『それはセシルの坊ちゃんに聞きなさい。……《ナナツーシャドウ》の操主はどうするの?』
『君の一存に任せよう、八将陣ジュリ』
『……なら、いがみ合っている場合じゃなさそうね』
《ゴルシル・ハドゥ参式》が向かったのはシャンデリアの頭脳たるメインブロックであった。
自分には同行の許可は出ていないが、拒絶もされていないのが窺える。
ここでの観測者になれと言うのだろうか。
メインブロックの中枢には無数の制御コンピュータと、そしてたった一人の少年が佇んでいる。
『ようこそ。人類の叡智の結晶、シャンデリアへ。歓迎しよう、ドクターオーバー』
『歓迎? 可笑しなことを言う。元々は我々の創った新時代のための方舟だ』
《ゴルシル・ハドゥ参式》のコックピットが開く。
風圧に服飾をなびかせたのは――。
「……同じ姿の……少年……?」
『やはりか。人形師を気取っているんだ。最も適切な形を取るのが順当だろうことは、僕なら分かっている』
『そちらこそ。果たして先に造られた人形はどちらかな?』
一瞬の交錯。それでいて、お互いの腹の探り合いが行われたのは必定。
ドクターオーバーを名乗る少年は襟元を整えていた。
『……随分と多くの人形を造ったものだ。被造物に関してで言えば、わたしに匹敵するだろう』
『それは褒めていただいていると考えていいのだろうかな? ドクターオーバー。あなた自身がまさかシャンデリアに上って来るとは少しだけ想定外だった』
『わたしはただ、全てを支配したいだけだよ。ロストライフも、キョムも下らない。全てを破滅の雪で白く染め上げる。そして、その後に残るのは死者の闊歩する地獄絵図だ』
『存じている。ライフエラーズ計画。“光雪”の降り注いだ地域は、やがて命が消え去り、空っぽの死体たちが終わりを求めて彷徨う』
『そこまで分かっていて、この腰の引け方は何なのだろうな。わたし自身にしては、あまりにも迂闊が過ぎるように感じるが』
なずなの思考回路にはドクターオーバーを名乗る少年と、そしてセシルを名乗る少年はほとんど同じものを見据えているように思われていた。
この二人は悪辣の芽だ。
地獄を描くことに何の躊躇いもない。
それどころか、世界を悪と黒に染め上げることに、悦楽すら感じているのだろう。
『……言っていなかったかな。僕はね、平和主義なんだ。キョムへの抵抗も、なければ余分な命を奪わなくって済む。ロストライフ現象によって世界は平定される。ほら、平和じゃないか』
『詭弁だな。ロストライフに星を染め上げたとしても、その先はどうする? 獣たちが跳梁跋扈する世界で、全能者……神を気取って、それに何の意味がある?』
『それをあなたが言うか。僕と違う道を取ることもできると言うのに、ライフエラーズ計画……どうにも偏狭に映るが』
『……やはり、オリジナルではないわたしでは不完全に見えると言うのか。今に“光雪”は日本全土を覆い、そして日本だけではない、世界を埋め尽くす。その時に地上を支配するのは、わたしの選んだ駒が相応しい』
僅かな沈黙。
しかし絶対の静寂が訪れていた。
『……分かり合えぬ、と言う結論でいいのかな、それは』
『少しは話をしてみるのも一興かと思っていたが……興醒めだ。八将陣、ひいてはキョムを率いるのに、やはり黒の男ほどの恩讐もなければ、その身に宿した闇も浅かろう』
『では、あなたには死んでいただこう。忘れたとは言わせない。ここは僕の領域だ』
全方位から照準がもたらされる。
自律稼働型の《バーゴイル》に包囲されても、ドクターオーバーはうろたえるどころか口角を緩めてみせる。
『……どこまでも……まかりならぬ者よ。わたしに成り替わろうとするのならば警告もなしに撃つべきであった』
ドクターオーバーが指を鳴らすと、《バーゴイル》全機に向けて赤い閃光が照射される。
それだけで、キョムの隊列する《バーゴイル》は脱力したように廃墟の街並みへと墜落していた。
『……電脳を麻痺させた、か。しかし周波数はここに来るまで分からなかったはずだ』
『シャンデリアに訪れたその瞬間から、特定周波数をモニターしていた。それを怠ると思ったか? 紛い物よ』
《ゴルシル・ハドゥ参式》がその巨躯から腕を振るい上げる。
『……セシルの坊ちゃん! 死ぬのをよしとするほど、私だって人でなしじゃ――!』
ジュリが割って入ろうとしたのをセシルは手で制する。
『いや……これでいい』
『……あんた……?』
『死ね』
《ゴルシル・ハドゥ参式》がメインブロックを叩き壊す。
電磁波が拡散され、廃墟の街並みへと全てが崩落していた。
ドクターオーバーが哄笑を上げる。
『何だ、そんなものか! わたしの造り上げた人形は! やはり、絶対者を気取って何の策も浮かべていないなど、どこまでも虚弱! キョムは、これで滅び――』
『――言っていなかったね。人形師の栄冠は、僕にこそ輝く』
セシルの声を引き写し、《バーゴイル》のうち一機が《ゴルシル・ハドゥ参式》の背面を取る。
ジュリにも恐らく理解できなかったに違いない。
事実、なずなも先ほど墜落したはずの《バーゴイル》のうち一機が起き上がるまで、まるで関知できなかった。
プレッシャーライフルの銃口が血塊炉を捉える。
『……まさか、チェックメイト、だと……?』
『この状況で他の可能性を浮かべるほど、あなたは浅薄でもないだろうに』
『だが、何故だ……。今しがた、確かに葬った感触は……』
『あなただけの称号ではない。人形師であり、そして超越者。僕にも微笑んだと言うわけだ。ドクターオーバーの名が』
この場において、両者の実力は拮抗。
否、僅かにその均衡は崩れつつある。
殊、シャンデリア内においてセシルは恐らく無敵。
比して、ドクターオーバーはその優位性を奪われているのが窺い知れていた。
どれほど策を弄しても、セシルには届かないのであろう。
『……ならば、殺せ。それで終わりだろうに』
『いいや、あなたに鉄槌を下すのは、僕の役割じゃない』
プレッシャーライフルの銃口が下げられる。
『セシルの坊ちゃん……あんた、みすみす……』
『いいじゃないか、八将陣ジュリ。彼が地上に降りれば、僕には敵わなかった。それが誰の目にも明らかとなるだけなのだから』
《ゴルシル・ハドゥ参式》の只中で、苦渋を噛み締めているのが伝わってくる。
『……よかろう。ここでの勝負、預けるぞ』
『構わないが、あなたに二度目の栄光は輝くのかな?』
《ゴルシル・ハドゥ参式》が推進剤を全開にして退去する。
それを《CO・シャパール》は銃撃するがどれもこれも牽制以下だ。
『……いいの? 逃がしたけれど』
『大丈夫だとも。彼は自らの手で証明した。ドクターオーバーの名を継ぐのが僕のほうが相応しいことを。それよりも、ミセス瑠璃垣。彼女を野放しにしていいのかな?』
「……まずいですね」
瞬時に黒い防御皮膜を張り、撤退機動に移る。
《バーゴイル》の追撃くらいはあるかと睨んでいたが、それもない。
シャンデリアから降り立ったなずなは、セシルと言う少年の底知れなさに静かに身を震えさせていた。
「……それにしても、稀代の人形師が二人……。これは情報収集不足ですね。どちらかがドクターオーバー本人で、どちらかはただの被造物……そう思われていたはずですが……」
だが今の立ち回りを目の当たりにすれば、嫌でも分かる。
――どちらも本人か、あるいは、どちらも……。
最悪の想定を棄却して、なずなは地球重力圏へと入っていた。
「……報せなければ、いけなさそうですね。こちら、瑠璃垣。暗号通信でシャンデリアの情報を送信します」
『助かる。それで、見極められたかな?』
「……いえ。逆に、迷宮に陥ったような気分です。目の前にしても、どちらが本物で、どちらが偽物なのか、まるで分からなくって……」
『それでいいのかもしれない。裁くのは、彼らでも、ましてや僕らでもない』
「……承知しています。全ては、我ら“ハイド”のために……」