JINKI 254 私達のスクールライフ


 自分はと言えば、柊神社の中だと言うのにRスーツを纏っていた。
 それもこれも、ルイのある企みのため――。
「その、本当にいいんですかね……立花さんがいくら、次のテストの作成を担当しているからって言って……」
「さつき、あんたは赤点を取りたいわけ? 千載一遇のチャンスなのよ」
「そ、そりゃあ、赤点は回避したいですけれど……普通に勉強すれば……」
「駄目よ。そんなんじゃ、あの自称天才の鼻っ柱を折れないじゃないの。私たちの利点を活かすとすればこれくらいなんだから」
 そそくさと廊下を抜けていくルイに、さつきは学校でこの間から教鞭を執り始めたエルニィのことを考えていた。
「……立花さん、本当に先生になっちゃったんだからなぁ……」

「――はーい! 今日から数学と理科を担当するエルニィ立花先生だよー。いやぁー、日本じゃ先生やれるなんて思っちゃいなかったねー」
 突然のことにさつきは理解が追いついていなかった。
「……えっと、立花さん?」
「おっ、さつきじゃん。あ、いや、ここじゃあ、一生徒なんだし。川本さんって言ったほうがいいかな?」
「あ、いえそうではなく……。何で、立花さんが先生を……?」
「何言ってんのさ。この間、先生の試験に受かったって言ったでしょ?」
 白衣の下に制服を着込んだエルニィの不満げな声に、さつきは茫然としてしまう。
「……えー……でも、まさか本当に先生になっちゃうなんて……」
「信じてなかったの? まぁ、いいや。えーっと、じゃあ今日は数学の担当だから、ガンガンやっちゃうねー。まずは……あれ? 何だ、こんなのまだやってるの? 中学数学って本当に基礎の基礎なんだね。まぁ、いいや。えーっと、教科書の三十二ページからで……」
 エルニィはどこ吹く風で数式を黒板に書きつけていく。
 その立ち振る舞いは日本で初めて教鞭を執るとは思えず、まさか祖国では大学を飛び級して首席だったと言うのは本当の話だったのか、とさつきは感嘆する。
 その様子が伝わったからか、エルニィが振り返る。
「……川本さん。ボクの一挙手一投足に見惚れるのはいいけれど、板書しないと駄目じゃん?」
「あっ……はい、じゃなくって……! 本当に数学の先生なんてできるんですか?」
「むっ……疑われるのは心外だなぁ。第一、人機の設計とかやっているボクにしてみれば、こんなの基本中の基本だよ。日本の教育現場は遅れているとは聞いたけれど、もうちょっとないのかなぁ」
 チョークを慣れた所作で操り、黒板の端から端まで数式で満たす。
「とは言え、まぁ、これくらいは分かるよね? 分かる人、挙手ー」
 しかし、エルニィは一応こちらのレベルに合わせているようで、ちゃんと先週習った分の復習になっている。
 戸惑ったクラスメイトたちがめいめいに挙手するのを名簿と睨めっこしながら、エルニィは指し示していく。
「うん、じゃあ、君。この式を展開してみてー」
 式の展開をさせながらエルニィ本人は缶コーヒーのプルタブを引いていた。
「た、立花さんっ! そういうの……駄目じゃないですか」
「川本さん! 立花先生、でしょ?」
「あっ、立花先生……じゃなくって! 授業中にコーヒー飲んだりしたら、態度が悪いって言うか……」
「あ、これ休憩時間に他の先生方からもらった奴。柊神社から失敬したわけじゃないから安心しなよ」
「そういうんじゃなくって! 立花さんが……先生って言うの何だか信じられないって言うか……」
「何で? ちゃんと日本式のテストも受けたし、もちろん満点合格もしたし。って言うか、日本の教育制度って窮屈だよねー。南米の教師としてのライセンスとかもちゃんと見せないと駄目って言うのがさ」
「……そ、それは……そうじゃないですか」
 心底理解できないとでも言うように、エルニィは渋い顔をする。
「まぁ、そんなこんなで、ボクから宿題。一応、全生徒のカリキュラムに合わせたものって言うので、はい。川本さん用と、それにルイ……じゃなかった、黄坂さん専用……って、ルイ!」
 数学の時間はルイにとっては絶好の昼寝日和である。
 いつものように机に突っ伏して寝息を立てているルイを、ぺしんと名簿で叩く。
「……痛い。何なのよ、私はこれでも一応、授業に出て……何で自称天才がここに居るの? ああ、そうか。これは夢ね。よくできた夢だわ。……すぅ」
 そうしてまた眠りにつこうとするルイへと、エルニィが再びぺしんと叩く。
「寝るなってば。これは現実だよ」
「……何で自称天才が……」
「同じこと、二回も三回も繰り返すつもり? ボクは教師なんだから、ルイを矯正する義務があるんだよ」
「……間抜け面をしているあんたが教師? ……なるほどね。私を担ごうって言うの。ドッキリなら八時台のテレビで間に合っているって言う……」
「ドッキリでもテレビ番組でもないよ。今日からボクが君らの担当教師。今は数学と理科だけど、他の授業も許可が出次第担当してもいいんだからね」
「……冗談。あんたに教わることなんて一個もないでしょうに」
「それがあるんだよね。はい、ルイ専用カリキュラム一覧」
 どんと机の上に置かれた宿題のプリントの束にルイは目を瞠る。
「……こんなのやったことないわよ?」
「当たり前じゃんか。これまでのルイやさつき……まぁ、川本さんの傾向から苦手な部分とか、そういうのをきっちり抽出した宿題なんだし。これ、一週間分ね。みんなはちゃんと提出すること、いいね?」
「……私のだけ束の数が三倍くらい違くない?」
「そりゃー、ルイは英語以外となると全部赤点なんだし。それくらいはやんないと、次のテストじゃ平均すら回避できないよー。何せ、次からはボクが問題を作るからねー」
「……立花さんが、テストを作る……ですか?」
「そっ。まぁ、そんなに難しいのは出さないってば。肩の力を抜いて、リラックスリラックスってね。どうせ中学数学や中学の理科じゃ専門的なのはやれないんだから。基礎の基礎だって」
 机にうず高く積まれた宿題をルイは不満げに見据えた後に、こちらへと視線を振り向ける。
 口元だけで「この後、校舎裏で」と誘導されたのをさつきは認識していた。
 それを知らず、エルニィは楽しそうに黒板に数式を書きつけていく。
「さぁ! 今日からはバシバシ、やっていくよー!」

「――……正直、迷惑この上ないわね」
 校舎の裏で待ち構えていたルイに切り出され、さつきは当惑する。
「えっと……けれど立花さんも仕事ですし……。先生って言うの、嘘じゃなかったんだとは思いましたけれど」
「とは言え、あの性悪な自称天才のことよ。次のテストは的確に私の苦手なところを突いて来るわ」
「……それが分かっているのなら、もらった宿題をやるべきなんじゃ……?」
「何よ、さつきの癖に、生意気ね」
 ルイは嘆息をついてから、しかし、と悪い笑みを刻む。
 この笑みの時のルイは心底、悪知恵を働かせている時だ、と言うのは自分には経験則で分かる。
「……あ、えっと……私、そろそろ戻らないと……」
「待ちなさい。さつき、もちろん、協力してくれるわよね? あの自称天才のせいで、次のテストも赤点じゃ、さすがに南も黙っちゃいないわ」
 首根っこを引っ掴まれさつきはぐえっ、と声を上げる。
「ど、どうするんですか……? だって、普通にテストは来週ですよ? ちゃんと宿題をやればその分いい点が取れるんじゃ……?」
「甘いわね。そんな甘さじゃ、たかが知れるわ。さつきだって、自分の苦手な部分の宿題を出されたんでしょう?」
「そ、それは……」
 確かにエルニィは自分のこれまでのテスト遍歴を仔細に分析し、苦手だった部分を集中的に補正するように宿題を出してくれていた。
 しかし、それはあくまでも教師としての側面であって、嫌がらせをしようと言うわけではないはずだ。
「宿題……確かに苦手なところでしたけれど、それもこれも仕方ないって言うか……。本当に苦手だったところの復習でしたし」
「馬鹿ね、さつき。そこで普通にあの自称天才に言いくるめられるんじゃ、まだまだよ。ここは一回、分からせないといけなさそうね」
「わ、分からせるって……どうするんです?」
「まず、あの自称天才は一手間違えたわ。私たちの前で、次のテストは自分が担当するって言ってのけたんだもの」
 ルイの言わんとしていることが分からず、さつきは首を傾げてしまう。
「……えっと、それが何か……?」
「これでもピンと来ないの? 次のテストは柊神社で帰っている時に作られる可能性が高いってことよ」
 そこまで言われて、まさか、とさつきは息を呑む。
「そ、それってもしかして……」
「そのまさかよ。一発逆転にはこれしかないわ。テストが出される前に、そのテストの内容を完全に把握する、つまりは完全なるカンニング。そのチャンスが訪れたのよ。やるしかないでしょう」
「け、けれど、もし……バレちゃったら……」
 あわあわと困惑し出す自分に比してルイは冷静であった。
「そうね……かなり危ない橋を渡ることにはなるけれど、自称天才の掌の上って言うのはいただけない……と言うよりも許せないわね。私にあんなに宿題を出すだけでもかなり屈辱的だって言うのに、テストまで操作されたんじゃ堪ったもんじゃないでしょうに」
「け、けれど宿題をちゃんとやれば、立花さんも鬼じゃないんですから」
「さつき。まさか、普通にテストが出ると思ってるの? あの底意地の悪い人間のことよ。きっと、何か仕掛けがあるに違いないわ」
「……うーん、ちゃんと勉強をすればいいと思うけれどなぁ……」
 とは言え、ルイの確信もある意味では頷ける部分もあった。
 エルニィが教師になってしまえば、これまで以上に勉強に割く時間が必然として多くなるであろう。
 ただでさえ、柊神社の手伝いと人機の操縦訓練で時間を取られる自分たちの身分では、それを事前に回避したいと願うのは何も不自然ではない。
「協力しなさい。何とかして、テストの原本に目を通しさえすれば……何とかなるはずよ」
「って……あれ? 私までそんなに危ないことをする話になってません?」
「当然でしょ。さつきも赤点を取りたいの?」
「い、いやぁ……私は普通に勉強しようかなって……。だって別に立花さんは嫌がらせをしたいわけじゃないんだと思いますし……」
 こちらの返答にルイは心底理解できないとでも言うように頭を振る。
「……これだから、あんたは。いい? 一度嘗められてしまえばそこまでよ。少なくとも、南米じゃその理屈がまかり通って来たわ。私はそうじゃなくってもあの自称天才に点数を知られるだけでも最悪の気分なんだから」
「わ、私までやるのは……ちょっと……」
 うろたえ気味の自分へとルイはその碧眼に凄味を利かせる。
「……やるわよね? さつき」
「あ、ああ、はい……もちろん」
 ここまで意思が弱いとなればある意味病的だろうと思いつつも、さつきは作戦を練り始めたルイを他所にぼやく。
「いい? 柊神社で作業できそうなところは知れているわ。まずは格納庫の裏から調べを尽くして……」
「……こんなの、大丈夫なのかなぁ……」

 ――作戦範囲は柊神社の境内全域に渡っている。
 問題なのは如何に限られた時間内でテストの原本を見つけ出すかだ。
 黒いほっかむりを被ったルイはほとんど泥棒の装いで、自分と同じくRスーツを身に纏っているのは摩擦で要らない音を立てないようにするためらしい。
「まずは格納庫から見ていくわよ。本命は部屋の中だけれど、それは難しそうだわ。だから、外堀から埋めていく」
「……あの、そもそもこんなことをせず、ちゃんと勉強すれば……」
「何よ。あんな量の宿題、やれるわけないでしょう。さつきはもうちょっと現実的な方面から言って欲しいものだわ」
 そんなことを言い出せば、現実的なのはこんな真似に出るよりも勉強に励むことだろうが、ルイはこれ以上の追及を許さない。
「……出てきた。行くわよ」
 エルニィがシールと月子と共に格納庫から出て来るなり、ルイとさつきは反対側に回り込んでいた。
「いやー、助かったよ、二人とも! ボクだけじゃよく分かんなくってさ」
「まぁ、いいバイトにはなったし、いつでも言えよ」
「テスト問題を考えるのって思ったよりも楽しいし、これからも先生として頑張ってね、エルニィ」
「……シールさんと月子さんもテストの問題を……?」
「ほら、見なさい。どうせ私たちの苦手な問題を作って楽しんでいるんだわ」
 そうは映らなかったが、ルイは素早く格納庫の裏口から息を殺して潜み、テーブルの上に広がっていた紙を手早く掻っ攫う。
「……な、慣れてるんですね……」
「南米でもたまにカンニングする時はあったもの。……まぁ、対立相手が本気でやって来るから、あまり活きなかったけれど」
「対立相手って……例の青葉さんですか?」
「……そういうこともあったってことよ。してやられたわ。これ、ただの人機の図面じゃないの」
 目を凝らすと人機の設計図で、これはこれで価値のあるものではないのか、と思った矢先、ルイはそれを丸めて脇に挟む。
「……次よ。あの自称天才はよく居間で作業しているから、そっちかもね」
「……あの、ルイさん? やめませんか、こういうの。何だかちゃんと努力したほうがよさそうですし……」
「さつき、言ったでしょ? 一度目を許してしまえば、そこからはずるずると芋づる式よ。これから先、学校での日常をあの自称天才に潰されてしまうんだと思うだけで、こっちとしては気が気じゃないんだから」
「……うーん、でも立花さんだって嫌がらせをしに来ているわけじゃないんですし……」
「ほとんど嫌がらせみたいなものじゃない。ま、赤点を前にすれば本気を出すって言うのは私の信条でもあるし。平均点くらいを取れるあんたには縁がないものかもしれないけれど」
 ルイと共に姿勢を沈めて見咎められないように留意しつつ、居間まで向かう道中、シールと月子の声が耳に届いていた。
「それにしても、エルニィらしくねぇって言うか、あんなに勤勉だったか? あいつ」
「きっと、嬉しいんだよ。だって、自分の仲間が生徒なんだもん。ちゃんとしてあげたいもんね」
「そんなもんかなぁ?」
「……ちゃんとして……?」
「さつき、頭を下げて」
 考えるよりも先にルイに頭を押さえつけられていると、居間から声が漏れ聞こえてくる。
「……そう……ですね。これでどうですか?」
「うん、まぁこれくらいの正答率なら大丈夫かな。それにしたって、赤緒もたまには役に立つじゃん」
「もうっ……たまには余計ですよ。でも、立花さんが先生なんて……すごく意外かも」
「そう? ボクは一応、あっちじゃトップクラスの大学に飛び級していたからさ。なんて言うの……、こういう調整ってのはよく分かんなくってさ」
「……いいと思います。だって、これくらいならちゃんと勉強していれば解けますし……。でも立花さんのことだから、すごい高難易度のテストでも出すもんだと思ってましたよ」
「……むぅ。赤緒ってばやっぱりボクのこと誤解してない? ジャパンじゃこういう時、郷に入らば……何とかって言うんでしょ? そりゃー、ボクだってちゃんとしたのを作ってあげないとって思うよ」
「……もしかして、赤緒さんでちゃんと試験の問題が適正かどうかを試してくれていたんじゃ……」

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