「……南、声デカいってば」
「いいじゃない、別に。あんたしか居ないんでしょ?」
「けれどまぁ、ボクはよくやっていると思うよ? それこそ南の言うつまんない大人とは別の大人だとは思うけれどね」
「……分かってないわ、あんた。大人ってのはね、天井が見えるのよ」
「今、見てるじゃん」
「そういう物理的なものじゃなくってさ、概念的なもの。自分には何ができて、何ができないのかって言うのが、じわじわと見えてくる。子供の頃とか、若い頃には霞んでいたのに、それが真正面に聳えてきて、で、いつの間にか追い込まれてる。それが私の……つまんなくなったな、って思うところかな」
「ボクには分かんないかもね。だって天井なんて自分で決めちゃったらそこまでだし、限界なんて突破するためにあるもんじゃないの?」
「……やっぱそこんところが天才なのよね。どれだけ俗っぽくってもあんたは」
「俗っぽいとは余計だなぁ」
「……でも私には……もう随分と前から見えちゃっているの。それこそ、両の言う、相当にキてるって奴に近いのかもね。あいつは南米戦線で人機乗り回していたせいだろうけれど。でもねー、人機に乗らなくったって……いや、違うか。乗らなくなってからかな。分かるようになっちゃった。周りの大人だとか、訳知り顔の人たちの……ここが分水嶺だとか、そういうの。嫌だなー、嫌な大人に、なっちゃったのかも」
その懸念をしかし、エルニィは一蹴する。
「何それ。そんなの、さ。南にだけは言って欲しくないんだけれど。南は違うよ。他の大人みたいに、嫌なこととか、悪いこととかに雁字搦めになってないじゃん。まだどっか子供でさ……それがボクらの信用する黄坂南でしょ。どこかの賢しい大人みたいに、理論振り翳すとか、先の見える言葉ばっかりで他人を弄するとかじゃなくってさ。先も見えないし、一寸先は常に闇! でもそれで良し! って言うのが南でしょ? 少なくとも、ボクはそう感じているけれどね」
「……あんたに諭されるなんて思わなかったわ。たまにはいいもんなのかもね。誰かを導くでもなく、こうやって適当にくっちゃべって、他の人には言えない話をするのも。でも、アンヘルの責任者だから、普段は言えないの。それこそ、誰にも」
「変なプライドとか捨てちゃえばいいのに。誰も南に、さ。すごいリーダーの素質だとか、アンヘルを先導する最強の指導者だとか……求めてないよ、そんなの。弱くたっていいじゃん。折れなきゃいいんだから。ボクとしちゃ、もしもの時にぽっきり折れちゃうかもっていうほうが心配。南はそうはならないと思ってるんだからね」
「それは……買ってもらっていると、思っていいのかしらね」
「どうとでも考えりゃいいじゃん。だって、さ。トーキョーアンヘルのオカンでしょ、南は」
その言葉が、なんてことはないはずなのに、今の自分には少しだけ、納得の一因になったのはだが言わないでおこう。
今は言葉一つで救われるのは自分ではなく彼女たちの戦いのはずだ。
「何よ、このぅ……。それにオカンって何、オカンって……。私、まだそんな年のつもりはないんだけれど?」
「よく言うよ。南はアンヘルのオカンじゃんか」
「お姉さん、ね?」
凄味を利かせるがエルニィには通用しない。ベロを出してどこか滑稽に応じてみせる彼女には自分の、誰にも見せない面を見せられる。
――ある意味ではこれが対等な友人なのかもしれない。
両兵以外では友人などついぞ持てなかったな、と南は回顧していた。
静花は少し違う。彼女の闇に自分は触れられなかった。
だからおどけて、少しでも道化を演じて。青葉の前では、気丈に振る舞って。
でも、ここには。忌憚なく笑えるこの場所があるのなら。
自分はまだ、少女の残酷ささえも持って、生きていけるのだろう。
こんな、血筋だけの異境の地でも。
それでも前を向いて進めるのは、エルニィだけではない。自分を支えてくれる仲間たちのお陰のはずなのだ。
「……でも、南も馬鹿だよね。もっと肩の力抜けばいいじゃんか。赤緒たちだって理解がないわけじゃないんだから」
「……駄目よ、まだ。まだ赤緒さんたちの前じゃ、弱音なんて吐けないもの。それこそ、残酷でも、前を向けって、言うしかないのよ。……自分は前線には立たないくせに、とか、どれほどの誹りを受けたって構わないわ。あの子たちが笑顔で居られるのなら――」
切り詰めた声音に、ぷにっとエルニィが頬っぺたを指差す。
「だーかーら、そういうのが駄目なんじゃん。頬っぺた、岩みたいに堅いし。プレッシャーとか、あるのは分かるけれどさ。南が南らしく居られる場所って、きっと南にしか見つけられないよ。変にこうだとか、規定するものでもないと思うけどね」
「……何よ、分かった風な感じ」
「それなりには分かっているつもりだけれど? 黄坂南は人前じゃ、それなりに見えるけれどだらしなくって融通が利かなくって、そんでもってワガママ。で、辛党の味オンチ! 自分のことに疎いくせに他人のことには干渉しがち、とかね」
ウインクしてみせたエルニィに少しだけ重石を肩代わりしてもらった気分を味わいながら、南は出前注文したカツ丼へと視線を投じる。
「……呆れたもんよね。ここで喋らされたのは私のほうだったか」
「“カツ丼でも食うか?”ってね。案外、南も、内々に溜め込むタイプじゃん。毒なら、聞いてあげるよ、いつでも、ね」
友人は、何も年相応とは限らないのだろう。
こうして一回りほど違う相手が自分の理解者になる場合もあり得る。
南は立ち上がって、よっし、と拳を握っていた。
「じゃあ、今日は皆居ないし、エルニィ! とっておきの日本酒開けるわよ!」
「おおーっ! 待ってました! ……ちょっとは楽になった?」
「……まぁね。じゃあ酒盛りしよっか! カンパーイ!」
「……た、ただいまぁ……疲れました……って……うっ、お酒くさい……!」
柊神社に戻るなり漂う酒の臭いに赤緒は鼻をつまんでいると、居間からまるでゾンビのように這い寄ってくる危険人物を認めていた。
「み、南さん? ……あっ、この間もらった高いお酒、また開けちゃったんですか!」
「う、うーん……もう飲めにゃい……」
むにゃむにゃと口にする南からは強い酒の臭気が染みついている。
居間を覗くと酒瓶を抱きかかえて寝転がったエルニィが視野に入っていた。
「もうっ! 酒盛りは駄目だって言ったじゃないですか! 二人ともよりにもよってお昼からなんて!」
「う、うーん……赤緒うるさい……。オカンじゃないんだから……」
「いーえっ! オカンにもなります! もうっ、立花さんはまだ未成年なんですから、お酒と煙草は二十歳から!」
「赤緒さん、頭に響くから、大声やめてくんない……? 眠くなったから、お布団……」
ふらふらとした足取りで布団を求める南に肩を貸して赤緒は呟く。
「誰も居なかったから、セーブする人間も居なかったんだ……」
大きくため息をついて赤緒は酒臭い息を吐く南を目にして口にする。
「……この人ももうちょっと……大人になってくれないかなぁ……」