「……エルニィのブロッケン、何とか敵を退けてくれそうね。このままなら……」
その瞬間、金枝が立ち止まる。
何か、と感じた刹那には、彼女は直上を指差していた。
習い性の感覚が瞬時に照準し、敵意を薙ぎ払っていく。
「……上に展開していたなんてね。走れる?」
こくりと頷いた金枝を引っ張って、南は《ブロッケントウジャ》の戦闘の模様を確かめられる河川敷のほうまで抜けていた。
ゾールも開けた空間で襲いかかってくるほど馬鹿ではないらしい。
《ブロッケントウジャ》が《バーゴイル》を叩きのめし、建築物を犠牲にしてゼロ距離のレールガンで血塊炉を打ち砕く。
青い血潮を蒸発させていると、小隊編成の《バーゴイル》はプレッシャーガンの牽制銃撃をもたらしつつ、撤退機動に入っていった。
「……何とか、逃げ切れたって感じね……」
ようやく落ち着いた頃には膝が笑っている。
どうにも無理をしてしまったらしいと、へたり込んだ自分へと、金枝が手を差し出す。
その手が――かつての青葉の手と同期して、南は目を見開いていた。
「……どう……しましたか?」
「ああ、ううん。ちょっと知り合いに見えちゃって。もう、何でもないわ」
その手を取って南は立ち上がる。
「それにしたって派手にドンパチやったわねぇ。……後でお偉いさんに呼び出されそう」
「あの……あなたたちは何なのですか? 金枝は、何かしたのですか?」
「ああ、いや……ううん。これも言っておいたほうがいいわね。汚れ役……って奴かしら」
避難してきた市民が河川敷まで流れ込んできているお陰で話を聞かれる心配はなさそうだ。
南は川面を見つめつつ、まずは、と切り出していた。
「あなたのことを何で知っているか。それとどういう目的で接触したか、よね」
「――あ、南さん。それに立花さんも、お帰りなさい。京都はどうでした?」
「どうって……酷いもんだったよ、赤緒ぉー……。お陰で京都土産の八つ橋も買えず仕舞い」
赤緒に泣きついたエルニィに南は、ああ、と肩を回す。
「あんたねぇ……こっちだって大変だったんだから。あの子を連れ回して慣れない路地を走った走った……」
「南は……そういう役目じゃん。今回は言いっこなしだよ」
「あの……南さん、お疲れのようですので、私、お茶を淹れてきますね。立花さんも」
台所のほうへと戻っていく赤緒の背中を眺めつつ、エルニィが切り出す。
「……で、上手くいったんだっけ」
「ああ、うん。……まぁ、一応は、ね」
「煮え切らない言い草だなぁ。説得したんでしょ?」
「うーん……期限付き、みたいな感じだけれど。今のままじゃ、あの子にとってもいいことは一個もないし。代わりに護衛をつけることにしたのよ。交換条件としてこれ以上はないって感じでしょ」
「……それって監視……」
「あんた、馬鹿……。聞こえが悪いわよ」
「実際、そうなんでしょ。……はぁー……まぁボクはブロッケンで戦闘していたから細かいことは知らないけれど。よく説得できたね。だってあの子、見た感じ普通じゃんか」
「……そうね。そんな普通の子でも、血続なら人機操主にしなくっちゃいけないのが、私たちみたいなんだし」
「……気を揉んでいるのなら、別に南だけのせいじゃないじゃん。ボクだって似たようなものだし」
今は、こうして痛みを分け合ってくれるのもありがたかった。
しかし、と南は境内へと視線を投げる。
「……あれでよかったのかしらねぇ……私も」
「――操主……」
「そう。エルニィ……うちのメカニックなんだけど、さっきの子と同じようにね。あなたには人機っていうロボットに乗る素養があるってことが分かったの。だから……近いうちにあなたを迎えにくる人が居るわ。私たちは下見がてら来たんだけれど……現状でも充分に危なそうね。護衛を付けることを約束させましょう」
これも上役を説得しなければな、と思っていた南は、震える拳を固めて膝に視線を落としている金枝を発見していた。
「……何で、ですか。金枝……普通の……子ですよ」
声が震えている。無理もない。
本当に、凡庸なのだろう。
青葉のように特別な素養があったわけでも、赤緒のように能力があるわけでもない。
いたって普通の、ただの少女に突然、操主に成れと迫っているのだ。
非現実を形にしたようなものだろう。
それでも、自分は言葉にするしかない。
「……それでも今日のように、敵は襲ってくるわ。まだ体制が整っていないけれど、いずれアンヘルは京都にも支部を作る。その時に反発は来るでしょうけれど、それでもさっきみたいに街が犠牲になる。……人に恨まれる仕事かもしれない」
先ほどは《バーゴイル》の小隊編成であったが、もし京都に支部を作ったとなれば、キョムの本気で攻めてくるはずだ。
その時に自分たちが盾になるとはなかなか言い出せない――否、断定はできない。
それでも彼女に戦うことを強いるのが、自分の役目なのだ。
金枝は震える手を持て余しながら、河川へと視線を投げていた。
「……あなたが操主になるその時は……私はもしかしたら引退しているかもしれない。東京が壊滅的な被害を受けるかもしれないし、京都にまで手が回らない可能性もある」
「……だったらなおさら……」
「でもね、今日みたいなことがあった時、みんなを助けられる可能性があるのは私じゃない。あなたのような人間なのよ」
金枝がハッとして自分へと振り仰ぐ。
まだ小さな、頼り甲斐のない肩。その双肩に世界の命運を乗せてきたのは何も今に始まった話ではない。
それでも南はこの時、金枝の瞳を真っ直ぐに見据えて声にしていた。
「あなたがみんなを助けられるの」
「それは……お爺様も、ですか……」
前情報で金枝が不登校になったのは祖父の影響があるのだと、友次から聞かされていた。
それをちらつかせてもよかったのだが――この時自分は頭を振っていた。
「……そんなの関係ない。私はあなたに、この街を守って欲しいの。だって、あなたは私を助けてくれた。さっき、あなたが上を指差してくれなかったら、私は死んでいたかもしれない。そう言う風に、誰かを助けることが、あなたにならできる。……私は、もう操主としては立派なことは言えないけれどでも、道を作ることはできるわ。自分の背中に続く道をね」
金枝へとそっと手を差し出す。
「握手して欲しいの。別に約束とかじゃないわ。ただ、今日を生き延びられた可能性……あなたの持つ未来の答えにね。私は少なくともそれに救われた。だから……」
金枝は静かに自分の手を握り返す。
まだ弱々しい手の力。それでも自分の――震えている手の支えにはなってくれる。
「……震えていますよ……」
「そうね。私だって怖いのかもしれない」
「じゃあ、何で……」
「何でってそれは……。かつての……誰かを守って来た、それを誇りにしてきた“守り人”の少女たちに、報いるためなのかもしれないわね。私だけは逃げ出しちゃいけないんだって」
「……あんなに怖い目に遭っても、ですか……」
「うん、まぁー……これは私の経験則なんだけれど、怖がっていちゃ何も守れない。だから前に出て戦う。だって、それが私たち、アンヘルにできる、人を守るってことなんだろうと思うから」
「人を……守る……」
「だから、約束じゃない。ただ、あなたを守らせて欲しい。今日のように、誰かを守って来られたあなたにはきっと強さがある。その強さが芽吹く時まで、どうか生きて。強くなくったっていい。誰かを守るのに必要なのは多分、目に見える強さなんかじゃないから」
夕映えを照り返す河川敷を眺める。
金枝はその水面を見据え、口にしていた。
「……約束は、金枝には無理です。でも、守るために強くなることなら……その時に、強くなった時にもし……もう一度出会えることができたのなら……名前を、教えてもらってもいいでしょうか? だって、金枝、名前も知らない人に救ってもらっただけじゃ嫌ですから」
そんなささやかなものでも、きっと彼女の支えになり得るのならば、今はそれを交わすべきだろう。
「……うん。きっと、守れるようになったら私は、あなたに名乗れる……誇りある日々が来るのだと、信じているわ」
「……じゃあ金枝は、今は聞きません。でもその時が来たら……」
「ええ、きっと、私はその時、あなたの傍に居るから」
だからまだ。
――まだ死ねないな、と自嘲して、南は河川敷へと石を投げるのであった。