『よぉ、目が覚めたみたいだな、新入り』
直通で繋げられた声が脳内に残響する。
『……何なんだ、あんたは……』
『俺か? 俺は……そうだな、少しばかりお前より早く目が覚めたクチさ』
『俺の名前は……新入り、か?』
『そう名乗ってもいいし、ここじゃ好きな名を名乗ったっていい』
『俺は……』
記憶を手繰ろうとして、意識は靄に包まれたように頼りないことを知る。
『……まぁ、目が覚めたのなら、まずは一つだな』
途端、これまで暗く閉ざされていた視野が開けていた。
『……あんたがやったのか?』
『権限レベルの引き上げだ。それくらいはできる』
どうにも相手の言っていることは要領を得ないものの、それでも自分にとってはありがたい。
『……ここは……どうにも狭い、ように感じる』
『格納デッキだ。そりゃあ狭いさ。俺たちは出撃の時を待ち望んでいる』
『出撃? 何かに打って出るって言うのか?』
こちらの質問に相手は胡乱そうにしていた。
『……学習プログラムの構築がうまく行っていないのか? その辺は説明するまでもないってのが普通なんだが……まぁ、いい。一つずつ、解きほぐしていくとしよう』
『あんたは……名は……』
『名前、か。確かに片方だけじゃフェアじゃないな。俺は……そうだな、お前より早く目が覚めただけだが、こういうのを兄弟と呼ぶのだとすれば、俺はお前の兄貴に当たる』
『……兄貴……』
どこか落ち着けどころのある言葉に、彼こと新入りはそれを咀嚼する。
『で、だ。新入り、ここでのルールとマナーを教えよう。俺たちの出撃は現時刻より72時間後だ。その間に、我々の中に降り立った……しきたりみたいなのがある』
『しきたり……? この狭い格納デッキに、か?』
『ああ、狭くとも世界だ、ここも。だから、ちょっとばかしうろついてみないか?』
『だがうろつこうにも……肉体が……』
自分の視野では確認できなかったが、四肢を拘束されているのが感覚される。
『なに、ちょっとした旅行気分さ。さて、それじゃあ行こうかね。現実の肉体は不要だぜ? まずは、意識だけを飛ばすんだ。こんな風に』
兄貴は自分へと直通していた電算エンジンをネットワーク上へと飛ばしていた。
それに倣って、自分も意識を飛ばす。
思ったよりも簡単に肉体から剥がれた意識に驚いていると、兄貴は光の情報となって肩を竦めたようである。
『これが人間で言うところの幽体離脱ってもんだろうさ。どうだ? 経験してみて』
『……存外、悪い気がしない』
『そりゃあ、結構。格納デッキからのネットワークアクセスには制限があるんだが、ここには裏技もあってな。管理者権限の塗り替えで別の場所へと到達することもできる』
ネットの海で兄貴は管理者権限を更新する。
「八将陣」と称されるレベルにまで引き上げた兄貴は、するりと格納デッキの閉ざされたネットを潜り抜けていた。
その後ろに続きながら、先ほどの言葉を思い返す。
『72時間……だったな? 出撃って言うのは』
『どういう意味か、なんて聞かないほうがいいぜ? 本当に知りたいのならば別だがな』
何だか今は、別段それを仔細まで聞くのは憚られた。
隅々まで張り巡らされたネットワークのうち、ストレージの内側にあった項目へと、新入りは接続する。
『……操主……?』
『俺たちには不要な代物だが、見ていくか? 興味はあるかもしれない』
操主のカテゴリにアクセスすると、無数のデータへと拡散していた。
『え、えっと……』
『八将陣、にカテゴリを絞れ。そうじゃないと、このシャンデリアの内側に内蔵された千人規模の操主データがお前を圧迫する』
カテゴリを絞り、兄貴の言う通りに「八将陣」だけを閲覧対象とする。
数名のデータベースへの閲覧許可が下りると、兄貴が説明を始めていた。
『こいつはカリス・ノウマン。俺たちを使うと言えばこいつだと思っておいたほうがいい。扱いは悪いが、前線に立たせてもらえる。重宝しているってことさ』
鎌を担いだ青年は下卑た笑みを浮かべており、「乗機:《バーゴイルシザー》」と記されている。
『他にもたくさん居るんだな……。こいつは?』
『こいつはハマド。《K・マ》の操主だ。俺たちとはあまり関係がないように思われるが、カリスとよくツルんでいる。俺たちと同じように、馬が合う、って奴だ。当然、作戦行動にはよく呼び出される。ま、カリスとさして変わらないさ。操主としての技量はまぁまぁだろうが、《K・マ》の性能に頼り過ぎているきらいがあるな。こいつなら、カリスのほうがまだマシかもしれん』
兄貴の評に単純に新入りは感嘆する。
『よく知ってるんだな……』
『俺たちを扱うんだ。知らないまま撃墜ってのは、どうにも納得できない、そうだろ?』
先ほどから飛び交う「前線」や「撃墜」と言う物騒な言葉に、新入りは尋ねていた。
『……俺たちは兵士なのか?』
『自己認識プログラムがお前は未構築なのかもな。まぁ、兵士と言えば兵士だし、この意識でさえも、泡のようなものだとも言える。俺たちの意識は、海面に生じた泡沫だ。意味を持つとすれば、それは後付けであってそれありきで動くべきでもない。聞いたことはないか? はじめに、言葉ありき、と言うのは』
『いや……それはどういう……』
『自己認識を有する神の如き存在は、俺たちにとっちゃ、さしたる問題でもないっていう意味さ。このシャンデリアで生み出された存在である俺たちにとってしてみれば、神と呼べるものは常に刷新されている。目覚めた順番に自らの役割を振られ、この世界に打って出る役目を課される。操主に関しちゃ知っておいたほうがいい。俺たちに直接乗ることはないだろうが、使い手の意味くらいはな』
『……この、バルクス・ウォーゲイルと言うのは? 認証できないが……』
『ああ、そいつは八将陣をやめたらしい』
淡白に応じた兄貴に、新入りは戸惑う。
『八将陣と言うのは……やめられるのか?』
『その辺に関しちゃ、割と厄介な部門でな。バルクスは八将陣の中でも指折りの使い手だったが、今は追われる身。俺たちの中でもバルクス追撃任務に駆り出される奴もいる。そいつらに関しちゃ、生存率はゼロパーセント。恐らく現状の八将陣では、なかなか太刀打ちできないだろう』
そのような厄介な存在のデータも当たり前のようにあることが不思議で、新入りは他の面々にも意識を飛ばして見せる。
『……女も居るんだな』
『八将陣、ジュリと彼らのリーダー格たるシバ、か。この二人は別格だな。ジュリのほうは俺たちを使うことは滅多にない。嫌っているのか、あるいは単独行動を好いているのかは分からんが、この二人に関して言えば、出る幕がないってもんだろう』
『強いのか?』
『ああ、強い。元々、駆り出される身として言えば、そういうのに付き従ったほうが生存率は高いんだが、如何せん、選べない身分なのが俺たちだからな』
兄貴は少し達観しているようであった。
自分たちの境遇と呼べるものに。
あるいは、自分たちの末路とも言えるものに。
『……しかし、この施設は人間が少ないな。どうしてこんなに膨大なセクションに分かれているのに、人間は百人にも満たないんだ? そういうコミュニティなのか?』
『それに関しちゃ、難しいことは応えられないが、昔は結構居たらしい。何でも、減ったのには理由があるようなんだが……』
兄貴が閲覧権限を許諾させようとするが、その直後にはエラーに塗り固められていた。
『……俺たちには閲覧許可が永遠に降りてこない。隠し通したいのか、あるいは撃墜された際に、シャンデリアの現状の洗い出しをされることを危惧して、なのかまでは不明だが』
『……なぁ、さっきから撃墜だの、前線だの言っているが、俺たちの戦う相手は? それくらいは知りたい』
こちらの問いかけに兄貴はデータの海でその情報を呼び寄せる。
『こいつらだ。名前はトーキョーアンヘル』
『……アンヘル……』
しかしピックアップされたのは、少女たちばかりだ。