「決裂した両者は、しかし、全員の意見を汲んだわけではありませんでした。キョム側にもグリムの眷属の一員となった者や、その逆も然り。お互いに最終的な部分で袂を分かつことはできなかったのでしょう。その結果が、《ダークシュナイガー》を含む先鋭模造品の改修」
あの時遭遇した《ダークシュナイガー》はキョムのものではなく、グリムの眷属の尖兵であったわけか。
「だがよ、矛盾点も残るぜ。《ダークシュナイガー》は破壊されたし、乗っていたJハーンの野郎も死んだ。その上でどうして……東京を支配しようなんて思うってんだ?」
「……唐突ですが、小河原両兵さん。あなたは自分が、たとえば落雷で死んだ後、その余剰エネルギーで再生された自分が、同じ人間だと証明できますか?」
本当に出し抜けに放たれたものだから、両兵は考えを巡らせる。
「……何だって? それってつまり……死んでも蘇っちまえば同じってことか?」
「ざっくりと言えば。どうです?」
熟考の余地を差し挟み、両兵は応じていた。
「……時と場合によるとしか言いようもねぇが、それこそ人間感情の話だろ。繋がっていると信じたければ、同じ人間なんだろうしな」
「グリムの眷属はそれを実行しています。Jハーン……グリムの擁する戦闘兵士はいつでも量産され、その上で記憶の共有も行っている。それは何も、Jハーンだけではないのです」
「敵の兵力がその一体とは限らねぇって話か。だとしても、一度勝った相手なら――」
「それも。違うんですよ……。あなた方には残酷な真実になるでしょうが……」
尋ね返す前にジープは訓練場へと辿り着く。
そこでは既に襲撃を受けた様子の破壊の跡が刻まれていた。
「……酷い目に遭ったもんだな、こいつぁ」
『あっ……小河原さん……?』
《モリビト2号》より赤緒の声が響く。
「おう。悪い、一番ヤベェ時に居られなくってすまんかったな」
すると、赤緒はコックピットを開き、昇降ケーブルで降りて来るなりこちらへと駆け寄る。
「小河原さん……っ! それよりも南さんがぁ……っ!」
泣きじゃくり始めた赤緒に最悪の想定を浮かべたのも一瞬、両兵は宥めていた。
「……まぁ待てよ。オレは……こういう時に役に立たなかったマジに後悔だ。だからよ、そう取り乱すな。今何が起こっているのかもまるで分からんのだろ?」
涙を拭いながら赤緒はしゃくり上げる。
「……その、南さんが負傷していて……顔を見に行ってあげてください。きっと、少しは安心するはずですから」
「分かったから泣くな。……それにしても酷くやられたもんだな。訓練場の人機でも足りんかったのか?」
「……さつきちゃんの《ナナツーライト》は半壊状態……、私たちもまるで攻撃が届いた感じもしません。小河原さん、敵は何が目的なんでしょうか?」
「それに関しちゃ、この姉ちゃんに聞いたほうが早ぇ。……説明は、もちろんしてくれるんだよな?」
アキラは降車するなり、周囲の惨状を認めて首肯する。
「……ええ、それはもちろん。……メシェイル……いいえ、メルJ・ヴァネットさんと、話をさせてもらえますか?」
「……ヴァネットさんと? あの、あなたは……」
怪訝そうにする赤緒に両兵は軽く説明する。
「……当事者らしい。ヴァネットの、って言うとちょっと違うかもしれんが」
「……あの、ヴァネットさん、ちょっと塞ぎ込んじゃっていて……他の人と話したくないって、今も人機の中に」
「……ま、無理もねぇだろうな。柊、黄坂の奴にこの姉ちゃんと話すようにしてくれ。きっと重要なことをあいつなら気付ける」
「お、小河原さんは? どうするんですか?」
「……オレはちぃと、ヴァネットと話がある。あいつの心をどうこうできるかは分からんが、誰とも話したくないって言うんなら、オレみてぇな奴が適任だ」
赤緒はアキラを南が居ると言う医務室へと案内していた。
自分はと言うと、格納庫で今も整備作業が成されている人機を見渡す。
「……おう、両兵じゃねぇか。困るんだよな、メルJの奴……」
シールがタラップを駆け下りてゴーグルを上げたので、両兵はそれとなく尋ねる。
「……《バーゴイルミラージュ》の中か?」
「……ああ。状況は……」
「半分程度だな。グリムとかの連中が仕掛けて来たってことと、《ダークシュナイガー》が……」
「小河原君? ……どうしよう。メルJさん……相当に参っているみたいで……」
月子もこちらへと歩み寄って、困窮している様子であった。
両兵は後頭部を掻いて、タラップを上がっていく。
「両兵。……メルJの奴をどうにかはできるのかよ」
「分からん。分からんが、誰も近づかせるなってあいつが言ってンだろ? ……オレ以外じゃ傷つけ合うだけだ。それも、現状まずいだろうが」
「……かもな。頼んだぜ、両兵」
作業に戻るシールたちを横目に、両兵は嘆息をつく。
「……頼んだ、か。オレだってだが、万能でもねぇ。……どうにかできるかどうか五分五分ってところだな」
《バーゴイルミラージュ》のコックピットを開くと、血続トレースシステムの座面にメルJは座り込んでいた。
身を抱え、平時の彼女と地続きとは思えないほど、丸まって小さくなっている。
「……ヴァネット……」
「小河原、か。……酷いものだろう。あの時、振り切ったのだと思い込んでいた。お前と一緒に、討ったのだと。いや、そう思いたかっただけなのかもな。都合のいいことを、押し付けていたのだろう」
「……グリムに、Jハーンに関して言えば、分からんことのほうが多い。お前の力が必要になってくる」
「私の? ちゃんちゃら可笑しいな。……私の力なんて、何になるって言うんだ」
「じゃあ、いいのかよ。いじけて、今は一人になりてぇってか? ……そんなこと、時間も状況も許しちゃくれねぇ。ヴァネット、お前の力が必要なんだ」
もう一度、今度は懇々と言い聞かせるようにして繰り返す。
だがメルJは殻にこもったままであった。
「……何が必要だって言うんだ。奴らが黄坂南を撃った時、私は何もできないで……」
「……だからってよ。こんなところでウジウジしてンのが、オレの知ってるメルJ・ヴァネットかよ、ってンだ! ……お前だって、変わりたい、そう願ってるんじゃねぇのか!」
つかつかと歩み寄り、真正面に回り込んだところで、メルJは顔を背ける。
「願ったさ。願ったとも……だが、悪夢は消えてくれないんだ。Jハーンは、まだ生きている。それだけじゃない。私には分かるんだ……。Jハーンを倒せばいいだけでも、なくなっていることが……」
「……今に立花や黄坂が作戦を立ててくれる。関係者だって言う姉ちゃんとチビも見つけた。……もう一度、ハッキリと言うぜ、ヴァネット。お前の力が、今はどうしても必要なんだ」
「……やめてくれ。私に期待しないでくれ。どうしようもない……奴らの、グリム協会の連中と戦って、勝てるなんて……」
「じゃあどうすんだ! このまま、敵が仕掛けてくんのを、指くわえて見てんのが、お前の役割だってのかよ! ……オレはあの時、敵相手にアンシーリーコートを決めた、強いメルJ・ヴァネットを知ってる。オレや柊たちを信じてなくっちゃ、できない芸当だ。何度もそんな風に命を懸けろとは言わねぇ。ただな、てめぇの因縁だろうが! 他人任せでいいのかよ!」
「いいわけがないだろう!」
こちらの手を振りほどいたメルJの頬を熱い熱が伝っていた。
「……いいわけが……ない……」
泣きじゃくるメルJはこれまで誰にも見せなかった弱さなのだろう。
きっと、Jハーンを倒した後も無茶をしてきた。
少しでも真っ当になろうと努力してきたはずだ。
だが、ここに来て今一度、自身の過去を向き合う必要があるのならば、それは彼女自身の力でなければいけない。
誰かに棚上げして、それで自分は後ろに引いていい理由にはならない。
「ヴァネット! もういっぺん、立ち上がってみろ! お前自身の力で、強く立ってみろよ! その覚悟があるんなら、何回だって付き合うぜ。……どれだけ過酷な運命だろうとな。お前が望むんなら、オレは何度だって……!」
茫然としたメルJは、それでも、と声にしていた。
「……私は、勝てないかもしれない……」
「前にも言ったな? オレは強化パーツじゃねぇ。だから都合のいい戦闘結果を引き寄せられるわけでもねぇ。ただ、てめぇが悔しいって、抗いたいって願うんなら、挫けるその時まで一緒に居てやる。挫けて、涙を拭いて、その後に何がしてぇって……お前の心が願うその時まで、傍に居てやる」
「……私、は……。もう、誰も巻き込みたくはない。だが……お前たちに頼らなければ、何もできやしないんだ……」
「そりゃあ、そうだろうさ。人はそう強くもできちゃいねぇ。だから、一緒に居るんだ。そうだろ」
メルJはようやく面を上げていた。
涙に塗れた、酷い顔だ。
それでも、彼女は今、前を向くことを選択していた。
「……小河原。私は……もう一度だけ、過去と向かい合う。その時に……トーキョーアンヘルのみんなを、巻き込んでしまうことが怖い」
「柊たちだって充分に強くなってる。てめぇ一人に背負わせやしねぇさ」
「……だとしても、私の過去だ。できれば……」
そこから先を両兵はメルJの頭を撫でて遮っていた。
「……そこまで思い切れりゃ、充分だ。行くぞ」
身を翻す。
メルJは放心しているようであった。
「……泣き言を、聞いてはくれないんだな」
「あのな、生きてりゃ、何度だって泣き言を聞く余裕はあらぁ。今は、生きろ。生きることを考えて、そっから涙だろうが、恨み節だろうが、何だって聞いてやる。オレの知ってるメルJ・ヴァネットは、いちいちそんなことに足を取られるような操主じゃねぇ」
「生きて、か……。小河原、お前はいつでも前を、向かせてくれるんだな」
「阿呆。てめぇの力だ、前を向くかどうかってのは。顔を拭いてからでいいな? 立花たちが勝てる方策を作ってくれている」
「……いいが、拭くものがない」
「じゃあ、これでいいだろ」
コートを差し出すと、メルJは何度かしゃくり上げて、それから小さくこぼす。
「……酷いにおいだな、これは」
「悪かったな」
「……だが、何でだろう。安心もするんだ。……お前のにおいだ、小河原」
「……そうかよ。じゃあマシな顔になったら、とっとと行こうぜ。あいつらが待ってる」
メルJはコートに顔を突っ伏してから、思いっ切り鼻をかんでいた。
別にそれでもいい。
己の弱さを飼い馴らせとも言わない。
ただ――前を向かなければ戦うこともできないだろう。
「……世話をかけた」
向き直ったメルJの鼻頭は赤らんでおり、目尻も腫れている。
お世辞にもいい顔とは言い難いが、今の彼女にとっては上々のはずだ。
「……よし。もう一度だけ……てめぇの過去に、とことんまで付き合ってやるよ」