JINKI 167 アンヘルとひな祭り

「そうは言ってもねぇ……。あんた、一応は柊神社の境内なんだから遠慮しなさいよ。にしても、ちょっとの活動でもそこそこ物品は必要になってくるわね」

「そりゃあ、そうでしょ。人機の基本運用なんだからさ。……んー、にしたってどこやったかなぁ。集積回路が足りないってなると、あのプランが通らなくなっちゃうし……」

 南はこきりと首を鳴らして肩を回す。

「はぁー、肩凝っちゃった。ここじゃないんじゃないの?」

「えぇー、じゃあどこだって言うのさ」

 南は大きく伸びをして格納庫から繋がっている柊神社の倉庫へと歩を進めていた。

「例えば……ほら、こっちに入らないからってここに入れたとか」

「そこは元からある倉庫じゃん。そこになんか入れないよ」

「いや、案外灯台下暗しって言うか……。あれ? エルニィ、これって何かしら……」

「えっ、あったの?」

「いや、そうじゃなくって……。この箱よ」

 目の前には桐製の箱がいくつか布を被せられて置かれている。エルニィは肩を縮こまらせていた。

「やめてよね、オカルトだとかは」

「うぅーん……でもこれ、そういうんじゃなさそう……あら、これって……」

「――ただいま帰りましたぁ……。あれ? 誰も居ないのかな?」

 赤緒は帰宅するなり人の気配の途絶えた柊神社を見渡していると、ふと庭先に構築された異質な物体を目にする。

「あれ……これってひな人形……? 何で境内に?」

 戸惑いがちに触れようとした瞬間、声が弾ける。

「あーっ! 駄目だって赤緒! せっかく乾かしているんだから」

「た、立花さん? 乾かしてるって……いえ、そもそも何でひな人形なんです? もう五月も後半ですよ?」

「集積回路探している途中に見つけちゃったんだよね。で、南が珍しいからって出したんだけれど、どうするかは思案中」

「でも、外に出しておくと駄目じゃないですか? 外気とか……」

「と言うか、そもそもひな人形って何? ボク、よく知らないんだよね」

 知らずに境内に飾っていたのか、と赤緒は軽く肩透かしを食らった気分であった。

「えっとですね……桃の節句だとか色々ありますけれど……あれ? そう言えば私もよく知らない……」

「何だ、赤緒も分かってないんじゃない。ブラジルにはなかったなぁ、ひな人形なんて」

「日本の古式ゆかしい文化なのよ。おっ、茶柱」

 台所から湯飲みと茶菓子を拝借してきた南がひな人形へと歩み寄ってくる。

「南さん、何でひな人形を?」

「いやー、何て言うか懐かしくなっちゃってね。カナイマは日本人集団だったから、ひな人形はあったのよ」

「南米に……ですか?」

「うん、そう。そんで……あれはまだ冬の時分だったと思うんだけれどね――」

「――青葉さん、今日の訓練もお疲れ様。モリビトの反応もよくなってきているよ」

 青葉は下操主席から川本の声を聞いて操縦桿から手を離す。

「あっ、ありがとうございます! でも、まだまだなので……。狙ってファントムを続けるのにはもっと努力が要るかなぁ」

「いや、充分だと思うよ。ファントムを物にするまでもうちょっとのところなんじゃないかな」

 川本の評に喜んでいる自分へと冷水を浴びせるように上操主席からの両兵の声が被さる。

「……けっ、ヒンシのクセにおべっかかましてんじゃねぇよ。こいつはまだまだだろ」

「り、両兵! 自分はファントムできないからってすねないでよ」

「すねてねぇし、ファントムできるのがそんなに偉いのかよ。第一、《モリビト2号》の上操主としちゃあ、歴はオレのほうが長ぇンだ。ちょっとばかし調子づき過ぎなんじゃねぇのか?」

「……ち、調子なんて……! じゃあ両兵も努力すればいいじゃない」

「それが上操主に言う台詞か。悔しけりゃ上操主の操縦をマスターするんだな。ヒンシ、モリビトの整備、しっかりしとけよ。オレは疲れたんで寝てくる」

 タラップを降りていく両兵の背中に向かって思いっきり舌を出すと、川本が諌める。

「まぁまぁ……。あれで両兵もちょっと焦ってるんだと思うよ? 大人じゃないからね、両兵も。ファントムができるのは確実に青葉さんの強みなんだから、誇っていいし」

「……でも、両兵の言うことも本当なのは分かってるんです。下操主だけじゃ、私……まだまだだなって」

「いや、青葉さんが《モリビト2号》に乗ってくれているお陰で僕らも助かってるんだ。古代人機の討伐だって余裕が少し持てているのはモリビトが安定して駆動できるのが前提だからね」

「川本さん! 倉庫のほう、今日掃除じゃありませんでしたっけ!」

 下から呼びかける古屋谷に川本は、ああそういえば、と思い返していた。

「倉庫……?」

「整備班には一月に一回の倉庫点検が義務付けられているから。その日取りなんだ」

「わ、私も手伝います!」

「青葉さんは操主だから、別にそこまで気を遣ってもらうほどじゃ……」

「いえ、私……。もっとモリビトのこと、人機のこと知りたいですから」

 そう懇願すると川本も頷いてくれた。

「じゃあ、ちょっとだけお願いしようかな。結構雑多だから、気を付けてね」

「……はい!」

 整備班の倉庫に向かう道中、《ナナツーウェイ》を整備点検する南とルイにかち合っていた。

「あっ、青葉じゃん。どったの、みんなで箒やら何やら引っ提げて」

「整備班の倉庫点検のお手伝いをしようと思いまして」

「あー、それ? 別にいいのに。青葉は操主じゃないの。整備班に任せとけばいいのよ」

「いえ、……でも私、一つでも多くのことを知りたいですから」

「マジメねぇ……。うちのルイにも煎じて飲ませたいところだわ」

「何言ってるの。南、整備点検作業なんて面倒だからって、何でもかんでも整備班に任せっきりなのは自分のほうでしょ」

「失礼ねぇー、ルイ。整備班がやりたいって言っているんだからやらせてあげればいいでしょ? 優しさよ、優しさ」

 肩を竦める南を他所にルイはレンチを置いて汗を拭う。

「どうなんだか。……青葉、あんた倉庫点検に行くの?」

「あっ、うん……」

「ふぅん。青葉のクセに、生意気なのね。南、他のところは任せるから、私も行くわ」

「あっ、ちょっと! ルイー! あんた、サボる口実にしたいだけでしょー!」

「南ほどじゃないわよ」

 べっ、と舌を出してルイはこちらへと合流してくる。

「……よかったの? 南さんだけ残しちゃって」

「いいのよ、あれで全然仕事してないんだから。それに後は《ナナツーウェイ》のインジケーター周りだけ残しておいたからどれだけサボり症の南でも片づけるでしょ」

「……何だか、ルイって南さんのこと、よく分かってるんだね」

「……当たり前じゃないの」

 こっち、と川本たちが招いたのはいかにも年代物らしい倉庫であった。

「それにしたって毎月、結構なものが出入りするので相変わらず片付きませんねぇ」

 ぼやくグレンに古屋谷が声を被せる。

「まぁ、軍からの払い下げ品だとかがどんどん積もっていくのは間違いないし、片づけるような余裕もないしねぇ」

「この間の古代人機の襲撃で壊れたペンキ小屋の修復の目処も立ってないし、案外、アンヘルは万年金欠だったりするから……」

 ちら、と川本がルイに目線をやる。

 そう言えば前回の古代人機戦においてペンキ小屋をぺしゃんこにしたのはルイと南だったか。

 ルイに睨み返されて川本はおずおずと引き下がっていた。

「……とは言え、物が多いからなぁ。昔からのものだとか、もう捨ててもよさそうなものだけれど」

「何に使うのか分からない箱とかも結構ありますしね。これとか特に……」

 グレンが難色を示したのは一際大きな桐の箱であった。

 大きさは整備班の中でも大柄なグレンの背丈ほどもある。

「これ、何なんだろう……。開けちゃ駄目な箱とか?」

「親方が崩れるから下手に触るなって言ってるのもあるけれど、確かにこの箱って何なんだろう……。僕らが来た時からずっとあるから……」

「あ、あの……ためしに見てみるとか……駄目ですよね?」

 青葉の言葉に整備班の面々はそれぞれ目線を交わし合ってから、誰ともなく声にする。

「……まぁ、ずっと置いてあるってのも何か無駄だし……せっかくなら見てみるか」

 桐の箱には布がかけられており、取り払うと細かい埃が舞って思わず咳き込んでしまう。

 古めかしい箱の中に納まっていたのは――。

「あれ? これってもしかして……ひな人形?」

「ひな人形って……三月に飾る……あれ? 何でこんなものがアンヘルの倉庫の中に?」

 川本が不思議そうに首をひねる中で、古屋谷とグレンがへぇと感嘆する。

「川本さん、これ結構な値打ち物なんじゃないですか? 造形も細かいですし、これまで倉庫で眠らせておいたの、もったいなかったかもしれないですね」

「じゃあ一回出してみるとか?」

 古屋谷の提案に川本は、まぁと首肯していた。

「一回も日の目を見ないのはもったいないからね。ひとまず、整備班総出で出してみようか」

 倉庫の手前まで出すだけでも結構な手間のかかる大きさの立派なひな壇に、青葉は思わず感嘆の声を上げる。

「すごい……。こんなに大きいのがあったなんて……」

「昔のひな人形だから結構値が張るはずなんだけれど……。こんなのが整備倉庫にあったなんてね」

「そうだ! せっかくだし、ひな祭り気分にこれ、アンヘルの宿舎まで持って行かない? ほら、今年はちょうど青葉さんとルイちゃんも居るし」

 古屋谷の言葉に、でも、と川本は渋る。

「これだけのもの、持って行くのはどれだけ力自慢でも難しいんじゃ……」

「あっ……それなら人機を使えばどうです?」

 思いついて声にした青葉に全員の注目が集まる。

「モリビトで運ぶってこと? ……いいけれど、崩れないかなぁ?」

「私、最近ちょっとだけ上操主の勉強もしていますので……! 多分、崩さずに持って行けると思います」

 自分の言葉に整備班はめいめいに声にする。

「……まぁ、このまま埃を被り続けるのももったいないだけの逸品だし、運びましょうか」

「……そうだね。せっかく今は青葉さんやルイちゃんも居るし、ちょっと早いけれどひな祭り気分って言うことで」

「じゃあ私、モリビトを……あっ、でも下操主が居ないと……」

「私がやるわよ。これでもモリビトの操主としての勉強はしているし」

 ルイの言葉に青葉は首肯して、格納庫へと走っていく。

「……じゃあ、持ってきますね! でも、ちょっと意外。ルイもああいうの、興味あるの?」

「……あんまり見たことがないから物珍しいだけよ。本当に、それだけ」

「日本じゃ、三月にあれを飾るの。ひな祭りって言って」

「あんなのを? いちいち出したり仕舞ったり?」

「あ、でもうちにあったのはもっと小さかったかな。あんなに立派なおひな様がアンヘルにあるなんて、びっくりしちゃった」

《モリビト2号》に搭乗する際、ルイが下操主を務める景色は純粋に新鮮で、青葉は少しばかり当惑してしまう。

 上操主席は下操主とはまるで景色が違う。

「……両兵にできるんだもん。私にだって……」

「今は古代人機を倒すんじゃないでしょ。あれをアンヘルの庭先に持って来るだけ」

 どこか醒めたようなルイの言葉に、少しだけ平常心を取り戻した青葉は深呼吸して、《モリビト2号》を機動させていた。

 モリビトの眼窩に光が灯り、ひな壇をゆっくりと、それでいて繊細に宿舎のほうへと運んでいく。

「……上操主って力加減が結構大変……。でも、これくらい……」

「何なら変わるけれど。あんたができないって言うんならね」

「で、できるもん……! 私だって……!」

 そっとひな壇を降ろしてから、青葉は額の汗を拭っていた。

「なになにー? 青葉ー、これってひな壇じゃないの? へぇー、こんなのあったんだ」

 降りるなり南が駆け込んできて物珍しそうに上から下へとひな壇を凝視する。

「あれ? そう言えば南さん、アンヘルの人なら知っていたんじゃ?」

「いんや、私も知らなかったわ。こんな立派なひな人形があったなんてねぇ……」

「南はこういうの、どうだっていいタイプでしょ」

「むっ、失礼ねぇ、ルイ。私だって女の子なんだからね」

「女の子、って年?」

 いつものルイと南の追いかけっこが始まる中、宿舎から出てきた現太が、ほぉ、とひな壇を目にして驚愕する。

「まだ残っていたとはね」

「先生。このおひな様、アンヘルの?」

「ああ、うん。なにぶん、男所帯だからこういう行事をすっかり忘れていたが……そうか。まだ立派にあったんだね」

「あの……今日は特別に、ひな祭りってことでいいですかね? だってこれだけ立派なひな人形、出さないのももったいないですし」

「ああ、それは構わないよ。それにしても……ひな祭りか。いや、カナイマで戦っている間はすっかり抜け落ちていたな」

「青葉ー、そういえばひな祭りって何するの?」

 ルイをがっしりと掴んだ状態の南に問いかけられて、青葉は戸惑う。

「それはー……。えっと、ひなあられを食べたり……後は、ひな人形を出してお祝い……? だったかな」

 うろ覚えの知識に現太が補足する。

「女子の健やかな成長を祈る節句行事だね。桃の節句とも言う」

 鮮やかな赤の色彩のひな壇を目にして、現太は、そう言えば、と呟く。

「飾りっ放しにすると、その女の子は結婚できない、とかもあったかな」

「えーっ! それは困りますよ! 現太さんと結婚するのは私なんですから!」

「……どうせもう行き遅れじゃないの。今さら気にするところじゃないでしょ」

「ちょっ! あんた、ルイー!」

 またしても追いかけっこが始まるのを微笑ましく眺めながら、青葉はひな人形に視線を寄せていた。

 ふと、こみ上げるものを感じて目じりの涙を拭う。

「青葉君? どうかしたかい?」

「……いえ。おばあちゃん、毎年ひな人形を用意してくれたなぁ、って思い出しちゃったんです。あのおひな様も……もう遠いんだなって思うと」

「……なに、土地は違っても祈る心は同じだろう。今は地球の裏側でも、それはきっと、遠ざかることなんてないはずなんだからね」

「先生……。そう、ですかね。私、でも、こっちに来てもおひな様に会えて、それでモリビトとも出会えてよかったと思ってます。だって、日本に居たらきっと……寂しさで押し潰されていたでしょうから」

 今は少しばかり騒がしくってもこうして整備班と南たちが居てくれる。

 それは恐らく、日本に居たままでは空白の心を持て余すばかりであっただろう。

「何やってンだ。うっせぇな。寝られねぇだろうが」

 宿舎から肩を荒立たせて歩み寄ってくる両兵を認め、川本らが声にする。

「あっ、両兵。倉庫の中に立派なひな人形があったんだ。せっかくだから出しておこうって思ってね」

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