JINKI 138 夢幻領域の向こうで

 人機が勝手に動くことなどあり得ないと一蹴した当時のアンヘルの前身の高津重工は捜査を打ち切ったが、後に古代人機襲撃時に、数名の操主候補が目撃している。

 テーブルダストにほど近い区画の薄靄がかかった砂礫を踏みしだく、一機のナナツーを。

 いつしか、その幻のナナツーと呼ばれる機体には幸運の証だの、不幸の兆候だの言われるようにはなったが、しかし、そのナナツーが消息を絶ったナナツーと同一かまでは全てが謎。

 ナナツー乗りにとっては、その幻のナナツーは生きているうちに拝めれば花くらいに思われているらしいが、誰しもそのナナツーの逸話を忘れそうになっていた。

 カナイマアンヘルもその一つ。

 如何にこれまでの戦歴を記録しているとは言っても、亡霊に近いようなナナツーのシグナルまでは登録しておらず、もしそのナナツーが現れたとしても、彼らは畏敬を込めてこう呼ぶしかない。

 亡霊――《ナナツーゴースト》、と。

 ――そう語り終えた南に、両兵はケッと毒づく。

「ンだよ、黄坂。いつものお伽噺かよ。それ、もう聞き飽きたぜ」

 両兵がそう反論するものだから、青葉はえっ、と当惑する。

「お伽噺なの?」

「ンなもん、シグナル不明の機体なんざ、最初期にはよくあった話さ。一人乗りのナナツーだってまだ地層の向こうじゃ発見されるんだ。才能機とか呼ばれていた頃のナナツーが未だに現役で動き続けてるなんてリアリティもクソもねぇよ」

「何よぅ! 両。あんた、この話聞くと、ちっさい頃は怖がっていたのにねぇ。現太さんの袖を引いて一緒に寝ようと言ってた頃のあんたはまぁーだ可愛かったわ。今のむさい男連中に感化された、小汚いガキになるよりかはねー」

 ふっと南が立てていたロウソクの火を消すと、お開きとでも言わんばかりに、食堂の灯りが点いていった。

 せっかくなので、何か小話でもないか、と両兵が提案し、青葉がそれに乗った形で、それぞれの持ち寄った話を交わしていたのだが、いつの間にか怪談話に発展しており、その一つが、南の語った幻のナナツーと呼ばれる話である。

 整備班はどうやら両兵と同じに聞き飽きた話題であったようで、愛想笑いを浮かべつつ、カーテンを開けていく。

「……でも、そういうのあったほうが、私はドラマチックだと思うなぁ……」

「おっ、青葉はイケる口ねぇ。そうそう、ロマンが分からないってのよ、カナイマの男たちは。あっ、現太さんは別ですよ?」

 同席した現太は南からのラブコールに微笑んで手を振る。

「まぁ、私も何度か聞いたことのある話だよ。最初期ロットのナナツーがテーブルダストにはまだ存在するのは事実だし、もしかすると、そういうナナツーに意思が宿って、勝手に動いているのも古代人機を見れば思わないわけじゃないとも」

「ケッ、ジョーダン! ただでさえ古代人機相手に困ってるってのに、幻のナナツーだの《ナナツーゴースト》だの言われたらややこしいだけだってンだ。黄坂、そのつまんねぇ話、もうすんなよ。興味あんのは青葉くれぇだろ。初見相手騙すくらいしかできねぇんだよ」

「むぅー……つまんないこと言うわね、あんたも。夢があっていいじゃない。幻のナナツーよ、幻の」

 むくれた南に両兵は冷笑を寄越す。

「なぁーにが幻だ。シグナル不明のナナツーなんざ、邪魔なだけさ」

「……じゃあ両兵は、もしその幻のナナツーが出てきたら、どうするの?」

 青葉の疑問に両兵は短く返していた。

「ライフルでぶち抜く」

 夢も希望もない話に、南と顔を合わせて嘆息をつく。

「これは……夢がないって言われても仕方ないですよね」

「そうよねー、青葉。ロマンの塊みたいな話を相手に、対戦車砲をぶっ放す馬鹿がどこに居るの? そんなだからいつまで経っても操主としちゃ半人前もいいとこなのよ」

「うっせぇ。言っとくが、ここじゃオレがモリビトの上操主なんだ。てめぇがいくら吠えたところで、モリビトの上は譲らねぇからな」

「だぁーれが、モリビトの上なんて争うかっての。私は《ナナツーウェイカスタム》が性に合ってんのよ。ねぇ、ルイ」

「……南、その話、正直飽きた。巡回中にもしてるじゃない。何百回聞いたか分からないわよ」

 つんと澄ましたルイに南は突っかかる。

「何をぅ、ルイ! あんたもつまんないわねぇ。もうちょっと可愛げのあるようには育たなかったのかしら。あっ、でもまだお子ちゃまだったか」

 わざとらしい南の挑発にルイは立ち上がる。

「……馬鹿にしないで。私はもうとっくに南よりかは大人」

「そう? でも、出るところどこも出てないし、子供は子供よねー」

 明らかなアピールに対し、ルイはぴくりと肩を揺らす。

 南へと不意に飛びかかり、馬乗りになってから、ぷにっと横腹をつまむ。

「出るところって、これのこと?」

「な、何をするんじゃい! この悪ガキがぁー!」

 いつもの追いかけっこが始まってから、青葉は現太へと問いかけていた。

「でも、先生。嘘みたいな本当の話ってあるものじゃないですか。才能機? って呼ばれていた頃の人機は私、詳しくないですけれど、そういうのってあるんですか?」

「青葉君はどう思う? 幻のナナツー、居て欲しいかな?」

「そりゃあもう! だって、歴戦の猛者みたいなロボットって憧れじゃないですか!」

 自分の語調が弾んでいたせいだろう。両兵がつまらなさそうに言いやる。

「これだから、ロボットオタクは。言っとくが、前線にロマンだとか、そういうもんを持ち込むんじゃねぇぞ。往々にして、つまんねー現実だけが待ってるもんなんだ。……黄坂も黄坂だぜ。あんな話、信じる信じないの前にあり得ねぇ。血塊炉がどんだけ、夢のエネルギー源だってな、何だかんだで有限なんだよ」

「まぁねぇ。両兵の言うことも一理あるよ。こちとらまだ年代物の血塊炉を使ってるんだ。無限に稼働し続ける炉心があるんなら、それを追いかけるのはロマンじゃなくって、現実的にあるのなら喉から手が出るほど欲しいって言う、切実な話なんだよね」

 川本の評に、やっぱりか、と青葉はしゅんと肩を落とす。

「じゃあ、やっぱり幻のナナツーって言うのは……」

「居るわけねぇだろ。何だ、お前はそんなもん信じたのか?」

「し、信じるに決まっているじゃない。だって、南さんのほうが両兵より素敵だもん!」

「おい、黄坂のほうがってのは納得いかねぇ。あのガサツ女の何が素敵って言うんだ? 言っちまえば野郎のほうが何倍もマシってもんだぜ。あいつはな――」

「両! 何を他人の悪口を吹き込もうとしてるの!」

 構えていなかった両兵の後頭部へと南が鋭いクロスチョップをかます。

 その一撃を嚆矢にして、両兵は南と喧嘩に入っていた。

「痛って! てめぇの暴力はジョーダンになんねぇ威力なんだよ! 女ならもうちょっと慎みを覚えやがれ!」

「何が、女なら、よ! あんたら相手にそんなもんお断り!」

 がやがやと騒がしくなってきたが、青葉は自分の前に座ったルイにふと尋ねる。

「……本当にないって、ルイも思ってるの?」

「南から聞かされたホラ話のこと? ないわよ。あればもう回収してるし。幻だって言ったって、無限稼働のナナツーなんて居たら鹵獲対象よ。それこそ軍部の陰謀かもね」

「……それって夢がないー」

「現実なんてそんなものよ」

 クールに言い放ってルイは自室へと戻っていく。

「さぁ張った張った! どっちが勝つと思う?」

 青葉は両兵と南、どっちが勝つかを賭け始めた整備班を他所にため息をついていた。

「……本当に居ないのかな。幻のナナツーって」

「――哨戒機が消息を絶ったって、軍部から連絡あって、丸二日。現在、ポイント14だが……視界不良だ。相変わらず、な」

 通信に吹き込む両兵に対し、青葉は下操主席で警戒を続ける。

「……ねぇ、両兵。軍からの依頼とか、アンヘルも受けるんだ」

 報告を終えた両兵がこちらに視線を振る。

「……まぁな。癪だが、物資を回してもらっている手前もある。ジョーイって居たろ? あのガンマニア。あいつ伝手に色んな兵器も運ばれてくるんだ。何なら、今モリビトの装備しているライフルだって軍の払い下げさ」

《モリビト2号》の現状の装備はブレードと対人機用の速射ライフル。

 古代人機が出ないとも限らないポイントであったが、それ以上に軍からの命令をこなすのも任務だと現太からは言い含められていた。

「……何か、やだなぁ……。モリビトは兵器じゃないのに」

「何言ってんだ。人機は戦術兵器だろ。お前……これがまだ、ただのロボットだとか言うつもりはねぇよな? オヤジから教えられてんだろ? どこでどう戦えば、どこでどう立ち回ればって。それは兵器の在り方だ。テレビの向こうのアニメのロボットのそれじゃねぇ」

 両兵の言うことも半分は理解できるのだが、半分は飲み込めない、否、飲み込みたくない。

「……でも、モリビトは私にとって……」

 そこで不意に通信が接続され、通信網に声が焼き付く。

『おーぅい! 青葉ぁー、両! こっちにも何にもないわ。《ナナツーウェイカスタム》は継続してそっちの任務とは別方向の任務を進めておくけれど、多分哨戒機とやらはこの濃霧で視界不良だし、事故にでも遭ったんじゃないかしら』

《モリビト2号》からはそれほど離れた位置に居ない《ナナツーウェイ》は重たそうなコンテナを背負って今も捜索の一部を担ってくれている。

「おう、悪ぃな、黄坂。こんな任務に付き合わせちまって」

『悪いと思ってるんなら、もうちょっと誠意ってもんがあるでしょうに。……別にいいわよ。整備班に《ナナツーウェイ》を見てもらえるいい口実でもあるしね。アンヘルに協力するのもヘブンズの仕事のうちよ』

「そう言ってもらえっと気が楽だぜ。……にしても、この濃霧だ。どこから古代人機が襲ってきても分からねぇ。青葉、警戒だけはしとけ」

「うん……! でも、何か、変かも」

 青葉は周囲を見渡してから、自分の中の違和感がどうにも形を成さないことに言葉を発する。

 両兵は上操主席で怪訝そうに眉をひそめていた。

「……変って何だ。お前、またあン時みたいにワケわかんねぇけれど気持ち悪いって言い出すんじゃねぇだろうな?」

「い、言わないよ……! でも、あの時とは違う。何か変な感じ……ずっと、見られてるみたいな……」

 薄靄の向こう側から、何者かの監視の眼を感じる。

 無論、気のせいだろうと言い切ってしまえばそこまでの違和感でしかない。だが、青葉はあの時――現太が怪我をした日のことを克明に覚えている。

 その時とはまた違うが、似たような感覚には違いない。

『それ、言っていた超能力モドキって奴? 青葉ー、ヤバそうならさっさと言ってね? この任務、ただでさえ胡散臭いのに、これ以上の深追いなんて無意味なんだから』

「でも……哨戒機に乗っていたって言う軍人さんが行方不明って言うんなら、探さないとですし。この濃霧じゃ、人機から降りたらひとたまりもない……」

 古代人機に襲われればそこまでだ。

 水も食糧も尽きた状態で放り込まれれば一日と持たないだろう。

 それほどまでに、周囲を覆う白亜の幕は色濃い。

 マニピュレーター越しに手を伸ばしても、何も感じられそうにない。

 重たいだけの霧のカーテン。一歩間違えれば、奈落の淵にまで落ちてしまいそうな断崖絶壁に囲まれた地平。

 こんな世界の果てのような場所で、生きているものが居るはずなんて――そう思った瞬間、両兵がシグナルを拾い上げていた。

「……こいつぁ……生存シグナルか。青葉! 近くに人が居る可能性がある! ……気を張れよ」

「うん……! 分かりやすいように、何か旗でも揚げてくれていれば、いいんだけれど……」

 そんなに都合よく行く話もあるまい。

 慎重に青葉が《モリビト2号》を稼働させる。

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