酒瓶を振り、橋の下の仲間たちへとめいめいに酌をする。
その時、すっと差し出された杯に両兵は不機嫌になっていた。
「……おい、妖怪ジジィ。てめぇは敵だろうが。何酒を貰おうとしてンだよ」
「ほっほ。よかろうに。旨い酒には良い話が似合うものじゃ」
舌打ちを滲ませて両兵はヤオのコップにも酒を注いでから、次いで突き出されたもう一方にも苦言を呈する。
「……勝世。何だっててめぇはここに居ンだよ。今頃、柊たちと一緒に訓練だったんじゃねぇのか?」
「しょうがねぇだろ。友次のオッサンが、現場の人間を甘やかすといけねぇってんで、オレの出番はねぇと来た。なら、ちょっとはヤケ酒に付き合えよ」
「……別にいいんだがな、お前も不憫な境遇だよな。南米でオレら相手にトウジャで立ち向かってきたのと同じ相手だとは思えねぇよ」
「それを言ってくれるなっての。……ったく、落ちぶれたもんだよ、オレも」
泣き上戸なのか、勝世は一息に飲み干してから悲しみに暮れる。
「それにしたって、小河原さん。最近は妙だねぇ」
その言葉に両兵は火を囲んでいた連中へと問い返していた。
「……妙、ってのは?」
「あれだよ、おれたちみたいなホームレスにとっちゃ、結構困るんだ。空き巣ってのが居てね」
「……空き巣……って、オレらみたいなのから何を取るってんだよ」
半分冗談めかして言葉を返した両兵に、彼らは沈痛に面を伏せる。
「――命だよ、小河原さん」
ピンと、場が張り詰める。
途端に冷水を浴びせかけられたように、宴会を囲むのは胡乱な空気に包まれていた。
「……命ってのは、穏やかじゃねぇな」
「その本当のところさ。……これは噂でしかないんだが、この間、松さんって居たろ? ホームレス仲間の。あの人、連れ去られたって」
「噂だろ?」
「……それが、行方不明になっていた松さん、帰って来たって言うんだよ。その相方が言うのにはさ。……死んでいるみたいな青白い肌に、目も虚ろで……それでいて何度も呼ぶんだと、相方の名前を。壊れた機械みたいに」
「アホらし。まだ真夏の怪談シーズンにゃ早ぇぞ」
そう断じた勝世であったが、両兵はその話を聞き過ごせないでいた。
「……勝世。オレらなりにな、橋の下ってのは繋がりってもんがあるんだ」
「うん? 妙なこと言い出すじゃねぇの」
「その松さんっての、一回酒の席で一緒になったことがある。……死んでいい人間じゃねぇ」
「ほー、そーですか。正義漢もほどほどにしろよー。オレは死のうが生きようが、細く長くってもんでね。下手な話に頭突っ込んで自滅する気にはなれん」
「……おい、妖怪ジジィ。少しは話聞いてんだろ? 心当たりでもねぇのかよ」
ヤオは酒をちびちびと飲みながら、中空へと視線を据える。
「そうじゃのう……。まずはその状況証拠から詰めていくとするか。その松さんって言うのは、元々、そういう繋がりはなかったんじゃな?」
そういう繋がり、とヤオが言い添えたのは、明らかにキョムの人間としての立ち位置であったのだが、事情を知らない他の者たちは泣きじゃくる。
「当たり前だよ! あるわけがねぇ……おれたちは明日を生きて行くのだって大変だってのに……! 松さんは……」
「ちっ……酒の不味くなる話だったな。それにしたって、不可解ってのはこういうことを言う。ホームレスを攫って、人体実験ってのは単純にてめぇらみたいなのにしてみれば、能率が悪いはずだな?」
ヤオは酒瓶を振って呻る。
「そうじゃな。そういうモデルケースを作った人間が居ないとは言わんが」
「……運用してるゾールとかの基になった、って言いてぇのか」
「ゾールはキョムの中でも屈指の頭脳を持つ天才が運用しておる。ワシには詳しいことまでは開示されておらんな」
「……しかし、奇妙ってのはそれもだ。この現代日本で人攫いなんてすりゃあ、それなりに話題にもなる。ホームレスのネットワークでこうなんだ、他の人間でやろうとすりゃもっとだろうさ。……何か隠してるだろ、ジジィ」
「ほっほ、何のことやら」
どうやらここで口を割る気のないヤオを問い詰めたところで、得られる情報は限られている様子。
かと言ってただのホームレスの怪談にしては、少し気がかりのある事件であった。
「……まぁ、みんな飲もうぜ。悪いこたぁ忘れるに限る」
ひとまず場の空気を和ませようとした両兵は酒を注いでから、ハッと自分を観察している視線に勘付いていた。
「……悪ぃ、ションベン」
「刀ぁ、持ってか?」
「勝世。のんべぇなんて役に立たねぇぞ」
「……どうかな。オレはこれでもほとんど素面だぜ?」
「……勝手にしろ」
橋の上で、こちらを覗き込んでいた人影を両兵は捉えていた。
その――あまりにも小さな、矮躯に。
「……小人か、てめぇは?」
「――小河原両兵……なんだな?」
相貌を上げる。
顔の半面には星形の痣があり、目は小粒のように小さい。
その割には似つかわしくないのは、身に纏った紳士服だ。
奇術師のような帽子を傾け、それなりの心得のある会釈をする。
「……キョムの強化人間か?」
「キョム? 違うんだな、これが。オラは導き手……」
「よく分からんが、上から監視されるのは気分が悪ぃ。酒もまともに入っちゃいねぇんだ。覚悟はできてんだろうな?」
抜刀すると、相手はフッと笑みを浮かべていた。
「名を、名乗るべきなんだな。オラの名前はダイクン。お前にはダイクン・イ・ハーンと名乗ったほうが、馴染みがあるかもなんだな」
「……その名前……!」
「おい、今のは聞き捨てならねぇ……だってそれはよ……確か……!」
勝世も勘付いたのだろう。
メルJの本当の名前は確か――メシェイル・イ・ハーンであったはずだ。
「……ヴァネットの奴の関係者か」
「あるいはこうも呼ぶ。グリムの遺産とでも」
「てめぇ、言葉繰りは趣味じゃねぇ。とっとと来るんなら来やがれ。返り討ちにしてやらぁ」
「じゃあ……遠慮なく行くんだな……!」
途端、ダイクンと名乗った男の肉体が膨れ上がる。
組み変わった筋肉が伸張し、骨格が複雑怪奇に折れ曲がっていた。
「……おい、こいつぁ……」
「ああ、一筋縄じゃ……いかなさそうだな」
勝世と目配せし合った時には、既にダイクンと言う名の矮躯の男ではない。
鋭角的なシルエットを誇る巨躯の怪人が、自分たちを見下ろす。
「これでも同じような口を利けるか? なんだな」
「……生憎とこっちは、手品の類は結構見飽きてンだが……肉体そのものを完全に変身させるってのはテレビの特撮観てる気分だな」
「悠長なこと、言ってられるかよ、両兵。……銃は生憎のところ、そんなに大したもんを持ってねぇ。……この化け物ぶっ潰すのには対戦車砲くらいは欲しいところ……」
そこまで口にしたところで、ダイクンが震える。
「化け物……オラのこと、化け物って……そう言ったのか? だな……!」
「……やべぇ……飛び退け! 勝世!」
咄嗟の判断で前に出て両兵は刀で受ける。
勝世が先ほどまで居た空間を爪が引き裂いていた。
自分が刃で受けなければ、今頃彼は血の海に沈んでいただろう。
「……なっ……! 今の、速過ぎて……!」
「オラのことを化け物呼ばわりする奴は、許さないんだな……! この身体は、アキラさんに造ってもらったって言うのに……!」
「……余計に化け物っての、取り消せなくなっちまったな……てめぇ……ッ!」
自分の力でも押さえつけきれないほどの膂力は一体どこから来ると言うのか。
キョムの人造人間ならば組み伏せられる自信はあるのに、ダイクンと名乗ったこの怪人はまるで抑え込める気配はない。
「……両兵! 援護す――!」
「馬鹿! 一度下がれ! 人機がねぇ状態じゃ、足手纏いだ!」
拳銃を構えようとした勝世は次の瞬間、刃を潜り抜けたダイクンの腕に抑えられていた。
爪をわざと仕舞い、勝世の腕をひねり上げる。
勝世とて、諜報員としての腕は確かなはずだ。
そんな彼が手も足も出ず、赤子のように弄ばれる。
今に、その腕が折れるかに思われた、その時であった。
「ダイさん! ……それ以上はいけません!」
不意に声が弾け、ダイクンの注意がそちらへと向く。
急ブレーキの軍用車両を横付けし、一人の黒髪の女性が息を切らして飛び出していた。
「……アキラさん……!」
ダイクンの注意が逸れたその一瞬の隙を突き、両兵は刀身を奔らせる。
勝世の腕を打ち砕かんとしていたダイクンの手首から先を断ち斬っていた。
ダイクンが呻き、よろめいた僅かな好機を逃さず、勝世を抱えて飛び退る。
「……ぐぁ……っ! こ、こいつ……!」
「ダイさん! やめて……あなたたちは……トーキョーアンヘル、ですね……?」
両兵は切っ先を突きつけ、女性へと詰問する。
「てめぇらはキョムか? 奇怪な人造人間で、オレらをまずは落としに来たってことかよ……」
「キョム……? オラだけじゃ飽き足らず、アキラさんがキョムだって……!」
憤怒に身を焼き尽くさんとしていたダイクンへと、アキラと呼ばれた女性は頭を振る。
「ダイさん、押さえて……傷は……そうね、もうじき塞がるわ。あなたたちも……ごめんなさい。こんな形で接触するしか、今の私たちには余裕もないの」
頭を下げる相手に、両兵は一ミリも警戒を解かずに問い返す。
「キョムじゃねぇなら、どこの諜報機関だ? 全くの無関係にしちゃ、てめぇら、あまりにも……」
言葉の穂を継ごうとした矢先、ダイクンの身体が紫色の煙に包まれ、ポンと矮躯へと戻る。
「お、オラの変身時間が過ぎたんだなー!」
先ほどまでの超越感はどこへやら、ダイクンがあたふたするのをアキラがまるで子供をあやすようにして宥める。
「落ち着いて。この人たちは敵じゃない」
「で、でも……アキラさんが危ないんだなー!」
「先に勝負を仕掛けてきたのはそっちだぜ? それで無害ってのは、随分と無茶な論法ってもんだ」
一度も切っ先を降ろさずに返すと、アキラはすっと佇む。
よくよく目を凝らせば、彼女の服飾は白い軍服に近い。
「……信じてもらえるか分からないんですけれど、これから先……トーキョーアンヘルに大きな災いが降り注ぎます。私たちは、その忠告のために訪れたんです。この日本に、まだ“彼女”が居ると、その情報だけを頼りにして」
「……彼女……?」
「メルJ・ヴァネット……いいえ。メシェイル・イ・ハーン。かつてグリムを追われた……一振りの白銀の刃を」
「……ワケあり……って感じだが、オレはあいつを裏切る気はねぇ。それに、ほとんど名乗ってねぇに等しい連中に、オレらが肩入れするわけにもいかん」
「それに関しては、すいません。あなた方を試すようなことをしてしまいました。……私の名前はアキラ。ファミリーネームはありませんがあえて冠するとすれば――アキラ・イ・ハーンと、名乗るべきなのでしょうね」
「……両兵。こいつら普通じゃねぇ」
「んなことはハナっから分かってる。何が目的だ? アンヘルの人機か? それとも、キョムの使いっパシリって線もある。いずれにしたって、ここで矛を納めろってのは現実的じゃねぇな」
「何を言ってるんだな! アキラさんはお前らみたいな野蛮人と違うんだな!」
ダイクンはぷんすかと怒るだけで、先刻の能力を行使しようともしない。
「ダイさん、落ち着いて……。今の私たちは……あなたたち、トーキョーアンヘルに助けを乞う意味もあるのです」
「……助け? 言っておくが、キョムに追われているとかなら、他当たれ。アンヘルは別に慈善事業団体じゃねぇ」
「ええ、本来はそれが筋なのですが、そうもいかず……。ひとまず、刃を仕舞っていただけますか? それに……橋の下に居る方々も巻き込みたくありません。私たちは、あくまでも忠告と、そして助力を願うためにここまで来たんです」
「両兵……ここじゃどっちにしろ、刀出してるお前はポリ公に捕まっちまう。オレだって諜報員って言っても万能じゃねぇ。……ここは一回、飲み込もうじゃねぇの」
「……勝世。さっきあの化け物に腕折られかけたのはてめぇだぜ? 何でそんな簡単に信じられるんだよ」
「そりゃあもちろん! 美人の言うことは信じるのが男ってもんさ!」
鼻息を荒くする勝世に、両兵は心底呆れ返って刀を鞘に納める。
「……アホの言うことを聞くんじゃなかったぜ。で? てめぇらは何でわざわざオレたちに接触なんて真似を? 真っ当に行くんなら、黄坂や立花に会えばいいだろうが」
「そちらは既に押さえられていて……私たちは、あなたと、そして彼女……メシェイルを頼るしかなかったのです」
「……言っとくが、あいつの前でその名前を吐かねぇほうがいい。要らない因縁に縛り付けられてるからな、そいつも」
アキラは口を噤んだがダイクンが追及する。
「小河原両兵! メシェイルをどこに隠したんだな!」
「指差すんじゃねぇよ、チビ。隠すも何も、あいつは自由の身さ。何だってオレがあいつのことなんざ……」
「ち、チビって言ったんだな……! 許さないんだな!」
地団駄を踏むダイクンに比して、アキラは冷静に事の次第を掴もうとしているようであった。
「……彼女が自由と言うのは……本当なのですか?」
「嘘言う意味もねぇだろ。それに、あいつは立派なトーキョーアンヘルのメンバーだ。何が悲しくって今さら、そんなこと……」
「いえ、けれど……私が伝え聞いていたのとは随分と違っていて……。メシェイル……失礼。メルJ・ヴァネットは愛機である《シュナイガートウジャ》を奪われてトーキョーアンヘルに軟禁状態と聞いていましたので……」
「シュナイガーを奪ったのは米国だろうが。……まぁ、今あの機体がどうなっているのかは知る由もねぇが、オレらが軟禁ってのは事実無根もいいところだぜ?」
「そうだ! それと、アキラさんと仰るんですか? オレの名前は勝世。あっ、オレもファミリーネームはないんです。いやぁ、まるで運命ですね!」
いつの間に自分の後ろから前に出たのか、勝世はアキラの手を握り、それから女たらしの笑顔を見せる。
それに対してダイクンが勝世の足を思いっ切り踏みつけていた。
「痛って! てめぇ、この怪人野郎! 蜂の巣になりてぇか!」
「それはこっちの台詞なんだな! アキラさんに近づくんじゃないんだな! この色ボケ野郎!」
「……何やってんだよ、てめぇらは。少しは意味のあることをしろっての」
「「だってこいつが――!」」
「ダイさん、今はひとまず落ち着いてください」
「勝世、てめぇも命のやり取りした相手とよくそんな距離でわーわー喚けるな。ある意味才能だぜ」
「ダイさん、例の写真を」
ダイクンより数枚の写真を手渡されたアキラは、自分へとそのうち一枚を差し出す。
両兵は警戒しながら、それを引っ手繰っていた。
「……これは? 何なんだ? 光……が降り注いでいるように見えるが……」
写真の減光処理を間違えたように、白銀の光が大地へと降り積もっていた。
「いえ、それは光でも何でもありません。そうですね、雪、と言い換えていいのかもしれません」
「……雪? おい、これから夏だぜ? 日本は」
「……ですが遠からず、その光景は現実のものとなります。白銀の雪――我々が“光雪”と呼ぶそれに包まれ、日本は壊滅する」
両兵は写真を太陽光に透かす。
トリック写真にしてはその兆候もない。
「……話を聞く必要がありそうだが、言っておくとアンヘルの責任者ってのはオレじゃねぇ。黄坂南ってのが居る。そいつに言うのが筋ってもんだ」
「……恐らく手を回されています。もう既に、黄坂南さんは……」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ、アキラさん! 南の姉さんがそんな簡単にどうこうなるわけがねぇ! あの人だってアンヘルのトップとしてやって来たんだ!」
声を荒らげる勝世の気持ちも分かる。
南が簡単にやられるような人間ではないのは自分が一番よく知っているつもりだ。
「……つーことは、オレが話を聞くしかねぇってこったが……頭の出来はよくねぇ。手短に頼むぜ」
「……では、車の中で。走りながらなら、少しは落ち着いて話せます」
「じゃあ、オレはアキラさんの隣の助手席に……いえ、あなたを守り抜く、生涯の助手席へと……!」
なびこうとした勝世の靴をダイクンが踏み抜く。
「アキラさんに近づくんじゃないんだな! この野郎!」
「何だと! チビ助が!」
「……おい、勘弁してくれよ、てめぇら……。そんな場合でもねぇんだからよ」
「安心してください。助手席には小河原両兵さんに座ってもらいます」
「「何だと!」」
「あー、うっせぇ。つーか、オレの名前、筒抜けなんだな。これじゃ形無しってもんだぜ」
微笑んだアキラは車のエンジンをかけ、両兵は警戒心を解かないまま、助手席へと滑り込む。
後部座席には勝世とダイクンが牽制し合いながら座ったが、そちらは気にしなくてもよいだろう。