「いや、私は……。こういったものを読み聞かせてくれる人は……居なかったからな」
思わぬところでメルJの暗い過去に触れてしまったようで、両兵は及び腰になる。
「……悪かったよ。んなつもりはなかった」
「いや、今はいいんだ。こうして……お前が読み聞かせてくれる。それが何だか……得難いような気がしてな」
「読み聞かせって、オレは親でもなけりゃ兄貴でもねぇぞ?」
「……どうなんだろうな。実際、お前が私に、こうして物事を教えてくれるのが……何だかとても、ありがたい気もする。親代わりみたいなものを感じているのかもな」
あまり踏み込み過ぎない程度で、両兵はその感想を咀嚼して頬を掻く。
どこか、そのような言葉は自分には不釣り合いに思えて、何だかくすぐったい。
「……親代わり、ねぇ。オレもオヤジからこういうの教わったわけでもねぇしな。ガキん頃はとことん外で遊んだほうが多かったし、本なんざまともに読んだこともねぇ。学がねぇって笑ってくれても構わねぇぜ」
「その点で言えば、私も似たようなものだろう。学なんてないんだ」
「……違いねぇか」
互いに笑みを交わし合ってから、両兵は佇まいを正す。
「……じゃあ、桃太郎で絞っていくぞ。それで何回か読んでみて、覚えれらりゃ勝ち、覚えられなけりゃ、その時はその時だ。それでいいな?」
「……ああ。何となくだが、お前が喋ってくれるんなら、一人で悩むよりかは覚えやすそうだ」
「そうかよ。じゃあ、行くぞ。“昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが――”」
「――ただいまぁ……夕食の買い物していたら遅くなっちゃった」
柊神社に帰るなり、赤緒はぱたぱたと台所へと駆け込もうとして、居間で寝そべっている二人を発見していた。
「お、小河原さん……と、ヴァネットさん? えっとー……何で?」
寝息を立てている二人を起こすつもりにはなれず、赤緒はそっと窺う。
絵本を開いた状態で寝入った両兵の袖を、メルJはそっと握っていた。
まるでもっと読み聞かせてくれとせがむ子供のように。
机の上には無数の絵本が散乱しており、桃太郎の最後のページが開かれている。
「……どういう状態なのか分からないですけれど、でも……何となくヴァネットさん、嬉しそう……」
何故なのだか満たされた表情をしているメルJに微笑んで、赤緒は二人分の毛布を運んできていた。
「めでたしめでたし……か。物語の最後はそうでありたい……ですよね」
桃太郎の最後のページを開いたまま、寝返りを打った両兵が不意に目を覚まし、うぉっと声を発する。
「……何だ、柊かよ」
「何だとは何ですか。……ヴァネットさんは?」
「あぁ? ……何だ、寝ちまったのか。やっぱ屋内で本なんて読むとかガラじゃねぇんだよなぁー」
大きく伸びをした両兵が起こそうとするのを、赤緒はそっと制する。
「今だけは、起こさないでおきましょう。ヴァネットさん、とても満足そうですし」
「ん、そうか。……まぁ、オレの下手な読み聞かせでも他人を眠らせるくらいはできるってわけだな」
「読み聞かせ? 小河原さんが、ヴァネットさんに?」
意想外な出来事に目を見開いていると、両兵は不遜そうに腕を組む。
「……何だよ、そんなに意外か?」
「いえ、それもそうなんですけれど……ヴァネットさん、大人しく聞いていたんですか?」
「こいつも日本語を覚えたいだとか言ってよ。ま、どっちにしたってこのザマじゃ、覚えたところでなんだろうがな」
肩を竦めた両兵に赤緒はそっと笑いかけていた。
「……可笑しいかよ、柊」
「あ、いえ……可笑しいとかじゃなくって。こうして少しずつ、歩み寄れれば、それってすごくいいんじゃないかって思ったんです」
「……まぁな。こいつも最初みてぇに刺々しくなくなっていいんじゃねぇの? 銃とか振り回すのは相変わらずだが、物騒なことに走らなくなったんならいいことだろ」
「ですね……ヴァネットさん、今日は一つ覚えられて、よかったですね」
メルJはむにゃむにゃと寝言を発していた。
「……うーん、だから何で桃太郎はきび団子なんだ……」
「こいつ……ずっと文句言ってやがったからな。そういうもんだって理解しろって言ってンのに」
そう小言を漏らす両兵もどこか、悪くない気分のように映っていた。
「……じゃあ、ヴァネットさんは桃太郎の物語を覚えて、それで披露するんですね。誰かに、もしかしたら読み聞かせするのかも」
「こいつがぁ? ……あるのか、そんな事態」
「きっと、ありますよ。だって、物語ってのは読み継がれるから意味があるんですから」
「……そうか。そうかもな」
納得したのかしていないのかは分からないが、両兵は立ち上がっていた。
「柊、メシ頼むわ。オレは屋根の上で妖怪ジジィと酒でも飲んどく」
「……もうっ、お酒はほどほどに、ですよ。晩御飯ができましたら、ヴァネットさんを起こしましょう。それまでは……」
唇の前で指を立てると、両兵も心得たように頷いていた。
「……だな、ちょっと寝かしといてやるか」
毛布を掛け、すぅすぅ寝息を立てるメルJはまるで赤子のよう。
「……せめて、夢の中ではいい物語を、ですね」
夢見るのはきっと、優しい物語の終わりを添えて。
――めでたし、めでたし、で締めくくるのが似合うように。