上昇推進剤を焚き様のファントムで《バーゴイル》を突き上げ、がら空きの胴体へと、抜き放ったスプリガンハンズを叩き込む。
胴体と生き別れになった《バーゴイル》がオフィス街にずずんと落下する。
「……呆気ない。あまりにも。まさか、既に本命は……」
『――その予感、大当たりですよ。メルJ・ヴァネットさん』
その言葉と共に、漆黒の暗夜に佇むのは赤い眼光の人機であった。
細身であり、そのシルエットは《ナナツーライト》、《ナナツーマイルド》に酷似している。
「……貴様は……」
『お互いに諜報員なんて困りますよねぇ。こういうのって、かち合えば戦う運命ですかぁ?』
相手の返答を待つ前にメルJは《バーゴイルミラージュ》を疾駆させ、銃撃を浴びせ込もうとする。
それを敵の不明人機はリバウンドの泡のような防御皮膜で防いでいた。
「……Rフィールドプレッシャー? 《ナナツーライト》と同じ装備だと……!」
『同じだとは、思って欲しくないですねぇ。この《ナナツーシャドウ》は隠密向きなので、その上を行きます』
泡のようなRフィールドの防御皮膜がそのまま反射し、弾け飛んだ瞬間、四方八方より弾丸が迫る。
メルJは機体を上昇させて回避するが、その時にはオフィスビルを足掛かりにして敵――《ナナツーシャドウ》が同じ高度に至っている。
「……飛ぶのか、その人機」
『空中があなただけのバトルフィールドだとは、思わないほうがいいですよぉ?』
「……誰が!」
銃撃を浴びせ込もうとして、携えた小銃の銃身を叩き割ったのは《ナナツーシャドウ》の逆手に握り締めた刀身であった。
「……ナイフ。いいや、クナイか」
『小技ばかりで勝てるとは思わないでくださいねぇ? この《ナナツーシャドウ》には!』
「それは……こちらの台詞でもある!」
スプリガンハンズを薙ぎ払い、赤熱化した刀身を受け流す。
《ナナツーシャドウ》は軽業師を思わせる挙動で躍り上がり、《バーゴイルミラージュ》の上方を取ってみせた。
「上か! そこ!」
弾丸を撃ち込むも、それを相手はクナイを払って斬りさばいている。
「……手練れか」
『お互いにそのようですねぇ。簡単には撃墜されない様子ですぅ』
「……悪いが何度もチャンスを寄越すほど、柔くないものでな。ここで迎撃してみせる!」
スプリガンハンズを突き出し、《ナナツーシャドウ》の刃と打ち合う。
何度か火花が散り、その度に常闇に沈んだオフィス街が照らし出される。
交差した刃を支点にして機体を跳躍させ、メルJは上を取ろうとしたが、それを許すほど敵の動きは甘くない。
漆黒の《ナナツーシャドウ》は《バーゴイルミラージュ》の肩口へと手をかけてさらに上を狙う。
「……私の上に……立つな!」
一射した銃撃を敵人機は泡の防御で受け流し、返す刀でリバウンドの刃が振るわれる。
スプリガンハンズの剣筋で受けてから、メルJは通信に声を吹き込んでいた。
「答えろ……! 貴様は何だ! キョムなのか!」
『いいえ、キョムではないですよぉ? まぁ、目的が同じだっただけの、そうですねぇ……いずれ分かるとでも言っておきましょうかぁ』
「……ほざけ」
蝙蝠の頭部に似たコックピットブロックへと銃弾を叩き込もうとして、《ナナツーライト》と同じ系統とは思えない膂力に、《バーゴイルミラージュ》の腕を掴み取られる。
「……このパワーは……。本当に《ナナツーライト》と同じタイプなのか……?」
『破棄されたロストナンバーですから。あの二機とは違うと思ってくださいよぅ、メルJさん♪』
余裕しゃくしゃくの敵に、メルJは歯噛みして蹴りを見舞おうとして、その時には既に《ナナツーシャドウ》は距離を稼いでいた。
『ここまでですかねぇ。今宵の戯れは』
そう言ってコックピットから自ら姿を晒したのは、風圧に三つ編みを煽られる女性操主であった。
まさか自分の隣に居たあの女性社員が敵になるとは想定もしていない。
「……貴様は……」
『名前だけでも覚えておいてくださいね、メルJさん。私はなずな。瑠璃垣なずなです。もしかすると、あなたたちアンヘルと……ちょっとした喧嘩にはなるかもしれませんねぇ』
黒とオレンジのRスーツを着込んだなずなに、メルJは自らOLのスーツを引き千切り、中に着込んだ灰色のRスーツを晒す。
「……私はメルJ……トーキョーアンヘルの、メルJ・ヴァネットだ」
「……聞いていた事前情報とは随分と違いますねぇ、メルJさん。お昼の、あの笑顔は、素敵でしたよぉ? だいぶ無理をした、作り笑いだったみたいですけれどねぇ」
「そうかな。……確かに以前までとは変わったさ。だが自分自身を裏切るような真似は、していないのでね」
銃口を向けるも、なずなはうろたえた様子もない。
それどころか満足げに頷いて見せた。
「……いいですねぇ。トーキョーアンヘルの皆さん。楽しみ甲斐があって何より。また会いましょう。今度は、お互いに偽ることなく」
牽制の銃撃を見舞うが、《ナナツーシャドウ》はそれを弾いて闇の中へと溶けていく。
数秒後には索敵にさえも入らなくなっていた。
「……《ナナツーシャドウ》……瑠璃垣なずな、か。覚えておこう……」
――ただいまと言うのも何だか癪で、かといって無関心を気取る気にもなれずに、メルJが玄関口で当惑していると、インターフォンを押したのは後ろから来ていた両兵だった。
「……大変な任務だったみたいだな」
「なに、アンヘルの仕事だ。別に何でもない」
「……何でもないって奴のツラじゃ、なさそうだが」
「……うるさいっ。本当に……何でもないんだ。ただその……何でもないような顔をして、会うのが難しくって……どうすればいいのか分からない」
赤緒たちに任務は失敗したと言うのも恥なら、何だかこのまま帰るのも難しくて、メルJは顔を伏せる。
そんな自分の頭を、両兵が不意打ち気味にわしゃわしゃと撫でていた。
「な、何をする! 小河原!」」
「アホか。小難しい理屈は似合わねぇよ、てめぇにゃ。何でもなく、一つだけハッキリしてるとすりゃ……今は腹が減ってんだろ?」
きゅう、と弱々しく腹の虫が鳴いて、メルJは赤面するが、両兵はへっと笑う。
「前にも言っていたな? オレもてめぇも単細胞なんだ。だったら、自分にお似合いの流儀で生きりゃいい。格好だとか、そんなもんは二の次さ。今はただ……似合いの生き様を生きるのが、正直ってもんじゃねぇの」
「……似合いの生き様、か。私に似合いの場所は戦場ばかりだ。それなのに、こんな形は……」
拳銃へと視線を落とす。
だが今信じるべきはきっと、この鉛弾ではなく――。
「人間、身勝手でもいいんだよ。腹が減りゃ、然るべきところに帰る。それがオレの似合いの場所だ」
両兵が柊神社の玄関口を開ける。
とたとたと足音を立てて迎えに来る赤緒に、メルJは少しの逡巡の後に、声にしていた。
「……ただいま……」
こんなにも呆気ないこと。だが、こんなにも大切なこと。
「はいっ。お帰りなさい、ヴァネットさん。小河原さんも。晩御飯はできていますのでっ」
それを言えるだけでも、今はちょうどいい。
――ここがきっと、似合いの場所なのだ。