JINKI 166 魂の故郷は何処へ

 不意打ちめいた殺気を感じ取った両兵はメルJを抱えて横っ飛びをする。

 先ほどまで自分たちが居た空間を銃弾が跳ねていた。

「……誰だ!」

 急くような足音。

 追おうにも、メルJがこの状態では難しいに違いない。

「……野郎……!」

「小河原……! 追わないと……」

 高熱を押して立ち上がろうとするメルJに両兵は声を張る。

「だがよ……! お前は……!」

「私はいいんだ。……それに、一度は故郷と呼べる場所の土を、踏んでおきたかったのもある。それが誰にでもない、自分への通過儀礼なのだと」

「ヴァネット……お前……」

「……《バーゴイルミラージュ》の下へと行こう。恐らくはキョムの手の者だ」

 その言葉に首肯して、両兵はメルJと共に《バーゴイルミラージュ》の降り立ったはずの村の中心を目指すも、霧は先ほどよりも濃くなってきている。

「……これは……何だ、眩暈か?」

 視界がぐらつく。メルJは口元を押さえていた。

「……これは神経系統に作用する濃霧だな。あまり吸うと意識を失うぞ」

「……ったく、とんだ里帰りだこって……!」

「時間もない……。来い! 《バーゴイルミラージュ》!」

 メルJがアルファーを翳して呼び寄せると、《バーゴイルミラージュ》が濃霧を裂いて直上に位置する。

「標的が居る……薙ぎ払え!」

 メルJの命令に従い、《バーゴイルミラージュ》は火線を迸らせていた。

 果たして、霧の向こう側に居たのは巨大なる影だ。

「……人機……か?」

 その影は応じない。

 ただ銃弾を受けてもまるでびくともしない頑強さを誇るものであることだけは伝わってくる。

「すぐに空中戦闘に入るぞ! ……おい、ヴァネット! 聞いてンのか!」

 メルJは霧を吸い過ぎたのか、意識がもうろうとしているようであった。

 両兵はその手を取り、しっかりと叫ぶ。

「ヴァネット! 《バーゴイルミラージュ》で空中戦に打って出る! いつものメルJ・ヴァネットならその程度、朝飯前だろうが!」

「……いや、だが私は……」

 両兵はその手を強引に引いて《バーゴイルミラージュ》の腕に乗せ、コックピットまで招く。

 それでも幻惑されたメルJの意識はまだ戻りそうにもない。

「……曖昧なままのヴァネットに引き金を引かせるわけにゃいかねぇ……。下操主席でも少しは動かせンだろ……。人機ならよ……!」

《バーゴイルミラージュ》の眼窩に光が灯り、飛翔したその時には村を覆う濃霧と、そしてその向こうに佇む巨影を、照準器に捉えていた。

「応えろよ、《バーゴイルミラージュ》……ッ! てめぇの操主を死なせるんじゃねぇ。火器管制システム……開放。劈け! アルベリッヒレイン!」

 機体の火器管制システムにアクセスし、即座に全砲門が開いて巨大なる影へと重火砲が叩き込まれる。

 しかし、敵影は無傷どころか、ゆっくりと浮かび上がって来ていた。

「……リバウンドで飛翔? ……いや、こいつぁ……何だ?」

 敵影は霧そのものを纏っており、その姿は判然としない。

 しかし、霧の奥より垣間見える敵意だけは本物だ。

 ならば、そこから逃れることだけが、今自分のできる最善だろう。

 アルベリッヒレインを撃った後ならば少しは反動で離脱挙動に移れるはず。

 そう感じて、両兵は上空を目指していた。

 雲間を抜けてからようやく、敵からのプレッシャーを掻い潜った感覚を確かにする。

「……あれは……何だったんだ? あいつの居た場所は……」

 最大望遠で村を視認して、両兵は驚愕に指先を震えさせていた。

「……おい、どういうこった……こりゃあ……」

 村があったはずの場所は黒々とした何かに覆われている。

 苔のようにも映るそれは、生き物の鼓動のように脈打ったかと思うと、不意に掻き消えていた。

「……まさか、あの村そのものが、黒い波動の……? いや、それにしたって現実感が……。どうなってやがるんだ、クソッ……!」

「小河原……?」

「ヴァネット! 意識は……?」

「あ、ああ……だいぶマシになった……。だが……」

 言葉の先を飲み込んだのが伝わる。

 自分も同様であった。

「【グリムの眷属】とやらがあの場所に居座っていたのか、あるいは他の何かなのかは分からねぇ。分からねぇが……実際、お前一人を行かせられなかったのだけは、ハッキリした」

 飛翔する《バーゴイルミラージュ》は既に遠く離れている。

 そのコックピットの中で、メルJはそっと手を伸ばしていた。

 まるで届かぬ過去への望郷のように。

 だが、その手を取るのは決して過去ではない。

 それは未来のはずだ。

 そうなのだと、信じたかっただけ――。

「――さつき、おかえりー。お土産っ、お土産ー」

 柊神社に帰ってくるなり土産をせがまれるさつきを目にしつつ、赤緒は半日ほど寝込んでいるメルJを気にかけていた。

「あの……南さん。ヴァネットさん、ずっと部屋で……」

「ああ、何だか気分が悪いみたいだし、そっとしておいていたんだけれど……」

「心配なので、ちょっと見てきていいですか?」

「ええ、そうね……。報告にあった通り程度なら、いいんだけれど……」

 南の懸念を他所に赤緒はホットココアを持ってメルJの部屋の扉を叩く。

「ヴァネットさん。大丈夫ですか? 入ります……よ?」

 窺いつつも扉を開けると、シャツ一枚を突っかけていたメルJは片膝を立てて放心していた。

 窓を眺めていたので声をかけそびれていると、ようやく自分の存在に気付いたようである。

「……ああ、赤緒か」

「ホットココアを……。少しは落ち着くかなって」

「すまんな。気を遣わせて」

「いえ、全然。……あの、里帰り……どうだったんですか?」

 切り出してはいけない質問だったのかもしれない。だがそれでも、聞かずにはいられなかった。

「ああ、小河原のお陰で……いや、それも変な話だな。ただ……故郷と呼べる場所はきっと……今はここなのだと、私は思うことに……いや、そうだと思いたいだけの……」

「あの、気休めかもしれませんけれどでも……私も故郷はないんです。だからその……ここが……柊神社が故郷でも別に、いいんじゃないかなって……」

 下手をすればこれは余計な勘繰りになったかもしれないが、メルJは視線を振り向けて柔らかく微笑む。

「……そう、だな。今はここがある。ここがあると言うだけでも……ありがたいと、思うべきなんだろう」

 ラフな格好のまま、メルJは瞑目する。

 赤緒は自分の分に持ってきておいたホットココアに視線を落とし、そっと呟いていた。

「……いつか、……本当にいつかでいいんですけれど、お互いの故郷を誇れるように……そうなれば、いいと思うんです。私の故郷はここだって、胸を張って生きられるようになれば、きっと……」

「赤緒……。そうだな、それがきっと、魂の故郷なのだろう……。だが私の魂は、まだあそこに囚われて……」

 それがいつの日になるのかは分からない。

 それでもきっと、故郷を想うことに負い目を感じるようには、ならないはずであった。

「今は、ホットココア一杯分だけでも、あったかい気分になってください。それくらいしか、私にはできないから……」

 笑い話にしようとすると、メルJはココアの入ったマグカップを掲げる。

「そうだな。この一杯分だけでも、トーキョーアンヘルの一員だと言う、証にはなるだろうと思う」

 だから今は少しだけ。

 二人ぼっちで――この時間を、愛おしく思う権利が欲しかった。

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