JINKI 254 私達のスクールライフ


「駄目よ。ここで油断したら、これまでの動きが水の泡なんだから。……自称天才はお風呂に行ったみたいね。部屋に先回りするわよ」
「……そ、その……やっぱり取り越し苦労って言うか……考え過ぎじゃないですか? 立花さんなりにちゃんと先生をしてくれているみたいですし……」
「そうだとしても、私はあんな量の宿題をするのは御免だし、ここで高得点を取って嘗められないようにしないと駄目じゃないの。どうせ、あの自称天才のことよ。“案の定、ルイには解けないと思っていたよ。まぁ、この学力じゃあね”とか。言い出すに決まっているわ」
 ルイによるエルニィの物真似が予想外に似ていたので笑いかけたのを、さつきは慌てて口を噤む。
「……とにかく、チャンスは今しかないわ」
 エルニィの部屋は二階の赤緒の部屋の隣で、足音を潜めてルイが忍び込む。
「足元、気を付けなさいよ。あの自称天才、扉のところに紙切れを挟んでいるから」
「えっ……全然気づかなかったですけれど……」
「そういうことをするのよ、あれは」
 紙切れはきっちりルイが回収しており、エルニィの部屋の中を物色し始める。
「……でも立花さんの部屋って入るの、はじめてかも……」
 思えばエルニィは日中のほとんどを居間での作業か、あるいは格納庫で過ごしており、想定外に簡素な室内だ。
ベッドの上に特注のぬいぐるみが置いてあるのと、そこいらに用途不明の機械が稼働している。
「……わぁっ、次郎さんのぬいぐるみ? そっくりですね……」
「後になさい。手先だけは器用なもんだから、余った布とかで作っちゃうのよ」
「……ルイさん、立花さんのこと、よく知ってるんですね」
「知ってるのは当然じゃない。ライバルのことを知らないと勝負にならないわよ」
「ら、ライバルですか……?」
 うろたえているとルイは言い捨てる。
「そうよ。遊びでもそうだし、人機の操縦でもそう。あいつはいつもいつも、私の一歩先を行こうとするんだから……小癪な、と言う奴よ」
 何だかルイとエルニィの関係性が分かったような気がして、さつきはほっこりしていると勉強机に置かれた書類の束をルイは探り始める。
「……あった。これが、来週のテストの原本……」
 そこまで口にした途端、どうしてなのだかルイは硬直する。
「……ど、どうしたんです? 早く立ち去らないと、立花さん、戻って来ちゃうんじゃ……」
 ルイはテストの原本を見つめたまま、微動だにしない。
 逸る心拍の中、彼女はペンを手に取っていた。
 素早く何かを書き付け、自分を顎でしゃくる。
「ずらかるわよ」
「あれ……? テストはいいんですか?」
「……それは……またの機会にしてあげるわ」
 立ち去る間際、さつきはテストの原本に書かれたメッセージを読み取っていた。
「……これって……」
「いいから。すぐに逃げましょう。……こんなの書かれたんじゃ、下手なことできないじゃないの」

「――はーい、この間のテストは……まぁ、みんないい点数を取ったみたいで何より何より……。とは言え、最初だからボクも感覚が掴めなくってね。思ったよりも簡単になっていたかもねー。はい、さつき」
「あ、はい……って、もう苗字じゃ呼ばないんですか?」
「だってぇー、面倒なんだもん、切り替えとか。みんなもいいよね? 名前覚えるの大変だし」
 一人一人返しながら、エルニィは激励の言葉を振っていく。
「ここ苦手だったのに、よくやったじゃん。はい、満点おめでとう。……あとは……ルイー?」
 机に突っ伏して寝息を立てていたルイの鼻筋を、エルニィが引っ掴む。
 ふがっ、と大仰な鼻声でルイは起き上がっていた。
「……寝起きの気分はどう?」
「……最悪よ」
「そりゃー、結構。ルイも……今回は頑張ったみたいじゃん。確実に赤点だったレベルなのに、よくやったね」
「秘策くらいは用意しているものよ、こっちだってね」
 テスト用紙を返す際、さつきはエルニィがクラスメイト全員に向けて個別にメッセージを元々のテストに記しているのを目にしていた。
 それはもちろん、自分のテスト用紙にもあり――「ここ、苦手でしょ?」とまるで全てを見透かしたように書かれていた。
 それはあの夜――ルイと一緒にエルニィの部屋で見つけたテストの原本の時から用意されていたものだ。
 つまり、エルニィは初めから、三十人余りのクラスの全員に合わせて、一人一人のためのテストを準備していたのだろう。
「……本当に先生みたい……」
 エルニィとルイがやり合っているのを横目に、さつきは授業時間が流れていくのを微笑ましく眺めていた。

「――ルイさんっ!」
「……何よ。さつきにしては珍しいわね。帰りにそっちから声をかけるなんて」
「テスト、何て書かれてました? 立花さんからのメッセージ!」
 興奮気味に聞いたからか、あるいは元々醒めている性分なのか、ルイは何でもないように応じる。
「別に、変わりないんじゃない? はい、これ」
 ルイがテストをこちらへと差し出す。
 百点満点の花丸に添えられたようなメッセージには「ルイがもっと勉強を楽しくできますよーに!」という願いが書かれている。
 しかし、その隣には「余計なお世話よ、自称天才」とプリントの書体と同じインクで舌を出すルイが即興で記されていた。
 それはテスト時に書かれたものではない。
 あの夜にルイが書き記した、自分自身のホームラン宣言のようなものだ。
「……でも、ルイさんはちゃんと……宿題を頑張って満点を取ったんですから。きっと、南さんも褒めてくれますよ」
「別に南とあの自称天才に褒めて欲しくって頑張ったわけじゃないわよ」
「……立花さんとは、言ってなかったり……して」
「……はかったわね。さつきの癖に、生意気なんだから」
 ルイがこちらの頬をつまんでじゃれついてくるのが、今は少しだけ胸があったかい。
「ふへっ……へ、へれどぉ、よかったひゃないですかぁ……」
「よかった? 何がよ」
 頬っぺたを解放されて、さすりながらさつきは声にする。
「だって……ズルなんてしなくても、ルイさんはちゃんと、勉強はできるんですから」
「当たり前でしょ。さつきの癖に、いちいち生意気よ」
 ピンとデコピンされて踵を返したルイの背中に続きかけて、二階から声が響き渡る。
「あーっ! ちょっと待って待って! ボクも一緒に帰るぅー!」
 大慌てで帰り支度をしたエルニィが白衣をつっかけて自分たちの肩を抱いて突進する。
「た、立花さん? ……じゃなかった、立花先生、いいんですか? だって、まだ仕事とか……」
「仕事は全部終わらせちゃった! だってぇー、残業とか面倒じゃん? それに、今日はルイとさつきと一緒に、帰りたい気分なんだ!」
「……何よ、それ。本当、大迷惑な奴よね」
「いいじゃんかぁ! ……ルイ、よく頑張ったね」
「知らない。何のことかしらね」
 とぼけたルイだが、彼女がちゃんと一週間分の宿題を提出したことを、自分は知っている。
「これからもきっと……色とりどりの日々になるからさ! お互いによろしく!」
「じゃあ、今は先生としての立花さんじゃなくって?」
「うんっ! だって、ずっと先生って言うのも窮屈だし。それに、二人と一緒の学校に通えるの、楽しみなんだ! ボクはね!」
 本当に――こういうところが憎めないのだろう。
 エルニィと共にステップを踏んで、さつきは学校からの帰路についていた。
 きっとこれから先も、彼女らと話題だけは尽きない、騒々しいほどのスクールライフが続いていくのだろうから――。

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