込んで綱を引く。
「柊、気ぃ引き締めろ。相手と自分の出力はほぼ同じだ。あとは……そうだな、操縦技術だとか運が絡んでくるんだろうぜ」
「でも……《ナナツーマジロ》同士で綱引きに、それに……」
赤緒は薄いキャノピー型のコックピットから訓練場を貸し切って玉入れを競っている別の《ナナツーマジロ》二機を視野に入れていた。
紅白に分かれ、自衛隊員が応援の声を飛ばす。
『よぉーし! ルイ! 負けないわよ!』
『馬鹿ね、こっちだってずっとずぼらな南よりかは実力じゃ上なんだから。下操主、遅れないでよね』
『あ、えっとその……』
『返事』
『は、はいっ……』
三号機には上操主はメルJが、下操主は南が務めている。
四号機は上操主をルイ、下操主には月子が担っていた。
互いに地面に転がった大玉を投擲し、より多く自陣の玉を入れたほうが勝利――それはまさに。
「……運動会……ですよね? これ」
「まぁな。っと……やるじゃねぇの、整備班のクセに……! 柊、ちゃんと引っ張れ! さつきのほうが上手ぇぞ!」
『整備班のクセにってのは、言われる義理はねぇな! オレだって、お前に負けないくらいは操主としての歴はあるんだよ!』
『うんとこしょ……どっこいしょ……』
さつきとシールの駆る《ナナツーマジロ》は綱を引く力を緩めることはない。
赤緒は必死に食い下がろうとするが、天性の操主センスはさつきがずば抜けている。
そのまま引っ張り込まれ、赤緒と両兵の《ナナツーマジロ》は前面に転倒してしまっていた。
綱が中央を超えたので審判のエルニィが判断を下す。
『勝者! 白組っ! さつきとシール!』
『よっしゃ! ほら、さつき。もっと喜べよ!』
『わっ……ええっと……わ、わーい……』
『何だよ。ノリ悪ぃぞ』
『あ……すいません……』
「ちょっと待てって! 今のは一瞬だったろ?」
『両兵ー? 敗者がそう言う風なのは潔くないんじゃないのー?』
「……ちっ。次だ、次……」
下操主を担当する両兵が無理やり機体を叩き起こし、赤緒は目を回して翻弄される。
「つ、次って……」
『今度は徒競走! 言っておくけれど、《ナナツーマジロ》の性能に差はないから、純粋に下操主との呼吸が重要になって来るね。あっ、赤緒ー。使えるからってファントムはなしねー』
「そ、そんなズルはしませんってば……」
『へっ、赤緒相手なら別にファントムくらい、ハンデってもんだぜ?』
「言ってくれるじゃねぇの、メカニックくずれが」
何故なのだか一触即発状態で火花を散らす両兵とシールに、赤緒とさつきは振り回されている形だ。
『そ、その……赤緒さん。フェアプレイで行きましょう……』
「あ、うん……。ファントムを使おうにも、この機体じゃ使った途中で分解しちゃうし……。もうっ、小河原さんは何で相手を挑発するんですかぁ!」
「あン? そりゃあ、お前、本気でやらねぇとこういうのはつまらんだろうが」
「ほ、本気って……だってこれは、性能試験を兼ねてるんですよ」
「だからだろうが。本気で振り回さなくっちゃ人機は真の力なんぞ発揮しちゃくれん。実戦ならなおのことだ。それを……他でもなく、お前が言い出したんだろ? どうにかして、今の戦力を拡充したいってのは」
「い、言いましたけれど、人機の運動会でどうにかなるんですか?」
「なに、基本は人間の動作を呼びこみゃぁいい。それに関してで言えば、運動会ってのは打ってつけさ。走る、跳ぶ、力比べ……何でも揃ってるからな。それに、実戦じゃ肩肘張るようなタマのお前やさつきも、運動会ってお膳立てすりゃ少しは実力出しやすくなるだろ」
まさか、そこまで考えて、と一瞬だけ気を取られた赤緒は直後のスターターの音に出遅れていた。
さつきとシールの《ナナツーマジロ》が駆け抜ける。
『おっ先ー!』
「あっ……柊、てめぇのせいで出遅れたろうが! 待ちやがれ!」
「わわっ……小河原さん! もうっ、下操主が先に行こうとしたって、上と呼吸を合わせないと……」
普段の血続トレースシステムではない人機は完全なマニュアルだ。
平時の数倍の予備動作や、技量が必須になってくる。
そうでなくとも、《ナナツーマジロ》はほとんどよちよち歩きの赤ん坊に等しい。
動作の最適解を組み込まれていない分、《モリビト2号》とはわけが違う。
「って、おい! 柊! 上、遅れてンぞ! 姿勢制御が成ってねぇと……っと、うおっ……!」
「わっ……ちょ、ちょっと……!」
バランスを崩した機体が持ち上がり、直後には《ナナツーマジロ》が砂埃を上げて仰向けに転んでいた。
『へっへへ! そんななまっちょろい操縦で勝てるかよ! さつき、このまま独走だ!』
『ちょっ……シールさん、タイミング早いですよ……!』
『何だって……って、おいおい……!』
直後には前方を駆け抜けていたさつきとシールの《ナナツーマジロ》が前のめりに転がる。
『さぁ! 張った張った! 紅組と白組、勝つのはどっちだと思う?』
審判役のエルニィはと言えば、自衛官相手に賭博行為を公然と働いていた。
「……も、もうっ……こんなので……人機が上手く動いてくれるのかなぁ……」
――砂まみれになった《ナナツーマジロ》が斜陽を背に佇んでいる。
紅組白組、どちらの機体も擦り切れ、今日だけの運用だったのに傷だらけだ。
『えーっと……今、得点が出たよー。勝ったのは……えっ? 何? そんなのあるの?』
「どうしたのよぅ、エルニィ。言っておくけれど、筋肉痛すっごい……」
「南ってば、ババくさいわね」
南が肩を回しているのをルイが指摘する。
隣り合った赤緒はさつきと視線を交わしていた。
「泥だらけになっちゃいましたね……」
「何だか本物の運動会の後みたい……」
《ナナツーマジロ》は間に合わせの運用のせいで、まともな防塵措置も取られていなかったらしい。
砂利が口の中に混じり、赤緒はへとへとになっていた。
『……うーん、賭けとしちゃ、大損かなぁ……。引き分けみたい』
「引き分け? こんだけやっておいて……?」
驚愕する南にエルニィは拡声器を片手に後頭部を掻く。
『じゃあ……まぁ、今日の分の利益は出ないってことで。自衛隊のみんなもそれでよろしくー』
ブーイングが上がる中でエルニィが壇上から降りて賭けを総取りしようとする。
「あっ、エルニィ、ズルいわよ! 私も噛ませなさい!」
「えーっ! 南は今回ばっかしは選手じゃんかぁ!」
揉み合いになるのを視界に入れて、赤緒はさつきへと言葉を振る。
「引き分けだって。……こんなに頑張ったのにね」
「ですね。……でも、よかったです。だって、これでこの子たちは実戦に出られるんですよね?」
あっ、と今さらに目的を思い出す。
そう言えば、《ナナツーマジロ》の実戦投入のための試験だったのだ。
その本懐を忘れて、すっかり熱くなってしまっていた。
「……そうだ、これで……。アンヘルは戦えるんだ……」
両兵はそれを見越して、この方式を提案したのだろうか。
それを尋ねる前に彼の姿はなかった。
「あれ……? 小河原さん、せっかくここまでやったのに……」
きょろきょろしている間にも、エルニィが巻き上げた金を箱に入れて逃げ出す。
「こらー! 待ちなさいよ、エルニィ! そのお金、私の!」
「やーだよっ! これはボクの儲けだもんねー」
元々、困窮していたのは南とエルニィの側であったはずなのに、今は状況を最大限まで楽しんでいる。
何だかその様子が可笑しく、赤緒は微笑みかけていた。
「……そっか。肩肘張って、戦おうって思わなくっても……もう私たちにとって人機って言うのは……」
「一心同体、ですよね? 赤緒さん」
「それにしたところで、運動会と言うのはなかなかに疲れる。火器を使ってはならんというのは、何ともな」
メルJにしてみれば、ある意味大きな縛りだったのだろう。
「ま、こういうのもあるってことよ。それに……私にしてみてもこういうの、初めてじゃなかったし」
思わぬルイの言葉に赤緒は目を瞠る。
「そうだったんですか?」
「……南米でね。青葉とモリビトの操主を競った時に似たようなことをしたわ。その時は、操主としての質と量を競ったものだけれど」
「質と量……」
「さしずめ、今回の運動会は、質と量と……それとちょっとばかりの努力、と言ったところでしょうね」
赤緒は誇らしげに砂だらけの《ナナツーマジロ》を仰ぎ見る。
彼らも《モリビト2号》と同じく、晴れてトーキョーアンヘルの戦力だ。
それはきっと――頼りになる相棒が増えたのと同じようなもの。
「……ルイさん。私、質と量と……それに努力なら、努力の側にあると、思ってるんです」
「そうね、あんたは努力だわ。泥だらけでも、前のめりにやってのける努力ってのが、赤緒の唯一の長所でしょ」
「唯一は……ちょっとあれですけれど」
はにかみながら、赤緒は暮れていく空を眺めていた。
どこかから時報のアナウンスが聞こえてくる。
本物の運動会の後のように、今はただ、それぞれの健闘を讃えよう。
それがきっと、一番冴えた結果なのだから。
「――よっ。今日の貢献者が、橋の下たぁ殊勝じゃねぇの」
「……ンだよ、勝世か。何か用かよ」
ソファに寝そべって不遜そうにしていると、勝世は酒瓶を振っていた。
「南の姉さんから、差し入れだとよ。……今回は助かった、ってな」
「何のことだかな。オレは操主としての仕事を全うしただけだぜ」
「……相変わらずぶきっちょな奴だな、お前も。今回の提案、お前からだったんじゃねぇの」
「ちょうどいい考えが頭にあっただけさ」
「……そのちょうどいい考えで救われる人間だって居る。赤緒さんたちだってそうさ。何も素人考えの突貫工事ってわけでもねぇんだろ?」
両兵は返答せず、コップを差し出す。
「どうだかな。案外、考えなしの行動かもしれねぇ」
「オレ相手にそんなまやかしが通用するかよ。……ほれ」
とくとくと注がれていく上物の酒を両兵は月明かりに翳す。
今宵は満月だ。
「月見酒ってのもオツなもんだな」
「まぁな。……野郎同士ってのだけは願い下げだが」
軽く乾杯してから口に含むと、甘美な酒の味わいが広がっていく。
「……なぁ、勝世。オレがやったのは余計なことだったか?」
「何だよ、もう酔ってんのか? ……んなわけないだろ。少なくともエルニィちゃんや南の姉さん、それに赤緒さんを助けたんだ。誇ったっていいはずさ」
「……昔よ。黄坂たちと、オレと青葉で《モリビト2号》の操主の権利を争って競ったことがあったんだ。それをちょっと思い出しちまったな」
「昔話たぁ、お前らしくもねぇ」
「……かもな。同じものを……柊たちに見るのには、老け込むのはまだ早ぇだろ。今宵は満月、月見酒としゃれ込もうじゃねぇの」
くいっと飲み干し、両兵はかつての思い出が脳裏を掠めるのを感じていた。
別段、戻りたいわけでもない。
ただ――思い出は、思い出のままにしておくのには勿体ないはずだ。
「一歩でも進むんだ。それだけは正しいはずなんだからよ」
「前のめりでも、一歩でも前に、か。お前らしい猪突猛進の答えだな」
「ンだよ。文句あンのか?」
顎を突き出して問い返すと、いや、と勝世は首を横に振っていた。
「それで救われるものがあるんなら、いいんじゃねぇの」
救われるものか、と両兵は胸中に結びコップを月光に翳す。
「それが一番……酒のアテにゃ、ちょうどいいのかもな」
両兵は嘆息をつく。
冴えたやり方であろうとなかろうと、今の自分にとっての最適解であるのならば――それはきっと、前に進む答えになるはずだから。