JINKI 255-6 譲れない意地で


「……そう、ですよ。東京の専守防衛は私たちの役目だった……そのはずですよね?」
「……ええ、公には、ね。けれど、相手はまず自衛隊の訓練場を襲い、そして東京タワーを中心として陣を組んでいる。他の諜報機関に情報が渡っていないとも思えない。既に各国は動き始めているでしょうね。キョムの擁する八将陣の内、二名が相手の味方に付いているのも大きい。キョム内部での軋轢、と見ることもできるでしょう」
「そうなると……私たちだけの力じゃ……」
 さつきの弱気になりかけた言葉は、何も絶望的な状況下だからだけではない。
 先刻の戦闘で、《ナナツーライト》を半壊させられ、彼女自身強い忌避感があるはずなのだ。
 幸いにして大きな怪我はなかったものの、トラウマは計り知れない。
「“光雪”が降っているのは現状、東京都内全域。そう簡単に逃げられないってことと、それから推測するに、相手が三日と宣言したのは日本全土を包み込むのに必要な時間、……ってことだと思う。つまり、猶予は全くないんだ。早々に決着をつけないと、どうしようもない」
「つまり……かなりまずいってことじゃ……」
 赤緒の懸念にエルニィは参ったとでも言うように両手を上げる。
「まぁね。このままじゃ、よくてこう着戦。悪けりゃ何もできずに終わる、ってところかな。……それにしたって気象兵器か。あまりにも突拍子もないけれど……そっちの。アキラ、だっけ? さっき説明してくれたの、みんなにもできるよね?」
 歩み出た白い軍服を纏う女性――アキラは一礼し、それから資料を卓上に広げる。
「……私たち、“グリムの遺産”と呼称される者たちには、今次作戦は予め伝えられていました。それは私たちの身体的な能力に依拠しているからです」
「……身体的な能力……って」
「はい。私たちは……グリムの人造人間。そして、あなた方と同行するメルJ・ヴァネット……彼女と同系統の措置を施されています」
「同系統の、措置……」
「……みんなには改まって言うことじゃないかもしれないけれど、メルJは……あの子は負傷しても肉体の成長速度を引き上げて自ら治療する……。ナノマシン技術に近いものを内蔵されているのよ。それが彼女らにとっては、同じような措置として施されている……そう思っていいのよね?」
「……はい。証明は難しいですが、たとえば……」
 アキラはカッターナイフを取り出し、それで指先を軽く切る。
 血が滴り、さつきが顔を青くさせた。
「大変……! すぐに治療を……!」
「いえ、大丈夫なのです」
 その言葉通り、血は数秒後には止まり、切ったはずの皮膚でさえも修復されていく。
 絶句した自分たちへと、アキラは寂しく微笑む。
「……これが私たち、グリムの遺産の忌むべき証。そして彼女……メルJ・ヴァネットはこの刻印を施されし、“J”の意志を継ぐ者」
「……ボクも聞いたけれど、にわかには信じられない。だって、その論法で言えば……」
 赴くところを恐れるように、エルニィは言葉を詰まらせる。
 しかし、アキラは無情にも言い放っていた。
「……はい。彼女はJハーンの妹――メシェイル・イ・ハーン本人では、ないのです」
 衝撃的な告白に、赤緒は思わず息を詰まらせる。
「……ま、待ってくださいよ! ……ヴァネットさんが、Jハーンの妹じゃ、ないって……」
「言葉通りの意味です。彼女はメシェイル・イ・ハーンの記憶と記録を元に造られた、私たちのフラッグシップとなる、人造人間。“J”の女性型試作モデル。……皮肉なことに、復讐に生きた彼女本人ではないのです。まるで影法師のように……その意志だけを引き継ぎ続ける……亡者のように……」
 その言葉が紡がれた瞬間、赤緒は思わず振り返っていた。
 両兵と共に訪れていたメルJ本人が――驚愕に目を見開いている。
「……ヴァネットさ……」
 呼びかける前に、彼女は駆け出していた。
 その背中へと追いすがる前に、両兵が立ち塞がる。
「小河原さん! ヴァネットさんを……追わないと……!」
「今は。今は追うな、柊。……あいつなりのケジメのつけ方がある」
「小河原さん……?」
 両兵は平時ならば、メルJと共に行くことを許してくれたはずだ。
 だと言うのに、今の両兵の面持ちは昏く沈んでいる。
「……両兵! 今の、メルJは……!」
「ああ、聞いたみたいだな。……もっとも本人にしてみりゃ、何となく予感はあったみてぇだが」
「小河原さん! ヴァネットさんを一人にはさせられませんっ! 追わせてください!」
「……駄目だ。ヴァネットは一旦……ケリを付ける必要がある」
「でも、でもでも……っ! 今独りになって、どうするって言うんですかぁ……っ! 今だけは……一人にさせちゃ、いけないのにぃ……っ」
 悔恨を噛み締めた赤緒は涙が頬を伝うのを止められなかった。
 メルJが――彼女が抱える痛み。
 それを肩代わりはできなくとも、一緒に背負うことはできる。
 それくらいの絆は育めてきたと思いたいのに。
 現実は無情にも、距離を遠ざける。
 彼女の痛みに触れることなど、誰にも敵わないとでも言うように。
「……両兵。お前の答えはそれだって……そう思えってのかよ」
 歩み出た勝世の言葉に両兵は応じる。
「ああ。……オレにできる精一杯のつもりだ」
「……そうかよ」
 勝世が懐から取り出したのは、黒光りする拳銃であった。
 照明を照り返すそれが、今だけはどこか悪い夢のように浮き立っている。
「……勝世……さん……?」
「退いてくれ、赤緒さん。オレはこいつを……両兵の野郎を撃たなくっちゃいけねぇ」
「ま、待って……。待ってください……。そんなこと……そんな悲しいこと……」
 止めようとするのを、両兵は一歩前に出て、その拳銃を左胸へと引き寄せる。
「やるんだな? 勝世。なら、オレの心臓はここだぜ。外すなよ」
「……両兵。こうなっちまうこと、何となくだが……オレは予感していた気がするよ。その時のために、撃てるように、ってな。赤緒さんたちの手は汚させねぇ」
「……撃てよ。てめぇには、その権利がある」
「……やめ、て……やめてください……」
 どうしてなのだろう。
 叫び出せれば、満身から声を発して止められればよかったのに。
 純度の高い殺意に中てられたかのように、自分の声は喉の奥でひりつく。
「……後悔するぜ……って言えりゃ、少しは真っ当だったんだがな。悪い、両兵。オレは女を泣かせる、てめぇを許せそうにねぇ」
 引き金が絞られようとした、その瞬間。
 一秒が永劫に思えるほどの時間が経ったその刹那。
 白銀の雪が降り続ける都内に向けて、訓練場より機体が翼を翻す。
「……皆さん! 今しがた、《バーゴイルミラージュ》がスクランブルを! ……許可はなされたんですか!」
 大慌てで割り込んできた自衛隊員の声に、赤緒は涙の相貌で震撼する。
「……あいつ……! 先走りやがって……!」
 両兵の浮かべた悔恨に、勝世が口を差し挟む。
「……ケリを付ける、ってのは、こういうことだったじゃねぇのか?」
「……ああ、そうだよ。そう……思えていたはずだったんだ。けれどよ、想定と実際とじゃ、全然違ぇもんだろ……こういうのってのはよ……!」
 両兵はメルJなりの決着の付け方を邪魔する気はなかったのだろう。
 ただ――あまりにも事態は、想定するよりもずっと悪く。
「……両兵。行くぞ」
 拳銃を降ろし、勝世がその瞳に問い質す。
 両兵は眼光を衰えさせずに、応じていた。
「……立花。悪ぃ、スクランブル用にナナツーを一機、貸してくれ」
「……そう言い出すと思って、アイドリング状態の《ナナツーウェイ》を一機、格納庫に配置済み。けれど、両兵。本当にこれでよかったの? ボクらが……そりゃあどうしたって、メルJの傷を癒せやしないけれどさ。それでも……違うやり方があったんじゃ?」
「……オレらが分かった風なことを言ったって、あいつを納得させられるかよ。……あいつ自身の手で、選ばせてやりたかったんだ。せめて自分の宿命くらいはよ。けれど、無茶するってンなら、話は別だ」
 身を翻そうとした両兵のコートを、赤緒は咄嗟に掴んでいた。
「あっ……私、何で……」
 自分自身でも当惑があったが、両兵へと、赤緒は言葉をかける。
「……生きて……帰って来てくださいね……」
 今生の別れと言うわけでもないのに、そんな言葉が漏れたのはどうしてなのだろうか。
 両兵はこちらの眼差しを認めてから、いつもの憎まれ口を叩く。
「……当たり前だろ。ヴァネットだけを行かせられるかよ。オレが思っていたよりも、少しだけ直情的な馬鹿だったってだけだ。勝世、久しぶりでも上操主、できンな?」
「てめぇだけにいいカッコさせねぇよ。……赤緒さん、それにみんなも。オレらでヴァネットは何とかします。だから……少しだけ、帰りを待っていてください。それから、アキラさん」
 付け加えた勝世に、アキラが戸惑いの眼差しを向ける。
「……私……?」
「あんたも、です。……大切に思っている人が居るんでしょう。なら、そいつからいつまでも、視線を外している場合じゃ、ないでしょう」
 その言葉の意図はどういうことだったのだろうか。
 赤緒には判じられなかったが、アキラには分かったのだろう。
 ハッとしたように彼女は涙ぐむ。
「……はい……」
「……赤緒。今は」
 エルニィに肩を掴まれる。
 今は戦地へと赴く二人の背中を呼び止める言葉は、自分の中には一つもなかった。

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