JINKI 255-11 男の意地を貫く

 沈痛に面を伏せたアキラに、勝世は何だかな、と後頭部を掻く。

「……別にアキラさんに無茶して欲しいわけじゃないんすよ、オレは。ただ、得心ってものは話としちゃ全くの見当違いって奴でね。あんたらがグリムの眷属を倒す……その最終手段のためなら手を汚すのも厭わない、その覚悟は分かったぜ、尊重しよう。だがな、理解ってもんを端から諦めているその顔は、納得できねぇって言ってんだ」

 作戦指示書には既にエルニィと南が調印済み。

 自分がどれだけ抗ったところで、この作戦は遂行されるのだ。

 ただの一諜報員でしかなく、操主としては半端者もいいところの自分には何もできない。

「……何を言いたいんだな……。アキラさんは……これでも辛い決断を――」

「短足デブ。ちと、ツラ貸せよ」

 言葉を遮って勝世は顎をしゃくる。

 ダイクンは想定外とでも言うようにうろたえていた。

「お、オラ……を?」

「おう、お前以外に他に居るか? 短足デブ。《ビッグナナツー》の甲板上なら、“光雪”の影響は受けねぇ。そこで話がある」

 ダイクンは一度アキラに目配せしてから、こちらの提案に首肯する。

 既に夏が差し迫った湿気は消え失せ、東京都心の気温は氷点下に近づきつつあった。

 雪が降れば当然――だと言うのに、いやに首筋には汗ばかり掻く。

 一刻も早く、事態を好転させなければいけないというプレッシャーが《ビッグナナツー》艦内に満ち満ちていた。

「……何のつもりなんだな……。オラをこんなところに呼び出し――」

 その言葉が終わり切る前に勝世は拳を振るっていた。

 ダイクンの頬を捉えた一撃が食い込み、その矮躯を転げさせる。

「な、何なんだな……! 不意打ちなんて……!」

「うっせぇ! 何だ、その腑抜けたツラは! てめぇ、何のつもりでアキラさんに付いて来たってんだよ! この世の終わりみてぇな顔しやがって……!」

 続いて振るった拳をダイクンが受け止め、言葉を振り絞る。

「だ、だって仕方がないんだな……! アキラさんが、アンヘルに協力するって決めたんだな! オラにはそれを邪魔することなんて……!」

「違ぇだろ! 一度でも惚れた女があんな顔してるのに、てめぇは何もできねぇって言うのかよ! それが男のすることか!」

「な……っ! お、男だから……分かるから辛いんだな! それを後からやって来たくせに……偉そうに言うな、だな……!」

 ダイクンが拳を振るう。しかし、その抵抗は避けるまでもない。

「何が偉そうに言うな、だ! 本気なら根性見せてみろ! マジに世界が終わるってなってから、てめぇはどうしたいってんだ! 遠くから眺めて幸せそうなら満足か? オレは御免だね! 腰の引けた野郎の横っ面見せられ続けるのはよ……! 男として我慢ならん!」

「そ……そんなに吼えるんなら、やってみろって言うんだな! お前は……ここに来るまでどれだけ……アキラさんが苦しんだのか、知りもしないで言ってるんだな!」

 ダイクンが肉体を変移させ、身の丈を超える巨躯となってこちらを見下ろす。

 しかし、勝世は逃げなかった。

「へっ……来いよ、ポンコツ野郎。変身したら想いを言えるように成れるってのならな」

 挑発したこちらに対し、ダイクンは一切躊躇しなかった。

 拳が、蹴りが、これまでとは桁違いの痛みが食い込み、肉体を走る。

 それでも勝世は膝を折らなかった。

「分かった風なことを言うな! アキラさんが……どれだけ辛かったのか……お前には分かるわけがない! あのメシェイルだってそうだ! 逃げ続けていたんだ、奴は! 自らの宿命から! そんな軽率な逃避が、こんな事態を招いた!」

 ダイクンの鉄拳が鳩尾に叩き込まれる。

 勝世は奥歯を噛み締めて、その痛みを受け止めていた。

「……誰かのせいにしてりゃ、まだマシかよ……。そんなつまんねぇ男なら、アキラさんの隣に居る資格は、ねぇな……」

「お前に何が分かる!」

 ダイクンの手刀が横腹を捉える。

 あばら骨が何本か砕けたのが、鋭敏な痛覚で伝わって来ていた。

「アキラさんは……いつだって悔いていた! 自分が強ければ……自分さえ彼らに立ち向かう力があればって……! そんな横顔を何日も、何十日も……何百日も見てきたんだぞ! それなのに言えるって言うのか! そんな人に、何をこれ以上強いるって言うんだ……!」

 その膂力に吹き飛ばされる。

 勝世は口中に滲む血の味を噛み締め、立ち上がる。

 今にも萎えそうな戦意に力を通し、拳を握り締めていた。

「……んな近くに居たって言うんなら、余計にだろうが。何で言ってやらねぇ! 何でもっと早くに助けてやらねぇ! ……何でもっと違う選択肢があったはずだって……同じ目線に立ってやらねぇんだ! 男だろ!」

「男でも……どうしようもないことだってある!」

 こちらの打ち込んだ拳の何倍もの威力で、ダイクンは返答する。

 普段ならもうやめていた。

 もう、立ち向かわなかった。

 もう――こんなことは無駄なのだと、そう規定できればどれほどに楽か。

 しかし、戦意は消えない。

 勝世は何度目かの意識が途切れる寸前で、また立ち上がる。

 己の芯に熱を通して。

「……何で、そうまでする……。お前にとって、アキラさんは昨日今日会ったばかりの人だろうに……!」

「ああ、そうだ。だがな、一つだけ覚えとけ。……昨日、笑顔が綺麗だと思った女が、今日泣きそうにしてるんだぞ……! そんなツラ見せられて、じゃあはいそうですか、って黙ってられるかってんだ! てめぇだってそうだろ! 男の魂見せろ! お前のその馬鹿デケェなりは何のためだ! その力の使い方一つ、アキラさんに教えられなくっちゃできねぇってのかよ……!」

「う、うるさい……! そんな単純にできちゃいないんだ!」

「単純上等。……来いよ、臆病者。一発打ち込んで来い」

 口角を釣り上げて手招くと、ダイクンはうろたえる。

「……何で、そんな状態で、笑えるんだな……。イカレてるんだな……」

「……だろうな。だがよ、オレは何度も……何度も死にそうにはなってきた。カラカスだってそうだ。あの時……ほとんど何にもできなかった、自分を悔いたぜ。だがよ、後悔だけじゃ前に進めねぇんだ。南の姉さんも……みんなそうだ! 痛みと共に在る! だって言うんなら、オレだけ無頼漢決め込めるかってんだ! それこそ男が廃る!」

 巨体に変身しているはずのダイクンが後ずさる。

 恐れを宿した子供のように。

「……何で……ただの人間のクセに……。そこまで思い切れるんだな……。死んじゃうんだな……」

「死が怖くねぇとは言わねぇよ。オレは両兵の馬鹿ほどの生命力もなけりゃ、他のことで抜きん出ているほどでもねぇ。ただただ、前線が嫌で、自分でもビビっちまうほどの臆病な、腰抜けさ……。けれどよ、腰抜けなりに意地の見せ所ってのはあるだろ。……赤緒さんたちが気張るってんだ! なら、オレが何もしねぇのは、それこそ嘘だろうが……!」

「……こ、腰抜けだって言うんなら、何で立ち向かうんだな……! ここで死んじゃうかもしれないんだな……」

「……もう一つ、覚えとけ。馬鹿になっちまうってのは案外、難しくってよ。……両兵の野郎は、それを自前の根気で飼い馴らしてやがるが……頭が回っちまうってのは不幸だよな。ああ、馬鹿なことをしてるってのは分かるんだよ。お前に立ち向かったところで、誰かが浮かばれるわけでもねぇ。それどころか、ただ単に自己満足……自己陶酔なんだってことは、てめぇが一番分かってる」

「だ、だったなら……!」

「だからって退けると思ってんのか? ……お前とアキラさんだけの宿縁じゃねぇ。もう、アンヘル全員のものなのさ。自分だけ地獄を見てきたみてぇなツラは見飽きてんだ。そのデカい身体は何のためだ! その拳は何のために付いてるってんだ! ……大事なものを……もうこれ以上取りこぼさないためだろうが! お前が臆病風に吹かれようが、オレはやるぜ! ああ、やってやる! だってよ、もう幻滅されたく……ねぇだろうが」

 勝世が拳を振るい上げる。

 ダイクンの鋼鉄のような表皮にはまるで届かない、ただの弱々しい一撃であったはずだ。

 だと言うのに、応戦の鉄拳は飛んでこない。

「……何で……なんだな……。何で……お前は……オラの言いたかったこと……全部言ってくれるんだな……」

「さぁなぁ……。似た者同士なのかもなぁ、癪だが。前を行くのが怖いからって、後ろ後ろに逃げてったら、いずれはどん詰まりさ。けれどよ、そのどん詰まりでも、ああ悪くねぇって思える居場所ってのはあるもんだろ。オレは今の居場所が悪くねぇって思ってる。本当なら、トウジャに乗ってあいつの傍に居てやるべきだったんだろうな。けれど、そんなのは今さらの後悔だ。……オレはただの勝世さ。勝つための世界を、誰かに見せてやるための……」

 よろめいた勝世をダイクンが受け止める。

 最早、暴力は意味がないのだと悟ったのだろう。

「……何で……お前は、オラよりもよっぽど弱いって言うのに……」

「弱いなりに……何でなのかな……。処世術って言うの、身に付いてるのかも知れねぇ。だからよ、オレは諦めねぇぜ……。アキラさんが振り返ってくれる……まで……」

 勝世はダイクンに寄りかかって今一度、拳を作ろうとする。

 だが、まるで力が入らず、腑抜けた拳を振るい、そのまま甲板の上で倒れ伏していた。

「……オラはお前に……勝世……お前に……」

「よせ、よ……。野郎からのラブコールなんざ……お呼び、じゃ、ねぇ……」

 とは言え、最後くらいはいい目を見たかったな、と願う自分の耳朶を打ったのはアキラの悲鳴だった。

「何を……何をやってるんですか……! 勝世さん! ダイクンさん、これはどういう……」

「お、オラは……」

 しどろもどろになるダイクンに、勝世は片手を上げて制する。

「アキラさん……男にしか分からない領域ってもんが……難儀なことにこの世には……あるんすよ。だから、この野郎と……オレは、戦わなくっちゃいけねぇ。男同士、ゲンコでぶつかり合わなくっちゃ、分からねぇこともあるんです……!」

 アキラはこちらの物言いが心底理解できないように後ずさる。

 それも当然か。

 血まみれになって何を言っているのだと思われたことだろう。

 それでも――揺るがぬ想いが胸にあるのならば。

 この言葉は心を打つはずだ。

「……お前、何を言っているのか分かっているんだな……? グリムの眷属が東京を支配する前に、自滅するって……」

「自滅ぅ……? 悪ぃが、そのつもりはねぇよ。ただな……てめぇの曲げられねぇ意地一つ、抱えたまんまなら死んでもいいってのが、男ってもんだ……!」

 だがもう力も入らない。

 拳一つ振るえないまま、掲げただけの手をアキラが包み込む。

「……何でこんなになるまで……。私たちは罪人なんです……! グリムの眷属によって生み出されし遺産……他に何の価値もないんですよ、あなたが傷つくのなんて……!」

「それは……違う。違ぇよ、アキラさん……。笑っていて欲しいってのは、マジな話なんすよ……。オレも、ダイクンもね……」

「二人と、も……?」

 目をしばたたくアキラに、ああ、と瞑目する。

 まったく罪作りな人だ、と自嘲しながら。

「……そういうの、何つーのかな。譲れねぇってのは、一番大事なことのはずなんですよ、だから……」

 だから、笑ってくれと。

 そう言おうとして、勝世は一瞬きの沈黙の後に、手を握っている相手へと言葉を重ねる。

「……アキラさん……。そんなに強く手ぇ握られちゃ、勘違いしちゃいますよ……」

「――そうですかね? どう勘違いをするって言うんですか、勝世君」

 ん? と違和感を覚えた勝世が目を開くと、そこに居たのはアキラではなく――。

「……と、友次の……オッサン……? 何で? あれ? アキラさんは?」

「君が気を失っている間、ずっと付いていましたが、今はトーキョーアンヘルの皆さんにところに。代理で私がベッドの傍に居たんですが、いやはや、間が悪いとはこのことですかねぇ」

「ちょっ……! 手ぇ、離してください! うへぇ……野郎に手ぇ握られて殺し文句言っちまった……」

 吐き気に襲われた勝世へと友次は襟元を正して言いやる。

「……一諜報員にしては随分と割り込んだことを話したそうじゃないですか」

 友次は直属の上司だ。下手な隠し立てをするだけ無駄だろう。

「……そういや、怪我ぁ、マシになってる……」

「アキラさんは軍医の経験もあったそうなので。治療は彼女が」

「……ったく、何つーか、マジに損な役回りだよな。貧乏くじ引きまくってる」

「そうでもないんじゃないですか? ……グリムの遺産と自らを呼称する彼女らの心の扉を開けたのです。誇ってもいいのでは?」

 友次の言葉振りでアキラが何のためにトーキョーアンヘルに掛け合っているのかは半分ほど理解できてしまっていた。

「……あの人、戦いに行くって言うんですか」

「無茶をするものでもないですよ。グリムの改造人間と戦ってその怪我は、まだ奇跡的なレベルなんですから」

「……へっ、分かってるんでしょう。オレだって男なんすよ」

「そうでしたね。……勝世君、君に充てたい人機があります。よろしいですか?」

「そう来ると思ってました。ったく、我ながらハードワークだぜ」

 勝世は巻かれた包帯を掴んで引き剥がす。

 その包帯に記されたメッセージに、目を見開いてた。

「……“私たちのために、ありがとう”か。まだ、感謝をもらうのには随分と早ぇはずです。友次さん、オレ、行きます」

「どうぞ。止めても聞かないのは分かり切っていますから」

「両兵の馬鹿に言うみてぇに言わないでくださいよ。オレはこれでも理性的なんですから」

「理性的な諜報員は改造人間と拳で語り合うなんてしないんですよ。……これを」

 差し出されたのは数枚の作戦指示書であった。

「……目ぇ通しておけってことっすか。オレも作戦の一部に成れること、光栄だと思っていいんですかね」

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