「その……ヴァネットさん。どう、でした? 久しぶりにシュナイガーと会ってみて……」
「……そうだな。あいつとの初対面は強奪であった、と言うのは」
「はい。立花さんから」
メルJは何度か拳を閉じたり開いたりして、過去を回顧しているようであった。
「……シュナイガーを手に入れた時、私はずっと、海を見ていた」
「海……それは今日みたいに、凍えた景色ではなく……」
「ああ、どこまでも青い海原を、だ」
潮風が舞い上がる。
作戦行動まで時間はないため、Rスーツを着込んでいたが、それでも冷え込んでいた。
「……私の原風景に、海ってないんですよね」
「お前は……記憶がないんだったな。三年以上前の……」
「はい。……でも、最近はそれでもいいかなって思え始めていて……」
「それもこれも、アンヘルでの出会いが変えた、か」
「ヴァネットさんも……出会いが変えたものはあるんですよね? だって、こうしてトーキョーアンヘルの一員として、今日まで戦ってくれていたんですから」
「何だ、まるでこの戦いが終われば、私は居なくなるような言い草だな」
「い、いえっ……そういうつもりじゃ……」
心の奥の不安が出ていたのかもしれない。
メルJはフッと微笑む。
「……お前たちを置いて消えたりなんてしない……と、言い切れればどれほどにいいんだか」
「……ヴァネットさん?」
「赤緒。私は、少しだけ怖い」
こうして心情を吐露してくれるのは初めてのはず。
赤緒は黙って聞いていた。
「もしかすると……一度殺したはずのJハーンに……囚われているのかもしれない。私が人殺しをしていないことは……」
「……友次さんから」
「そう、か……。これも形無しと言うものだな。お前たちの前であれほど人殺しだと凄んで見せたと言うのに」
「いえ、でも……ヴァネットさんは誰よりも優しいのは……私、知っていますから。力の使い方、間違えないでくださいね。私、今のヴァネットさんが好きです」
「……弱くなったかもしれないのに、か?」
「弱くっても、諦めなければいいんですから。そうして、みんなで勝ち取りましょう。これは……きっと、勝者の言葉なんですっ!」
「……そう、か。みんなで、か。考えたこともなかったかもな」
「一人で戦ったって辛いだけですよ。……私にも背負わせてください。ヴァネットさんの、色々……」
「一つだけ」
「……はい」
「私の本当の名前は……メシェイル・イ・ハーン……因習と宿業に囚われた、口にするのもおぞましい名前だ……。それも、受け入れてくれるのか?」
「……ヴァネットさんが望むなら、ですっ」
「……そうか。赤緒。この戦いが終わるまで、私は引き絞られた復讐の矢であることを、やめることはできないのだろうな。だから、帰る時までに……考えておく。メルJ・ヴァネットで居るか、メシェイルの名を今一度使うか……。お願いだ、そこまで預けてくれるか?」
「……もちろんっ。ヴァネットさんがしたいように、してあげるのが私の役目ですから」
「……辛い目にも遭わせる」
「それでも、です」
自分の中の答えはもう揺るがない。
それを確認できただけでもよかったはずだ。
「……そろそろ作戦決行だな。赤緒、行くぞ」
「ヴァネットさん。私、迷っていても、それでも前に進もうとする人を、応援したいんです。だから、迷いを捨てる、なんてことは言わないでください。迷っていても、戸惑いの中でも、それでも――」
「――諦めなければいい、違うか?」
こちらの言葉を先回りしたメルJに、赤緒は頷く。
「……はいっ!」
「行くぞ。シュナイガーで出る。今度こそ……終わらせてやる、この運命を」
『――赤緒ー、《モリビト2号》の新装備、どう? 馴染んでる?』
『はい……これなら、何とか作戦通りには……』
『それなら結構。さつきも急ごしらえだけれど、今回は《キュワン》で出て欲しい。《ナナツーライト》の修繕は間に合わなくってゴメン』
『いえ、いいんです。今回が……この子の、初陣……!』
『ルイも、本来はツーマンセルなのに慣れないことをさせて申し訳ない。今回の作戦の要であるところの武装は持たせた通り。ちょっと大仰になるけれど、いけそう?』
『問題ないわ、自称天才。私に全部任せなさい』
『それを聞いてちょっと安心。南、それに友次さんに、ツッキーにシールも。後衛部隊は《ビッグナナツー》への直接攻撃を警戒しての待機。頼むよ』
『分かっているけれど、辛いところね……後方支援って言うのは』
『何言ってんのさ。南はまだ怪我は完治していないってのに作戦に組み込んだんだから、無理だけはしないでね』
『了解。シールさんに月子さんも、《ナナツーマジロ》で牽制、行けそう?』
『あっ、はい。この子たちにも活躍の場を与えないと、ですよね』
『南も無茶すんなよー。これで傷が開いたら誰も責任取れねぇからなー』
『分かっているわよ。私は《ナナツーウェイカスタム》で甲板上を警戒。友次さんも乗ってくれているし』
黒いナナツーがハンドサインを送る。
友次と南が乗っている機体が後方部隊を先導し、甲板上に上がっていくのをモニターの一角で眺める。
『いい? こっちは言っておくとジリ貧だ。けれど、希望はある。分かっているよね?』
エルニィからの通信が全員に接続され、メルJは上操主席で流れていくそれらを聞いていた。
「……ヴァネット、聞いてんのか?」
下操主席に収まる両兵の問いかけにメルJは静かに瞼を閉じていた。
「……聞いている。みんな、すまない。私の勝手な因縁に、付き合わせている……」
『今さら勝手も何もないでしょー。……トーキョーアンヘルが嘗められたままで終わって堪るかって話。ねー、南』
『まぁ、そうよね。米国主導とは言え、首都防衛は私たちの責務なんだし。メルJ、あんたの切り込み、当てにしているわよ』
「ああ、そうだったな。……私が前を行く。みんなは、付いて来て欲しい」
『殊勝な言い回しね、あんたらしくない。付いて来れるものなら付いて来い、くらいは言うものでしょう』
ルイの軽口にメルJは参ったな、と呟く。
「言われてしまっているな、私も」
「ヴァネット。機体制御バランサーはフラットに設定しておいた。お前のやりたいようにぶつけてみせろ。そうすりゃ、シュナイガーは応えてくれる」
「……小河原。私は、愚か者なのだろうか」
「ンだよ、いきなり」
「……かつて、こう教えられた。“自分に銃を向ける者は愚か者だ。銃を向けた者は死人と思え”、とな」
「その教えにゃ、いくつか穴があるな。銃を向けたって、引き金を引く土壇場までは自分の判断だ。なら、最後の最後まで、自分ってもんを信じてみろよ。習い性の神経だけじゃねぇ。自分の意思で、最後の引き金くらいは引いてみせるって気概だ」
「何だそれは。……根性論だな、相変わらず」
「悪ぃかよ。オレはどうせ、頭の出来も悪い。気の利いたことは言えんからな」
「……それでも……ありがたいと言うのもあるんだな」
メルJは瞳を開き、最新型の血続トレースシステムへと己を順応させる。
高鳴っていく《シュナイガーノルン》の鼓動。
血塊炉の臨界点まで達した、最高潮に脈打つ命そのもの。
「……かつてはここまでお前を知れなかった……今ならば、少しは知れるのかもしれない。だから、私に応えてみせろ」