JINKI 188 眩しい季節を迎えて

 褒めようとして、ルイは鉛筆で歴史の教科書の偉人に落書きを施しているのを垣間見て、赤緒はやはり、と落胆していた。

「……ルイさん、勉強はしましょうよ」

「しているわよ。こうして教科書を広げているだけでもそれっぽいでしょう?」

「それっぽかったら駄目なんじゃ……、あっ、さつきちゃん」

「赤緒さん、今日の晩御飯の食材を買ってきました。……ルイさんは勉強してます?」

 やはりさつきが勧めたのだろう。赤緒は声を潜ませる。

「それが……全然な感じで。そもそも何で急に勉強を?」

「期末テストが近いんです。ルイさん、一応は学校に通っているので、勉強を教えてくれということだったのですが……」

 さつきが濁すのも無理はない。

 ルイは先ほどからページの片隅に絵を描いてパラパラ漫画を作っている。

「……うーん、ルイさん、勉強は普段はしているの?」

「それが……どうやら教科書の裏でマンガを読んでいたり、早弁をしたりしているらしく……。まるで授業内容は頭に入っていないみたいなんです……」

 嘆息をついたさつきに対し、ルイは傲岸不遜に言ってのける。

「さつき、お茶菓子を買って来るって言う約束だったでしょう? 何をしているのよ。速く勉強会を始めましょう」

「……もう、ルイさんはお茶菓子が欲しいだけじゃないですか」

「聞こえないわね」

 とは言いつつも、面倒見のいいさつきはコーヒーをマグカップに注いでルイと対面し、自分も教科書を広げている。

 何だか不安になる姿に、赤緒は台所に入ったところで、菓子を物色する南と顔を合わせていた。

「……南さん?」

「違うのよ、赤緒さん。この間、海外に行った時に買っておいたお茶菓子があったでしょ? それを探していて」

「……お茶なら淹れますけれど、でもちょっと、お聞きしたいことが」

「何? 何かあったの?」

 赤緒は南ならばルイのことをよく知っているだろうと、尋ねていた。

「その……ルイさんって勉強とかよくやっていたほうなんですか?」

「あー、人機に関してならそれなりよ、あの子は。青葉と現太さんの授業には出ていたからね。物覚えはいいほうなんじゃないかしら」

「……でも、学校の勉強には苦戦しているみたいですけれど」

「興味のないことは覚えられないのね、きっと。まぁ、あの子らしいっちゃあの子らしいけれど」

 赤緒は緑茶を抽出しながら、南の評を聞いていた。

「ルイさん……でも日本の学校に馴染もうとはしているんですよね」

「まぁね。キョムがどう仕掛けてくるのかも目下不明な今となっては、学生身分が一番身を隠しやすいし。それに、ずっと柊神社でお世話になるってわけにもいかないでしょ? やれることはやっていかないと」

「じゃあその……テスト勉強とかもその一環で?」

 その言葉を聞くなり、南は後頭部を掻いていた。

「テスト勉強? あー、なるほどね。それでルイは苦戦って言うわけか」

 湯飲みにお茶を注いでから、赤緒は現状を話していた。

「さつきちゃんと同じくらいですから……中学生レベルの問題のはずですよね? ルイさん、解けるんですかね……」

「うーん、私としちゃ何とも言えないかな。あの子のやる気次第だし、それに、私が勉強しろって口うるさく言うよりかは、ルイの自主性に任せたいって言うか。おっ、茶柱」

 湯飲みを覗き込んだ南に、赤緒はうーんと思案する。

「何か……私にもできることはないでしょうか? だって、一応はこれでも高校生なわけですから、教えられることとか」

「赤緒さんがその気になってくれるんなら、ルイに勉強を教えて欲しいけれど、でもまぁ、あの子の気分だからね。それに、さつきちゃんとも最近はうまくいっているみたいじゃない。なら、下手に強制してやる気をなくすのが一番にまずいんじゃない?」

 やはり、南はルイのことを分かっているのだ。

 彼女の赴くところを理解しているからこそ、下手な助言は逆効果だと知っているのだろう。

「じゃあその……見守ると言うか、ひとまず様子を見てきます……」

「頑張ってね。赤緒さんが心配してくれていること、きっとルイも分かっているはずだから」

 ひらひらと手を振る南を他所に、赤緒はそっと居間を覗き込んでいた。

「いいですか? ルイさん。語呂合わせで歴史は覚えましょう。いい国作ろう?」

「……何だったかしら」

「……えっと、サインコサイン?」

「……タン……タン、何とか」

「えっと……じゃあヘリウムの元素記号は?」

「ヘリウム……ヘリ……」

 どうやら完全にルイの脳内には勉強のことなど頭に入っていないらしい。

 さつきは少しだけ憔悴してから、コーヒーに口をつけていた。

 ルイもちびちびとコーヒーを飲みながら、教科書の隅に絵を描いている。

「あのー、ルイさん? テスト勉強を教えて欲しいってルイさんが言ったんですよね?」

「言ったわ。けれど、どれもこれも聞いた覚えがないんだもの」

「……それはルイさんの常日頃の授業態度が……」

「何? さつきのクセに私の授業態度に物申すの?」

 凄まれるとさつきはなかなか返答し切れないようであった。

 これは長丁場になるな、と赤緒は居間に踏み入る。

「お茶菓子を持ってきましたよー。……どうです? ルイさん。調子は」

「まぁまぁね。そもそも、私にとってテスト勉強なんて何てことはないのよ」

 こういう時に強がる癖があるから、恐らくは勉強が頭に入らないのだろうと思いつつも、赤緒はルイの隣に座り込んでいた。

「……何よ」

「い、いえ、その……私、高校生ですから!」

「知っているわよ。今さら何言ってるの? 馬鹿なのかしら」

「で、ですからその! ……教えられることもあるんじゃないかなーって……」

「赤緒が何を教えるって言うの? さつきもそうだけれど、私を舐め過ぎよ。テスト勉強くらい、ぱぱっとどうとでもなるんだから」

 しかし遅々として進んでいない様子の問題集に、赤緒はそっとさつきへと問いかける。

「さつきちゃん、今の感じだとルイさんは何点くらい取れそう?」

「えっと……三十点取れればいいほうですかね……」

 完全に赤点である。

「それって……やっぱりまずいよね……」

「ですね。補修になっちゃうと、今度はアンヘルとしての活動に差し支えますし……」

「こそこそと何話してるのよ。言っておくけれど、あんたたちの考えで私がどうこうするとは思わないことね」

「で、でもですよ、ルイさん……赤点はまずいですよ」

「そ、そうですよ。赤点だけは取らないように勉強しましょう? ね?」

 取り成すさつきに、ルイは不遜そうに鼻を鳴らす。

「……大体、語呂合わせだの何だのまどろっこしいのよ。もっと簡単で、もっと最適なやり方ってあるんじゃないかしら」

 ルイは立ち上がるなり、軒先で筐体を弄っているエルニィの襟首をむんずと掴んでいた。

「何すんのさー、ルイ。こっちの仕事なんだけれど」

「あんた、自称天才なんでしょう?」

「まぁね。って言うか、本物の天才だけれど。で、何? 何かさっきから勉強しているみたいだからわざと声をかけなかったんだけれど」

「自称天才なら当然、それなりに勉強の手数も踏んできたはずよね?」

「あー、何? ルイってば、ボクに一発で分かる勉強法とか求めてる?」

 うーん、とエルニィは呻ってから、そうだと、消しゴムを手にしていた。

「消しゴムって絶対に必要じゃん。だからさ、こんな具合に……」

 エルニィがやったのは消しゴムの裏側にびっしりと文字を書き連ね、答案を埋めていく方法であったが――。

「だ、駄目ですよ、立花さん! それじゃカンニングになっちゃいます!」

 思わず割って入った赤緒に、エルニィは首を傾げる。

「でもなー……地頭がいいのは間違いないんだから、ルイが日本の勉強法に慣れるのにはこれしかないんじゃない?」

「で、ですけれど! カンニングしたら駄目なんですってば!」

「何? さつき、カンニングって駄目なの?」

「え、ええ、まぁ。普通はしませんよね……」

「じゃあボクお手上げー。って言うか、そもそも日本のテスト勉強ってこんな狭い範囲を覚えて何になるの? いい国だとか、鳴くよウグイス、だとか語呂合わせ? って言うのも日本語じゃないと通用しないし。まぁ半分ギャグみたいなもんだよね。これで勉強したつもりになるって言うのもまた厄介だなぁ」

「で、ですけれど、それが日本のテスト勉強なんですよ」

「うーん……まぁ、ボクはテストだとか何だとか免除だし、いいアドバイスは浮かばないかも。そもそもさ、ルイはテストで何点取りたいわけ? それによって助言って変わって来ない?」

 全員の視線が集まると、ルイは当たり前のようにふんぞり返る。

「そんなの、百点以外にないじゃないの」

 その言葉に、さつきとエルニィが顔を見合わせて重いため息をつく。

「……いやはや、さつきも大変だね」

「ですね……。ルイさん、満点は無理ですよ」

「何? 私にそんなの無理だって言いたいの?」

 威圧したルイにさつきは、とんでもない、と縮こまる。

「……ただ……満点って普通に勉強ができる人でも難しいので……目標が高過ぎますよ」

「じゃあさつきは何点くらい取れるのよ」

「私? ……私はその……教科によっては八十点くらいかな……」

「さつきより下なんてあり得ないんだから。あんたが八十点なら私は百点、当然でしょう?」

 どうやらまったく譲る気はないらしく、このままでは赤点どころか、下手に高得点を狙ってルイが補修の憂き目に遭いかねないと真剣に悩むことにした。

「……でも、テストってそんなに時間ないはずじゃないですか。何か……効率的な勉強法があればいいんですけれど……」

「案外、こういうのの攻略法は知っているかも。メルJー」

 庭で射撃訓練に明け暮れているメルJを呼びつけたエルニィに、彼女はむっとして歩み寄ってくる。

「何だ、立花。用がないなら呼ぶんじゃない」

「そうじゃなくってさ。メルJって勉強とかやってた? 結構、できるほうだった?」

 その問いかけにメルJは胡乱そうになる。

「勉強? ……そんなものをやって何になる。そもそも私は、日本の学習教育には詳しくないんだ」

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