「そう言ってくれて、多分雷号も嬉しいんだと思う。青葉さんくらいだよ、労を惜しまないって言うか。そういう点じゃ両兵もかなりずぼらだったけれど、調整だとかはサボらなかったし……って、あ……」
失言だったと感じたのだろう。
言葉を詰まらせた古屋谷に青葉はわざと明るい声を出す。
「大丈夫ですから! 両兵が居なくっても、ほら! 一人で動かせるようになりましたし……」
だが空元気は三年間も寄り添ったメカニックには伝わってしまったのだろう。
「その……ごめんね。両兵の奴……一報も寄越さないんだからなぁ……」
「でも……ちょっと前に南さんから日本のアンヘルに渡ったって聞きましたし……。あっ、あっちのアンヘルには川本さんの妹さんが所属しているって。確かさつきさんって言ったかな……?」
「川本さんの妹さんが? へぇー……交流してるんだ?」
「この間、ちょっとだけパソコンを触る時間があったので。チャット越しですけれど。エルニィも元気みたいですよ」
エルニィとは頻繁に連絡を取り合っている仲だ。
あの日――《モリビト2号》を東京に送ってからも、ルイとエルニィがトーキョーアンヘルで健在なのは聞き及んでいる。
「へぇ、エルニィちゃんも。でも、その……無理はしないでね? だって、僕らだって青葉さんのことは大事だと思ってるんだからさ」
「ありがとうございますっ。……でも、私、ちゃんと恵まれているんだなって思うんですよ? だって、人機が居て、それでみんなが居るんですから。贅沢言うもんじゃないなぁって」
「そうかな? 青葉さんくらい頑張ってるんだもん、もうちょっと贅沢言ったって罰は当たらないよ」
「ですかね……? って、あれ?」
「どうしたの?」
青葉は一瞬だけ纏い付いた違和感を、拭い直す。
「……今、ちょっと感じ、右肩が重かったような……」
そこで脳裏を掠めるのは先のお化けの噂――。
「……まさか、ね」
『――広世! レーダーに反応あり! これは……一機だけか?』
《マサムネ》に搭乗したフィリプスからの伝令に、広世は戦闘意識を張り巡らせる。
「敵の識別は? アンヘルなら、迎撃する必要はないし……警告射撃くらいはするが……」
『識別は……不明? アンノウンだって?』
「古代人機か?」
『いや、これは……識別、《ナナツーウェイ》……? 何だって、単騎で?』
その言葉が途切れた瞬間、ジャングルを突っ切ったのは一機のナナツーの機影であった。
「地上部隊! シールドで押さえつけてくれ!」
『了解! ここから先は行かせない!』
地上部隊がリバウンドシールドを翳し、ナナツーの進攻を押し留めようとするが、相手は意に介せずに機体を挙動させる。
『気を付けろ! キョムが送り込んだ自爆兵器の可能性だってあるんだ!』
《マサムネ》が錐揉み飛行し、旋回したその時には地上部隊のナナツーに対し、相手のナナツーの装甲が垣間見える。
「……青いナナツー……? もしかして……以前廃棄した、青葉専用機の……?」
『だがシグナルは完全に途絶したはずだ……。ともすれば、キョムに再利用されたか?』
警戒を切らさないフィリプスが火線を舞わせ、青いナナツーの針路を阻もうとするが、その時には相手が姿勢を沈めていた。
「……まさか……」
絶句した直後、地上部隊の《ナナツーウェイ》が蹴散らされる。
瞬間的に加速したリバウンドブーツの軌跡を刻み、青いナナツーが超加速度に至ったのを遅い認識で目の当たりにしていた。
「……ファントム……」
地上部隊にそこまでの熟練度はない。
ファントムを駆使しながら、青いナナツーはカナイマアンヘルへと一路向かっていた。
『広世! 相手がファントムを使えると言うことは……!』
「ああ……! フィリプス隊長、俺が先行する! しかし、妙だな……」
『何が……! すまないが、《マサムネ》の空中機動に慣れるのが精いっぱいで……!』
追撃するフィリプスだが、広世はどこか醒めたように青いナナツーの挙動を確認する。
「……何度もファントムで……あんな機動、中の操主が持たないだろ……」
『だが、少しでも惑えばアンヘルへの侵攻を許す! 広世、緊急警報を打ち上げるぞ!』
「ま、待ってくれ、フィリプス隊長……あれ、何か意味があって――」
言葉にする前にフィリプスの機体より緊急信号弾が打ち上げられる。
高空へと高く昇っていく信号弾は既にアンヘル基地にも伝令されているはずだ。
赤く煙るそれが、今は非常事態の証のように揺らめく。
「……だけれど……青葉の乗っていたナナツーだとすれば、あれは……」
「――状況は!」
非常事態の警報が鳴り響き、青葉は《モリビト雷号》によるスクランブル出撃を敢行していた。
「整備班の皆さん、緊急出撃します……!」
「で、でも青葉さん……Rスーツなしで……」
「今は……! 赤い緊急信号は、かなり近くまで迫っている証拠……!」
反対意見を封殺し、青葉は《モリビト雷号》の保持武装である長距離滑空砲を背面にマウントする。
『青葉! 敵は単騎とのことだ! モリビトによる長距離砲撃で一気に仕留めろ!』
山野の声が弾け、戦闘の緊張をはらんだ論調に青葉はコックピット内の精密狙撃ゴーグルを覗き込んでいた。
「……はいっ! この距離なら、外さな……」
そこで言葉を切ったのは、照準器に映し出された敵影があまりにも意想外だったからだ。
「……私の使っていた……ナナツー?」
自分のパーソナルカラーに塗り固められた青いナナツーが、ジャングルに屹立する。
木々を揺らし、鳥たちが羽ばたいていく中で、青いナナツーは直後に掻き消えていた。
それがファントムによるものだと認識した青葉は戦闘意識を張り巡らせる。
「……誰か,乗っているって言うの……?」
惑う警戒に青いナナツーは少しずつ接近してくる。
『退避、退避ーっ! 相手はこっちに来るぞー!』
整備班の声が表層を流れていく中で、青葉は引き金に指をかけながら、その残像を追う。
ビジョンを振り払うかのように、青葉は頭を振っていた。
「……あれが敵なら、大変なことになる。だから、今は迷わない……!」
瞬間的に憂いを打ち消し、砲撃が青いナナツーの肩口を吹き飛ばす。
よろめいた敵影にさらに一撃、追従する弾頭が血塊炉を射抜いていた。
衝撃波で恐らく、キャノピーに居る操主は即死のはず。
「……誰が乗っているって……」
だが確実に封殺したはずだ。
そう断じたのも束の間、相手が姿勢を沈める。
その動きのクセは、まさしく自分の――。
「……迷ってられない。もう――来る!」
その確証だけで青葉は長距離砲を捨て、《モリビト雷号》に同じ姿勢を取らせていた。
掻き消えた二機が絡み合い、その巨躯を震わせてもつれ込む。
両腕を振るい上げ、鏡合わせで相対する青いナナツーと自機。
青葉はコックピット越しに睨み上げた途端、吹き飛んだキャノピーの中には誰も載っていないのを確認する。
「……キョムの無人特攻兵器……?」
その想定が浮かんだのもほんのまたたきの間。
青いナナツーのパワーゲインが急速低下し、《モリビト雷号》の腕の中で傾いでいた。
咄嗟にその体躯を受け止めたところで、山野の声が耳朶を打つ。
『その距離で自爆されれば厄介だ! 捨て去れ、青葉!』
習い性の戦闘神経がその言葉に従おうとして、青葉は右肩を叩く感触を覚える。
「……なに……?」
肩を叩いた何かが、今、青いナナツーの躯体に宿った――ように映った。
その途端、青いナナツーが完全に機能を停止させ、《モリビト雷号》に抱かれて静止する。
誰もが直後に訪れるであろう、自爆の衝撃波を予感したが、青葉だけはそれを直感で違うと断じていた。
『青葉! そいつを叩きのめす……! 照準するから、すぐに退いて――!』
「待って! ……待って、広世……」
追いついてきた広世の《ギデオントウジャ》の銃撃を制止する。
「……ようやく……息絶えられた。多分、そうなんだよ、この子は……」
『青葉……? どういう……』
分からない。
分からないが――頬を濡らす涙の熱だけは本物であった。
「――弔い、か」
《マサムネ》から降りて戦闘警戒を解いたフィリプスの言葉に、広世は首肯する。
「……分かんないもんだな。戦場で捨てたはずのナナツーが、自分で動いて青葉のところに帰って来たように……そう見えたんだ」
「分からないこともある。お化けの調査に出てこのザマじゃ、なかなかに津崎青葉に誇れるかどうかは疑問ではあるが」
カナイマアンヘルの格納庫より、喪服を纏った整備班が並び立つ。
青葉の願いで、略式の弔いを、と彼らは集ったのだ。
広世は平時の戦闘服ではあったが、自分にとっての正装である。
レジスタンスの面々が弔砲を放つと同時に、《モリビト雷号》が抱いていた青いナナツーは融けるようにして消え去っていく。
その存在証明でさえも残さないように、砂となって。
「……最後には砂になるのか。人機でも、人間でも……」
胸にぽっかりと空いた喪失感に、整備班に倣って広世も黙祷する。
青葉が《モリビト雷号》から降り立ったのを確認して広世は駆け寄っていた。
「青葉……ナナツーは……」
「うん。多分だけれど、寂しくて……帰って来てくれたんだと思う。そう言えば戦場で乗り捨てちゃったなって思い出しちゃって……」
青葉の頬を涙が濡らしている。
きっと、二度目か、あるいはそれ以上の愛した人機との別れのはずだ。
辛いのか、と聞くのは野暮か、と迷っていると青葉は口にする。
「……でも、帰ってくれるのはきっと、人と同じなんだよね。広世。私、あの子は覚えていてくれたんだと思う。乗っていた私のことを。ただの操主だって、思わずに」
「……ただの操主なもんか。あいつにとって、青葉はきっと、特別な操主だったんだよ。《モリビト2号》と別れてから、結構長い間、相棒だったんだろ?」
「……そうだね。うん……私、だから忘れたくない」
忘れたくない、と青葉は繰り返す。
青葉にとって人機は兵器ではないのだろう。
もう一度会いに来てくれた――そんな特別な存在のはずだ。
今なら青葉の手に指が届く距離だったが、広世は頭を振ってそれをやめていた。
「……敵わないよな。愛されていたっていう、証明にはさ」
夕映えが染み入るように差し込んでくる。
別れの儀礼も差し挟む余裕のない、忙しい自分たちの日々に、人機は帰って来てくれる。
それは彼らにとっても、特別な時間のはずだ。
「逢魔が時……って言うんだって。マジックアワーとも言うって山野さんたち、言ってたな。こういう時、あっち側に行っちまった連中とも会えるって……ああ、そういや勝世の奴もよく言ってたっけ」
「そっか……。じゃあ、いつでも会えるんだね。なら……ちょっと嬉しいかも。お化けになって帰って来てくれるのも……いいかなって」
青葉は無理をしている風でもない。
――ただ、今は悼もう。
青葉の乗っていた、栄光ある人機との別れの儀に――。
やがて、夜は来る。
この世界を闇に沈めないために。
青葉は、きっと明日も戦う。
その双肩には重過ぎるほどの宿命を抱いて。
人機に愛された少女は、戦い続けるのだ。
それが彼の地であれ、この地であれ変わりはしない。
信じた者たちのために、少女の見た戦場は続く。