舞い降りる妖魔の人機が眼前へと瞬間的に移動し、その手に携えた銃火器をゼロ距離で番える。
ハッと直感的に防御本能が働き、盾で構えたのも一瞬、直後にはリバウンドの盾を貫通し、血塊炉付近を射抜いた銃撃に《モリビト2号》はビル群へと吹き飛ばされていた。
灰色の粉塵が舞う視界の中で、赤緒は半分以上が死したモニター類を視野に入れつつ、妖魔の人機を視認する。
ピンク色の細い躯体の人機だ。
機能美を優先したかのような質素さは《バーゴイル》を想起させるが、存在感はまるで異なっている。
妖魔の人機は巨人を背に確認領域まで降りてから、この場で戦闘可能な人機を確認するためか、シャッター型に開いた眼窩で見透かす。
『……《ナナツーライト》の改造型は中破。《ブロッケントウジャ》はほとんど大破。そして、《モリビト2号》。貴女たちも大破に近い。これでどうやって勝つ? 我が《ティターニア》と、――《プーパック》に』
「《プーパック》……新しい、人機……」
『いや、赤緒……。あれ、やっぱりボクの浮かべた最悪の想定だったわけだ……。《ティターニア》は最初から遠隔操縦人機……! 妙だとは、思っていた。超高熱を誇る機体を冷やすために、相反する属性の冷却装置。操主が無事なわけがないってね。でも、カラクリはこうだった。最初から、二機いた。そして……今しがた関知の網にかかたってことは……特殊な装甲をしている人機だって言うことだ……。やられたよ、目に見える物だけを信じるなってこのことか……!』
『……開発段階のレーダーを乱反射させる装甲を持っている。妖精は誰の眼にも留まらない』
銃火器を構え、プレッシャーガンのエネルギーパックを充填した相手に赤緒は歯噛みする。
「……私の右手……モリビト……っ!」
「クソッ! ゼロ距離で受けたせいで盾がおじゃんだ! ギリギリ血塊炉への直撃は避けられたが……戦闘継続って感じじゃねぇ……。《ティターニア》には一矢報いることもできねぇってのかよ……!」
両兵は下操主席で必死に勝ちの目を探そうとしてくれているが、そもそもほとんどの計器がダウンしている。システムも持ち直す見込みはない。
――終わった。
終わりとはこうも呆気ないのか。
赤緒は敗北の感触に骨が浮くほどに拳を握り締める。
「……私は……私たちは……」
『終わりだ。柊赤緒。この距離でプレッシャーガンを外すわけがない。コックピットに一撃。それで事は済む』
照準警告が鳴り響く。だが全て無為だ。
動けない人機で何が出来よう。
両兵は操縦桿を握り締め、満身から吼えていた。
「動け……! 動け、動け動け! ンなところで立ち往生している暇ぁねぇんだ! それに……こんな終わりってありかよ! 何もできねぇまま撃ち抜かれて終わりだと……? そんな未来、こっちから願い下げだ! オレたちは勝ちに来た! 成す術もなく撃たれるためじゃねぇ!」
「……小河原さん。でももう……私たちの残存戦力は……」
「……っざけんな……! 終わりなんて、認めねぇ……ッ!」
しかし両兵でも万策尽きたのか、その腕から力が凪ぐ。
こんな極地において、諦めを踏み越えられないのか。
赤緒は最後に、と声を紡いでいた。
「小河原さん、私……あなたのことが……」
『未来はここに尽きた。柊赤緒、その死でもって未来への償いとしろ』
プレッシャーガンの銃口が十字に輝いたその刹那であった。
『――何を言っているの、赤緒。そんなムードで』
光を帯びて投擲されたのは剣である。一振りの刀剣――紫色の稲光が地表より放たれ、《プーパック》の肩口を貫通する。その勢いにプレッシャーガンの照準がずれ、僅か先のビルへと突き刺さっていた。
終わりを予見していた二人の前に、降り立ったのは片腕を損壊した状態の《ナナツーマイルド》である。
その機体を抱いて下降したのは白銀の人機であった。
「……大破したはずの《ナナツーマイルド》に……《バーゴイルミラージュ》か……?」
「もう、出せないはずなんじゃ……?」
『……間に合ったみたいだね。敵を騙すなら味方から。こっちの修復作業を並行して進めておいてよかったよ。ま、《バーゴイルミラージュ》は飛行能力のみを回復、《ナナツーマイルド》もメッサーシュレイヴ一本で、しかも片腕がないけれど』
『充分よ』
跳ね上がった《ナナツーマイルド》は飛翔高度に達していた《バーゴイルミラージュ》の背を蹴りつけ、《プーパック》へと肉薄する。その肩を破ったメッサーシュレイヴを保持し、振り返り様に一閃を浴びせかける。
『……ボロボロの人機で何を……!』
『黙りなさい。広域通信。あんたたち、何やってるの? これ、南から伝言ね。私のじゃないから。……諦めるにはまだ早い。私たちはトーキョーアンヘル。ギリギリのギリギリまで追い込まれたって、手足の一本や二本犠牲にしたって、それでも食いかからなくっちゃいけないこともある。みんな、最後は気合よ。人機はきっと、応えてくれる。……以上、伝言終わり。まぁ私は好きじゃないけれど。気合とか言うの。でもまだ、手も足も、ましてや心臓も動いているって言うのなら、諦めるには早いんじゃないの?』
『小癪な……! 墜ちろ!』
《プーパック》が腰にマウントしていたプレッシャーガンを手に《ナナツーマイルド》へと一射するが、その銃撃を掻い潜り、《ナナツーマイルド》は《ティターニア》の頭頂部へと華麗に舞い降りていた。
『……いくらキョムでも、二機同時には動かせない。巨人はここで押さえた』
《ナナツーマイルド》の手繰るメッサーシュレイヴの剣先が《ティターニア》の頭蓋を割っていた。その頭部が露出し、アンテナの基部が晒される。
『……ほとんど頭部は受信機じゃない。最初から操り人形だったわけね。どうりで、こっちの攻撃が通じない』
『……やめろ……! 《ティターニア》のアンテナ部を……!』
その制止の声を振り切るように、《ナナツーマイルド》は《ティターニア》の眼窩へと振り返りもせずに切っ先を叩き込む。
『やめろって言われて、やめるわけないじゃない。さぁ、赤緒。それに……両兵も。――反撃開始よ』
その声を受けて、赤緒はにわかにモリビトを立ち上がらせる。
どれほどにアームが重くとも、どれほどにペダルが言うことを聞かなくとも。それでも、ルイは、メルJは、自分たちに託してくれている。ならば誰が裏切れようか。
「……黄坂のガキもああ言ってんだ。情けねぇところは見せられねぇよな……」
「……はいっ。モリビト、お願い……。私に、もう一度力を……」
だが盾と共に砕け散った右腕はまるで利かない。握り拳を固めるのがやっとであった。
『……赤緒さん。《ナナツーライトイマージュ》の加護を与えます。……《ティターニア》を――巨人を倒してください』
《ナナツーライトイマージュ》よりリバウンドの光が右腕を固めていた。
その感触を胸に、赤緒は改めて《モリビト2号》の右手を握り締めさせる。
「さつきちゃんの力……受け取ったよ……」
青白い雷光を帯びた《モリビト2号》の右手は稲妻を迸らせ、その眼光が直上の《ティターニア》を仰ぎ見る。
「……柊。あのピンク色の人機には、戦闘能力は見たところほとんどねぇ。ここで相手を下すんなら……」
「はい。《ティターニア》を倒すしかない」
その決断に両兵は言いやる。
「分かってんなら行くぜ。恐れはオレが受け止めてやる。お前はあの巨人の胸元に、精一杯、自分をぶつけろ」
両兵の背中を目に、赤緒はぐっと右拳を固め、《プーパック》の銃撃を回避していた。
『下らん悪足掻きを!』
「悪足掻きじゃ……ないっ! 私たちはトーキョーアンヘル! ここで終わりじゃ、ここで諦めていちゃ、誰に顔向けできるって……っ! ロストライフ化なんてさせない! 私たちが――守る!」
『吼えるなら弱者でもできる! 《ティターニア》!』
《プーパック》が後退し、《ティターニア》がにわかに動き出す。アンテナ部の破壊がまだ充分ではなかったのか。あるいは別の機能を使っているのかは定かではないが、《ナナツーマイルド》がその巨大なる影から振り落とされていく。
「ルイさん!」
『……大丈夫。あんたは前だけを向いてなさい』
不時着した《ナナツーマイルド》を視野に入れ、赤緒は《ティターニア》の胸元で燻る凍てついた心の臓を見据えていた。
――其は青白き凍結の心臓部。太陽の加護を引き受けたこの炎の右手が、貫き穿つ――。
《ティターニア》の両腕が瞬く間に雷撃を纏ってリバウンドの斥力磁場が発生し、暴風圏を編み出していた。
冷却と灼熱。
相反する二つの属性に晒されたモリビトの躯体が震え、装甲が剥離していく。
それでも前を向く。向き続ける。それだけが今できる唯一の寄る辺。自分の未来を、勝ち取るために。
雄叫びを上げ、赤緒は《モリビト2号》の右拳を突き出す。
既に機体表面は焼け焦げ、右腕だけに留まらず全体に裂傷を作ったモリビトは満身創痍だ。
それでも右手に宿した一つ分の焔だけが、自分たちの希望。
《ティターニア》の絶対の防衛圏を抜け、蒼炎の拳が氷結の心臓部を打ち据える。
「ビート――プロメテウス、ブレイク!」
人類に火と文明を与えたもうた神の名を紡ぎ、巨神を討つ。
《ティターニア》の連結血塊炉が続けざまにダウンしていき、その身が傾いでいた。
『……まさか。《ティターニア》の血塊炉を完全に沈黙させた……?』
ヴィオラの当惑に赤緒は放った鉄拳の姿勢のまま、硬直していた。
《モリビト2号》は最早、戦闘続行もギリギリの瀕死の状態。
荒い呼吸をついて赤緒はそれでも、と飛翔する《プーパック》を睨み上げていた。
「……私たちの勝利……です……っ!」
『……こんな未来は……。いや、だがまだ不確定に堕ちたわけではない。まだやり直せる……』
《プーパック》が照準するのを中断させたのは飛翔機動に移っていた《バーゴイルミラージュ》であった。
『やらせんぞ。今のモリビトだけは!』