JINKI 255-6 譲れない意地で


 諜報員である自分には、これがどれほどの事態なのかが痛いほど分かる。
「日本に潜んでいる連中だけじゃ、ねぇ……。世界中の勢力図が塗り替わるぞ……! これが、敵のやり口だってのかよ……!」
「……グリムの眷属にはここまでの備えがあったんだな。だからこそ、アンヘル相手に宣戦できた。その意味を理解するんだな」
 ダイクンの言葉に勝世は振り返り様にその襟首を掴み上げていた。
「おい! チビ野郎! 教えやがれ! どうすれば勝てるんだ! てめぇらは勝てる算段があるから、オレらに接触して来たんだろうが!」
 ダイクンはもがき、それから言いやる。
「く、苦しいんだな……! そんなものがあれば……オラやアキラさんが……お前たちなんかを頼るはずがないんだな」
 まさか、と勝世は脱力する。
「……ない、ってのか? 現状、勝てる手段が……」
 ダイクンは襟元を整えてから、頭を振っていた。
「……分かりやすい答えがあれば、もう実行してるんだな。それができないと言う意味を、少しは噛み締めて欲しいんだな……」
「だ、だがよ……! これまでは何とかなって来ただろ! これからだってそのはずだ! グリムの眷属だか何だか知らねぇが、そんな簡単に首都を落とすなんざ……」
「何度も言わせないで欲しいんだな。“光雪”が降った地域は、あますことなく、その現象の対象となる。――ライフエラーズ。ヒトの命の営みを拒む、ロストライフ化よりもなお色濃い生死の反転へ……」
 ダイクンの言葉には嘘の兆候もない。
 彼は心の奥底から、この現象を阻止するべく行動していたのだろう。
 行動して、その結果がこれなのだ。
 勝世は踵を返そうとして、ダイクンに呼び止められる。
「……どこへ行くんだな」
「……オレの上司に、友次って言う胡散臭ぇオッサンが居る。その人に聞けば、打開策も見つかるはずだ」
「……何をしたって無駄なんだな。“光雪”が降れば、ヒトの生命活動は休止する。死んだ後に、どうなるのかまでは……言うまでもないんだな」
 車中で聞いた真実がそうならば、自分にできることなど微々たるものなのだろう。
 しかし、と拳を骨が浮くほど握り締める。
「……だからって、何もしねぇ言い訳になんて、なるかよ……! オレは最後まで抗わせてもらうぜ。それが、今この瞬間を生きる、人間の証ってもんだ!」
 ダイクンは帽子の鍔を下げて、ぼそりとこぼす。
「……そうならないために、アキラさんとオラはここまで策を講じてきたんだな。何も、この極東国家だけじゃないんだな。気象兵器である“光雪”は、条件さえ揃えばどこにでも降らせることができる。ロストライフ化の条件である黒い波動をいちいち見つけるなんてことよりもよっぽど簡単で……そしてコストもないんだな。グリムの眷属はずっと、この瞬間を待ち望んでいたんだな」
「じゃあてめぇは……アキラさんも、てめぇ自身もここで、諦めるってのかよ!」
 自衛隊の待合室に重々しい沈黙が降り立つ。
 ダイクンはこちらへと視線を合わせず、目線を伏せる。
「……全ては決まったことだったんだな。もう、転がり出した石。どうしようもないんだな」
「冗談じゃ、ねぇ! キョム相手にここまで気張ってきたみんなの努力を、無駄にして堪るかってんだ! オレは……最後まで、戦うぜ! そりゃあよ、両兵のバカみてぇな操主としての勘もなけりゃ、ゴキブリ並みの生命力もねぇ。……ねぇよ、オレには」
「じゃあどうするんだな。ここから先は、ただの人間が介入できる領分を超えているんだな」
 確かに。
 決死の思いで日本までやって来たアキラとダイクンの覚悟に比べれば、自分の覚悟など塵芥だろう。
 それでも――自分から投げることだけは、絶対にしてはならないと、魂の根が叫ぶ。
「……分かり切ったこと、言ってじゃねぇ! オレはいい女のためなら、どれだけだって無茶してやる! それがオレの浪漫ってもんだ!」
 どれだけ無茶無策でも、ここで諦めて死に絶えるくらいなら、最後まで喰らい付いてみせよう。
 その気概に対し、声が迸っていた。
「――よく言ったじゃんか。勝世」
 待合室の前に佇んでいたのは、メカニックの二人だ。
「……シールさん、月子さんも……?」
 シールは顎でしゃくり、こちらを招く。
「来な。そこまで言うんなら、こっちにだって考えくれぇはあるんだよ。……しっかし、てめぇがそこまでのたまうなんてな。いつもは、できれば命大事に、だろ?」
「……ああ、そう……なんだろうな。だが! 腰が引けたところを、アキラさんに見せてられっかよ! 姉さんだって負傷してんだ、オレはやるぜ」
「度胸は聞いた。作戦は……エルニィの口から聞きな」
 歩み寄ろうとした自分へとダイクンは躊躇いがちな声を発していた。
「ど、どうするって言うんだな……。もう無理なんだって……分かり切ったはずなんじゃ……」
「……チビ野郎。てめぇだって男だろ。だって言うんなら、守らなくっちゃいけねぇ線を一つや二つは持ってるはずだ。オレにとって、ここが譲れねぇラインだった、それだけの話さ。……本音言や、逃げたほうが楽なんだろうぜ。けれどよ、アキラさんに誓えねぇだろうが! いい男ってのは……いいか、よく聞いとけ。いい男ってのはよ……! いい女を守り通す! そう誓えて初めて、男の価値ってのが上がるってもんだ!」
 勝世は駆け出していた。
 もう振り向きはしない。
 たとえ間違いであろうとも、自分が決めた信念を貫き通すのが男の在り方だろう。

「――揃ったね」
 窓を叩く風圧と、そして季節外れの雪は明らかに異常気象だ。
 夏も間近だと言うのに、室内温度は既に十℃を切っている。
「……現着したぜ、エルニィ」
 赤緒は振り向くとシールと月子に連れ立って訪れた勝世を視野に入れていた。
「よし、じゃあ作戦を練ろうか。……とは言っても、つい先ほどの話。キョムが撤退した。これがどういう意味を持つのか、分かんないわけないよね?」
「……キョムでも勝てない……って判断したってことですか?」
 こちらの問いかけにエルニィは首肯する。
 傍らには負傷した南が車椅子に腰掛けて同席していた。
「この事態に対し、動き出すのは何も私たちだけじゃない。各国の諜報機関をはじめとする……人機戦術を組み込んだ人々。そう言った連中が、一斉に活動を始めるでしょうね」
 南の確証めいた言葉に、赤緒は震えていた。
「けれど……東京中枢は相手が陣取っているのよ。私たちが動かない限り、他の勢力が先んじられるとは思えないけれど」
 ルイの疑問に赤緒も続いていた。

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