JINKI 255-17 夜明けへ


 あの時の広世は、青葉を守るのだと心に誓った男の顔だったのを覚えている。
 きっと今も、戦い続けているはずだ。
 自分の決意を胸に、最後の最後まで。
「……似ているなんて、正直、癪なんだな」
「悪いかよ。オレだって野郎の思い出なんて願い下げさ。ただな、こうして並んでコーヒー飲んでると、馬鹿でもな。思い出しちまう」
 ダイクンは一瞥を振り向けた後、コーヒーを呷る。
「……きっと、いい奴だったんだな、そいつは」
「そうだな。オレなんかより百倍いい奴さ。ま、男としちゃオレのほうが上だが」
「言ってるんだな。……そろそろ、行く」
 出港の時間が迫っているのを勝世は感じていた。
「……ああ、また機会があったら会おうぜ。お互いに、損な役目だろうがよ」
「……忘れないんだな、勝世」
「よせって。そういうのはお呼びじゃねぇんだ。ただな……オレの思い出の一個になったのだけは、認めてやるよ。ダイクン」
「あ、今……まともに初めて名前……」
「何のことだかな。さぁ! とっとと行っちまいな! 涙でお別れなんてガラじゃねぇだろうが!」
 わざとがなり立てて言ってやると、ダイクンは最後の最後、付け加えていた。
「……オラも、お前みたいに……少しは男らしくなってまた会いたいんだな」
 ダイクンの背中が完全に遠ざかってから、勝世は嘆息をつく。
「……アホらしい。我ながら、何を女々しい考えを。アキラさんに見せらんねぇな、こんなツラ」
 とは言え、別れは辛い。
 それがどんな時であろうとも。
 だからこそ、己の中に刻もう。
 ダイクンと言う男の、その背中を。
「絶対! 忘れないんだなー!」
 もうほとんど豆粒ほどの遠さになってから叫んだダイクンに、勝世は叫び返す。
「うっせぇ! とっとと行っちまえ! 短足デブ!」
 そう言って空き缶を放り投げる。
《ビッグナナツー》の艦内に、それは転がっていった。

「――本当に、この条件でよかったのかよ」
《ビッグナナツー》の甲板上で問いかけられて、メルJは振り返る。
 頬に絆創膏を付けた両兵が不遜そうに目線を向けていた。
「……ああ。それが条件であったからな。《シュナイガーノルン》は再び、米国の所有物として返還されるのは」
「納得したのか? ……って言うよりも、別、か。別れは済ましたんだな?」
「……ああ。また再会できる時を、祈っているとな」
 両兵の隣へと歩み寄り、メルJは海原を望む。
 どこまでも続く青い水平線が静かに揺れている。
「……そうか。まぁ、操主であるお前が理解してンだ。オレは余計なことは言わねぇよ」
「……私は、報われたと、思うべきなのだろうか。仲間に恵まれ、こうして……居場所にも恵まれた」
「もっと贅沢言ってもいいと思うぜ? お前は何だかんだで望みを口にすべきなんだよ。……オレも柊たちも、少しは頼り甲斐のあるつもりさ」
「……そう、か。頼ってもいいんだな、もう……」
 これまでは自分の因縁は自分で決着を付けてきた。
 だが、それはもう終わり。
 トーキョーアンヘルとして、頼っても何も可笑しくはない。
「……オレはよ、何だかんだでてめぇの因縁、全部持っていくなんて言い切れねぇさ。お前のものは、お前のものとしてきっちり胸の中に仕舞っておくといい。他の誰が言ったってよ、他人に最後まで預けられないそれが、多分、大事なもんなんだろうな」
 大事なもの、とメルJはぼんやりと繰り返す。
 胸の中にあるのは、グリム協会の者たちへの恩讐と、Jハーンへの尽きぬ復讐心、そして――いずれ掴むであろう、最後の望みへの。
「……小河原。私には弟が居たんだ」
「前にも聞いたよ。……死んだんだったか」
「……助けられなかった。けれど、そんな自分を……いずれは許せる時が来るのだろうか」
「さぁな。オレはちゃんと返事できるほどの器量だとも思っちゃいねぇし、そいつの問題を全部解決できるようなスーパーマンでもねぇ。けれどよ、今回の戦いで少しでも救われたもんがあるんなら、いいんじゃねぇのか? 少しは、自分を許したってよ」
「……そう、かな」
 分かっている。
 トーキョーアンヘルでの日々が、自分の因果をそそぐことになるかどうかは、結局のところ自分次第だ。
 これから先の、未来を描くであろう――メルJ・ヴァネットの。
「……そう言えば、問い返していなかった。私はまだ……メルJ・ヴァネットでいいのだろうか、この名前も、随分と因果に塗れた代物だ」
「呼んでもいいんなら、いつだって呼ぶぜ。お前の呼ばれたい名前をな」
 海鳴りが聴こえる。
《ビッグナナツー》の小気味いい揺れに、今は身を任せて。
「……ああ。ちょっとの間だけ、待ってくれないだろうか。私が本当の意味で……メシェイルと言う名前を誇れる時が来れば、最初にお前に呼んで欲しい。小河原」
「そうか。じゃあ、そん時まではお預けだな」
『メルJー、それに両兵もー。休んでいる暇はないよー。首都はボロボロになったんだから、アンヘル総出で後始末しないとねー』
《ブロッケントウジャ》が《ビッグナナツー》甲板に立脚する。
 南の《ナナツーウェイ》もフライトユニットを装備し、今回の事件の後始末に追われていた。
『本当……嫌になっちゃうわよねぇ……。グレンデル隊は早々に見切りを付けて帰国したって言うのに、後片付けを全部トーキョーアンヘルに押し付けるもんなんだから』
『愚痴ってないで、行くよー。メルJは《バーゴイルミラージュ》で出てよね。空戦人機は貴重なんだから』
「ああ、分かった。今行こう」
 離れる間際、メルJは振り向かずに尋ねていた。
「……小河原。もし……私がアンヘルを離れると言ったら、どうする?」
「そうだな。どうもしねぇよ。それがお前の選択なら、オレは応援する。どんなことがあろうとも、オレはお前の味方のつもりだ。それだけは忘れンなよ、メルJ・ヴァネット」
 ――よかった、と感傷が掠める。
 ここで下手に自分の本当の名前を呼ばれれば、きっと自分は泣いていただろうから。
 まだ「メルJ・ヴァネット」で居てもいいのならば、自分の居場所は、きっと――。
「……了解した。メルJ・ヴァネット。《バーゴイルミラージュ》で出る!」
 自分の標はこれでいい。
 居場所も、そして感じた慕情も。
 今は、まだここで。
 翻した銀翼は、また大いなる空へと再び飛べるはずだ。
 その時を願って――彼らと共にいられる時間を、大切にしようじゃないか。

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