JINKI 252 それぞれの戦場を、また

 それ以上の言葉もなく、何となしに気まずさだけが流れていく。

 雨粒は収まる様子もなく、しとしとと降り続いていた。

「あの……」

「あの……っ」

 同時に言葉を発して、お互いの迂闊さに思わず譲り合ってしまう。

「どうぞ」

「あ、いえ……どうぞ……」

 さつきは己の弱気さに頭を振る。

 駄目だ、ここで逃げていては。

 友次だってアンヘルの一員のはず。

 ならば、少しは歩み寄るだけの気力が必要だろう。

「……えっと……友次さん、でしたよね?」

 迂闊なことに、相手の名前の確認から始まってしまうが、そう言えば南たちからそうなのだと聞かされているだけで、友次本人が名乗ったわけではない。

「ああ、そう呼ばれていますね。そっちは川本さつきさんで?」

「あ、はい……。川本さつきです……」

 双方共に遅れた自己紹介になってしまい、さつきは困惑するばかりであった。

 雨は止む気配もない。

 さつきは今日の夕飯の買い出しから帰る際に降り始めたところを、タバコ屋の前で雨宿りしていたのだが、友次も偶然にも一緒だとは思いも寄らない。

 彼はくたびれたスーツに身を包み、肩に担いだ上着を探っている。

「落としちゃったんですかねぇ。携帯電話、どうやらどこかに忘れたようで」

 そう言えば、一度アンヘル内で携帯電話の個人の所持が禁じられたことがあったか、と思い返していた。

 友次はいい大人なのだから、携帯電話の一つや二つは持っているのだろう。

「……えっと……携帯って、どんな感じですかね……。私、この間立花さんがみんなに配った時に、そんなに使えなかったので……」

「ああ、便利ですよ。それで勝世君に迎えに来てもらおうかと思っていたんですが……」

 勝世とは何度か顔を合わせたこともあるが、あまり印象にはなかった。

 そもそもトーキョーアンヘルの組織内部の構造には疎く、南たちが頼っていると言う南米のスポンサーに関してもいまいち掴めていない。

「……落としちゃったんですか?」

「みたいですねぇ。勝世君を呼べれば車を回してもらえるかと思ったんですが、当ても外れましたし」

 友次はどういう人物なのだろうか。

 さつきはあまり大人と喋る機会もないので、こう言った時に弱腰になってしまう。

 そう言えば、旅館に努めていた時も大人相手では曖昧な笑みで誤魔化していたっけ、と思い出していた。

「……えっと……友次さんは、普段は何を……?」

「普段、ですか。あまりアンヘルの皆さんにはおおっぴらにできないようなことを……ああ、これも秘密で」

 唇の前で指を立てた友次に、さつきは微笑んで誤魔化していた。

 南ならば、まだ女性な分、共通の話題にも事欠かないのだが、大人の男性となれば話は別。

 これが両兵だったのなら、少しは心躍る瞬間だっただろうに、友次相手には何を聞けばいいのかまるで分からない。

「友次さんは……えっと、人機は動かせるんですよね?」

「ええ、一応は。まぁ、基本的にはマニュアルですけれどね。ナナツーとかなら、人並みに。他の人機は厳しいですね」

「モリビトとか……は?」

「モリビト……は乗るべき人がもう決まっているでしょうし、私のようなおじさんが乗ったところで、喜ばれないでしょうしねぇ」

「……不思議なことを言うんですね。人機が喜ぶ、ですか?」

「まぁ、そういうのもあったって話です」

 そこで、すとんと言葉の種が尽きてしまう。

 やはり、気まずさが居残る中で、さつきは話題の穂を継いでいた。

「そ、そういえばその……ヴァネットさんがモデル業、うまく行っているとか聞きましたけれど……」

「ああ、それはよかった。まぁ、ヴァネットさんにモデル業をするように勧めたのは私じゃないので何とも言えないのですが、そういう別に夢中になれることは作っておいたほうがいいはずです。アンヘルの実務だけだと息が詰まっちゃいますから」

「……私は別に、アンヘルの実務、嫌いじゃないですけれど。こうしてたくさんの人と、夕飯を囲むのも嫌じゃないですし」

「ああ、そういう意味で言ったのでは。……気を悪くさせちゃいましたかね」

「あ、いえ……! こっちもそういうつもりだったんじゃなくって……」

 沈黙が降り立つ。

 どうにも、他の大人とは違う気がしてならない。

 勝世や両兵のように、興味を持ってはくれないのだろうか、とは思う。

 彼らのように最年少として可愛がってくれるのならば、まだ対応できるのだが、友次はそう言った機微には疎そうに感じる。

「……友次さんの……えっと、ご趣味は……?」

「趣味、ですか」

 お見合いの序盤のような掛け合いを発した自分に、さつきはどこか迂闊だったかと自己嫌悪していた。

「……そうですねぇ、えーっと……」

 友次が上着の胸ポケットを探りながら、何だかそわそわしている。

 思いついたのは偶然で、今しがた買って来たのも偶然そのものであったが、さつきがそれとなく買い物袋から取り出したのは――。

「えっと……煙草、ですよね? けれど私、未成年だから買えませんので……代わりになれば」

 差し出したのは棒付きキャンディーで、エルニィやルイが時折集中する時に嗜んでいるのを見てたまたま買ったのであった。

「ああ、助かります。……いやはや、どうにも口寂しくってすいません」

 キャンディーをくわえた友次はちょっとだけ間抜けに映って今ならばと、さつきはそれとなく尋ねていた。

「……煙草、お好きなんですか?」

「好きと言うよりも、もう習慣になってしまいまして。情けない話です。禁煙は全然持たないんですよ」

「いえ、その……そういう大人の人が居るのは分かりますから」

 とは言え、さつき自身、煙草に詳しいわけでもない。

 旅館だとよく煙草を吸った客の部屋を掃除する際に、独特のにおいが漂っているのを嗅ぐのが習慣ではあった。

「……お嫌いな方も居ますからねぇ、煙草は」

「私はその……別に嫌いじゃないですよ? 大人の人ってそういう嗜みみたいなものがあるんだと思いますし」

「さつきさんは私なんかよりもよっぽど大人ですよ。煙草一つないと文句も出てしまいますからね」

「いえいえ、そんなの……。友次さんのほうが大人ですよ」

「……まぁ、それはそうなんですが」

 会話が続かず、何度も壁打ちをしている気分だ。

 雨の話題でも振ろうかと思っていると、友次はふと言葉にしていた。

「そういえば、小河原君とは上手くやっていますか?」

「えっ……何でおにい……じゃなくって、小河原さんのことを?」

「まぁ、彼もこの数か月でちょっとはマシな眼差しになってきたなと思ったので。トーキョーアンヘル設立前に、一度、富士の樹海に入って彼の太刀筋を受け止めた時には、生きた心地がしなかったものです」

「……小河原さんが、友次さんに?」

「ああ、これは話していませんでしたっけ? まぁ、日本に来た当初は彼も抜き身の刃と言う感じで、私も先を案じていましたが……」

 自分が両兵と関わり合いになったのはハマドの罠にかかってからだ。

 それ以前の両兵のことはよく知らず、言い方を変えれば最近の彼の態度でしかその人柄を知る由もない。

「……小河原さんを昔から知ってるんですか?」

「……彼のお父さんと、少し縁がありましてね。まぁ、何と言いますか。息子を任せる、と言われてきたもので」

 想定外の話にさつきは目を見開く。

 両兵とはあまり顔を合わせないようにしている印象であったが、ともすれば友次は南米時代の彼に関しても深く交流があったのだろうか。

「……南米で、小河原さんが戦っていた話。この間、聞きました。その……青葉さんって人と、笑顔で別れられなかったって……」

「彼は話したんですね、あなたたちに。……なら、私が余計なこと言うのも野暮でしょう。聞かされた限りが、南米であったことの全てでしょうし。まぁ、私が言えることなんてたかが知れています。前線に出ていたわけではないですし」

「あれ……? でも人機を動かせるって……」

「ああ、私はカナイマアンヘルの人々とはあまり交流していなかったんですよ。とは言え、小河原君の親御さんである現太さんとは何と言いますか、昔のよしみみたいなもので」

 しかし、さつきの記憶の中にある限りでは人機を動かせる人材は相当に貴重のはずだ。

 自衛隊員でさえ、すぐには動かせず、火器管制に手を焼いている始末である。

 それを、しかも旧式機であるはずの《ナナツーウェイ》がメインとなれば操主熟練度は高いと思うのが必然であった。

「……となると……えっと、どういう関係だったんです?」

「うーん……よく言えば親戚のまた親戚みたいな感じですかね。悪く言えば……」

「わ、悪く言えば……?」

 固唾を呑んで見守っていると友次はキャンディーの棒をくいっと上げる。

「……まぁ、情けない大人ですかね。トーキョーアンヘルだって言ってしまえばそうなんですから。血続であるさつきさんたちに頼るしかできないのが実情です」

「な、情けないなんて……助けにはなっていますよ」

 フォローするが、友次にとってそれは特に助けにはならない様子である。

 少し困ったように彼は後頭部を掻く。

「いえいえ、やはり前を行く人たちには敵いません。諜報員って言うのは後ろの仕事ですから。やはり、裏方に回れている分、それがありがたいです」

「諜報員って言うと……勝世さんもそうですよね?」

「ええ、彼はまぁ、言ってしまえば私の直属の部下のようなものですから。だから……なんですけれど、雨が止む前に来てくれませんかねぇ」

 結局、課題が振り出しに戻っただけか。

 とは言え、少しは友次から話を聞き出せたような気がする。

 さつきはそれとなく尋ねていた。

「……勝世さんとも長いんですか?」

「彼は……南米の戦いが終結した辺りで、私に弟子入りと言いますか。諜報員に転属したいって言い出したものですから。まぁまぁ、彼のスタンスは見てきたつもりです」

「勝世さんって、でもおにい……小河原さんと仲がいいように見えますけれど」

「ああ、元々戦場で出会ったみたいなものらしいですから。彼はトウジャ乗り、小河原君はモリビトの上操主として、ですけれどね。そういう因果もあって、彼らも長い付き合いなんでしょう」

 思えば両兵のことも日本に来てからしかまともには知らないのだ。

 そう考えると、友次の昔話も聞きたくなってくる。

「友次さんは……カナイマアンヘルの皆さんのことは、大事だったんですね」

「まぁ、色々とありましてねぇ……。私の分かる範囲で言えば……そうだ。さつきさん……あなたのお兄さんと話したこともありましたね」

「お兄ちゃんと……?」

「ええ。確かあれは、カラカス陥落からちょっとした辺りでしたかね……」

「――グレン、それに古屋谷も。帰還した人機の整備を頼む。……ナナツーとか、トウジャが混ざっているから部品取り違えないように気を付けて!」

 指揮を執る川本はカラカスからの帰還兵が思ったよりも損耗していることに気づく。

「カラカスで核が使われたって……それは本当なのか?」

 フィリプスたち駐在兵は当惑している様子であった。

 無理もない。

 軍部が推し進めてきたカラカス防衛線、その実が核兵器の自国使用と言う最悪のシナリオで終結したわけだ。

 うろたえないほうがどうかしているだろう。

「……こんな時に、現太さんとも連絡は取れないし、両兵たちともだ。どうしろって言うんだ……」

 弱音を吐くまいと思っていたが、それでも搾り出すように悔恨が漏れる。

 今は、一機でも人機を収容し、そして再建を誓うしかない。

 アンヘルが折れるわけにはいかないのだ。

 感慨を噛み締めたのも束の間、カラカスの方角からの帰還兵たちの中に《ナナツーウェイフライトユニット》が混じっているのを目にする。

「……ルイちゃんと南さん、か。辛い目に遭わせる……」

 だが、判断を間違えれば一生後悔することになるだろう。

 通信を繋ぎ、川本はルイへと声を発する。

「……動けそうなら、手伝って欲しい。今は手一杯なんだ」

『……了解。南、やるわよ』

 嗚咽が入り混じったのを、川本は聞いていられずに通信を切る。

 失ったものは数多く、今足を取られてしまっていれば、何もかもが水泡に帰す。

 戦地に向かった青葉たちの意地も、両兵たちの覚悟も。

 ならば、自分たちはせめてメカニックという一点でのみ、戦うべきだ。

 銃は取れなくとも、それでもレンチを握って修繕ならばできるはず。

「グレン! もしかしたら追撃が来るかもしれない。ウリマンの動きだって怪しいし……すぐに補給できるようにしておいてくれ。古屋谷は血塊炉周りの貧血を何とかして欲しい」

「で、ですけれど、川本さん……。こっちで使っている血塊炉はどれも型落ちで……」

「それでもなんだ。少しでも希望が繋げるのなら、それに越したことはない」

 しかし、この数日間で擦り減らした神経は、ここで休息を必要としていた。

 古代人機だって麓まで降りてきている。

 たった数時間の休憩でさえ、今は一刻を争う事態に等しい。

 川本は格納庫の陰に身を置き、嘆息をつこうとして煙草のにおいに勘付いていた。

「……誰です?」

 その人物は紫煙をたゆたわせながら、こちらへと向き直る。

「おや、そちらは……確かカナイマの。川本さん、でしたか?」

 飄々とした様子の中年男性に川本はもしもの時のホルスターに手を添えていた。

「やめたほうがよろしい。私のほうがそっちの面では素早い」

「……あなたは……?」

「名は捨てましたが、一応は。友の意志を次ぐ、そういう因果の気休めの名前なら。――友次、と名乗らせていただきましょう」

 友次と名乗った男性は煙草を吹かしつつ、どこか憔悴し切ったような面持ちで天を仰ぐ。

「……友次……さん。あなたは、もしや軍部の……?」

「おや。所作で分かりますか。諜報員ですが、元ウリマンの人間です。とは言え、今は仲違いをしている場合でもなさそうですから」

「……何の目的なんです。今のカナイマは壊滅状態だ」

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