「両……あんたねぇ、トーキョーアンヘルの一員なんだからもうちょっとしゃんとしなさいよ」
「何だよ、つれねぇな。てめぇはじゃあ責任者だろうが」
「その責任者っての、あんまりにも重くって嫌になっちゃうときもあるのよねぇ。おっ、茶柱」
緑茶を飲み干した南に赤緒は洗濯物片手に歩み寄っていた。
「そういえば……南さん、お酒好きなんでしたっけ?」
「あ、うん……けれど、やっぱりいつキョムの襲撃があるかも分かんないし、一応、できるだけシラフでは居ようとは思ってるんだけれど」
「へぇ、南米じゃ四六時中へべれけだった奴の台詞たぁ思えねぇな」
「ちょっと、両! あることないこと言わないでよね! 私の沽券に係わるんだから!」
「あることじゃねぇか、これは。柊も飲むか?」
一升瓶を振った両兵の誘いを、赤緒は頑として断る。
「もうっ! お酒は二十歳になってから! 常識ですよ!」
「え……あー、そうだっけ。そうだったかなぁ……」
何故か南のほうが目を泳がせているので、赤緒は思わず詰め寄っていた。
「南さん?」
「いやぁー……この間、遠征先でいいお酒が手に入ったから、えっと、そのぉ……エルニィにも渡しちゃった」
茶目っ気たっぷりにウインクする南に、柊神社からエルニィの上機嫌な歌声が聞こえてくる。
「みーなみっ! これー、ホント美味しいねぇー。ボク一人で飲んでいいのぉ~?」
既にできあがっているエルニィに、赤緒は腰に手を当てて主張する。
「南さん? それに立花さんも! 日本じゃ、まだ駄目じゃないですか! お酒は――」
「二十歳から、だったか? そういや、オレもカナイマじゃ、いつの間にか飲んでいたな」
言葉尻を引き継いだ両兵に、赤緒は絶句する。
「……な……それはその……南米じゃいいんですか?」
「さぁな。多分、駄目なんだろうが、カナイマなんざ、ほとんど娯楽もねぇんだ。いつの間にか、酒も飲むようになってたし、こいつなんてもっと性質が悪いぜ? 柊。黄坂のガキとしょっちゅう酒盛りしていたんだからな」
「ちょっ……! 誤解を生むようなことは言わないでよ! 私は、節度を持って楽しんでいたのであって……」
「……けれど、ルイさんは飲んでいたんですよね?」
指摘すると南は困惑し切って、尻すぼみになっていく。
「うん、まぁ……それはそうなんだけれどねー……。ほら! そういうものだって言う、なんて言うの、しきたりみたいなの! あるじゃない!」
「しきたりって……ただ飲みたいだけの言い訳だろ」
「……南さん?」
「あー、けれどまぁ、えっとぉー……」
あまりにも言い訳がましいので呆れ返っていると、エルニィがこちらへと肩を組んでくる。
「まぁまぁ。赤緒も一杯、飲んでみる?」
「……立花さん。これは没収ですっ!」
エルニィの手から酒瓶を引っ手繰ると、彼女は未練がましく手を伸ばす。
「あー! せっかくの高級ボトル……!」
「お酒は飲んでも飲まれるな、ですからね! それに、立花さんはまだ二十歳じゃないでしょう?」
「うー……日本って窮屈だなぁ、そういうの。ボクは別に、お酒で上機嫌になってただけじゃんかぁ」
「それが酔っているってことじゃないですか。問題なんですよ、そういうの」
エルニィはこれではもう折れないと判断したのか、とぼとぼと自室に戻ろうとして、そういえば、と思い返す。
「日本ってあれだよね? 二十歳になったらみんなで集まるんでしょ? えーっと、何だっけ?」
「成人式、ですか?」
「そうそう! それそれ! 変な風習だなぁ、そこでお酒解禁ってのもあるわけじゃん」
「変じゃないですよ。……あれ、他の国は違うんですか?」
「……少なくとも私が居たアンヘルにはなかったわねぇ。青葉が来るまで日本じゃお酒は二十歳からってのも知らなかったくらいだし。ルイなんて七歳の頃から飲んでいるわよ?」
「な、七歳から……?」
その事実には辟易しつつも、赤緒は咳払いして言葉を継ぐ。
「……ですね、とにかく! 日本はそういう場所なんですから、気を付けてくださいよ」
「南って、成人式したの?」
エルニィの問いかけに南は渋い顔で応じていた。
「……そんなヒマ、なかったわね、そういえば。ヘブンズもたった二人の回収部隊だったし、行事ごとは一括だったのもあって……それに、アンヘルは年中資金不足、資源不足だったんだから、お祝い事とかはあんまり……」
「じゃあ今日しちゃおうよ! 南の成人式!」
エルニィの提案に彼女は目を見開いて首を引っ込めていた。
「成人式って……私はもう二十八よ? ……そう、二十八なのよねぇ……」
「何で勝手に落ち込んでんの?」
首を傾げたエルニィに南は恨みがましく口にする。
「……エルニィ、あんたも分かるわよ。二十八って結構……辛いものがあるんだってことくらいは」
「うーん、分かりたくもないなぁ……。けれど、それなら条件は満たしているわけだ。じゃあ、赤緒。成人式、してあげようよ」
「わ、私……? 私もまだ十六……」
「若いって羨ましいっ……!」
泣き上戸のモードに入った南だが、まだ酒は一滴も入っていないはずだ。
エルニィはそれとなくこちらの肩を叩いて囁きかける。
「……南、結構苦労人だからさ。ここいらでぱぁーっと祝ってあげたほうがいいと思うんだ。ここから先、戦いばっかりになる可能性もあるし」
「それはそうですけれど……。えっと、どうすれば?」
「知んないって。日本の常識は赤緒が詳しいんでしょ?」
完全にこちらに投げられたのを感じて、赤緒は困惑する。
どうやら酒瓶を取られたことへのささやかな報復も意味もあるようだ。
両兵へと視線を振るが、首を振っていた。
「オレもよく知ンねぇぞ?」
「ですよね……。あっ、でも常識の話で言えば……」
赤緒は先ほどまで干していた洗濯物と入れ替わりで、乾いた分を取り込もうとしていたさつきへと駆け寄っていた。
「さつきちゃん! ……その、見ての通り……」
「ちょっと遠くから聞いていましたけれど、成人式、なんですよね?」
「……うん。私、詳しくなくって……」
記憶喪失なのもあるが、自分が経験していないことはどうにも希薄なのだ。
さつきはそれも慮って協力する姿勢に入っていた。
「はいっ! 成人式の後の会席とか、旅館でよく担当していましたから。どういうものなのかは知っています」
「おおっ! ここでさつきが頼りになるぅー。よかったじゃん、南。今日は成人式だよ」
エルニィの言葉繰りに南はどこか胡乱そうな眼差しを投げていた。
「……本当に大丈夫なのよね? 変なことの片棒を担がされていない?」
「ないない。大丈夫だってば。南もそんな余裕なかったでしょ? じゃあやろうよ! 南だけの成人式!」
手を引かれつつ、南は小さくこぼしていた。
「……何だかちょっと、不安ねぇ……」
「――で、何だって格納庫の裏なんだ? もっと表でやりゃあいいだろうに」
柊神社の中でも広い場所を使わせてくれとのことでシールと月子には協力を仰いでいたのだったが、赤緒は平謝りする。
「……表じゃ、参拝客の方とか来たら大変ですし……裏ってなると、格納庫の裏でしかなくって……」
「何だかじめっとしてるわよ、ここ……」
不満そうな南へとさつきが取り成してから、神社へと招く。
「まずは、それっぽい格好をしましょう! 幸い、五郎さんに聞いてみたところ、女性用の着物があるようですので」
さつきと五郎に導かれて南はどこか困惑気にその背中へと続く。
「しかし、意外だったな。南の奴、成人式もしてなかったのか」
「あっ、シールさんと月子さんは……確か……」
「今年で二十三! 私もシールちゃんも同い年だから」
「年かさばっか取るもんじゃねぇよな。南の気持ちも半分くらいなら分かるぜ」
「もうっ、シールちゃんってば。南さんも気にしてるんだから」
「お二人は、成人式は……?」
「成人式っていう格式ばったのはなかったが、まぁ、それなりに祝われはしたよ。ルエパは女性構成員が多いからな。そういうのはきっちりしておかないとってのが、師匠の言い分だ」
「師匠……お二人にも先生のような方がいらっしゃったんですね」
「今はまだ合流できていないけれど、私は水無瀬先生が、シールちゃんには柿沼師匠がついていたの。いつかは紹介するね」
「まっ、せいせいするがな。あの婆さん、しごきがきついのなんのって」
「シールちゃん、ほとんど顎で使われていたもんね」
何だか二人のまだ行方も分からない過去を垣間見られたようで、赤緒としては少しだけ嬉しかったのもある。
「……でも、南さん、何で成人式もしてこなかったんだろ……」
「カナイマは人員を遊ばせておく余裕なんざなかったらしいからな。両兵がいい例だろ。あれで人機操主だ。少しでも使える人員はほとんど整備班だったらしいし」
「だからかもね。青葉ちゃんが操主になって、色々と変わったって言っていたのも」
やはり、ここでも青葉の名前が出てくる。
きっと、様々な人の行く先を変えてきたのが津崎青葉という少女なのだろう。
「準備できましたよー!」
さつきが呼びかけて南の手を引く。
当の南の姿にシールが吹き出していた。
「み、南……何だよ、そのカッコ……!」
「わ、笑わないでよ……。さつきちゃん、手離さないでね。私一人じゃ、これ、立ってもいられないんだから……」
南は晴着に袖を通しており、平時のベージュの格好とはまるで隔絶した、色鮮やかな着物を纏っている。
下駄も履いているのか、少しだけバランスが危うい。
髪の毛も結い上げており、そこは五郎のセンスなのか簪が刺されていた。
「南さん、素敵です!」
月子はシールに比べて少しだけそう言ったものの造詣があるのか、拍手して褒めるものの、南本人は困り果てるばかりであった。
「そ、そうなの? これ、イケてる?」
「南、普段のカッコから考えると、随分と冒険したよなぁ。写真撮ろうぜ、写真」
「あっ、後で集合写真は撮りますので、まずはそこの新成人の席まで」
格納庫裏に一個だけ置かれたパイプ椅子へと南は座ろうと腰を下ろして、不意に硬直する。
「こ、腰が……」
「あー、ぎっくり? ゆっくりとしときゃあ、大丈夫だって。ビビり過ぎなんだよ。ほら、座れってば」
「南さん、ひっひっふーですよ」
シールと月子に抑え付けられるようにして南はパイプ椅子へと座り込む。
ようやく着席したところで、赤緒は先んじて渡されていた進行用のカンペを読み上げていた。
「えっと……じゃあ新成人、起立!」
「えー……今座ったところよ?」
「か、書いてあるんですよ……」
シールと月子の介助を得てようやく南は立ち上がる。
「えっとぉー……これより、アンヘル成人式を執り行います! まずは新成人へのスピーチ……スピーチ? 誰が……」
『スピーチって言えば、ボクに決まってるよね!』
格納庫から立脚したのは《ブロッケントウジャ》であった。
「た、立花さん……?」
『ブロッケンから失礼するよー。じゃあ、南。えーっと、新成人の諸君! おめでとう!』
「……もうとっくに二十歳は超えてるわよ……それにたった一人だし」
皮肉めいた言葉を吐く南に比して、ノリノリのエルニィが面白がって読み上げる。
『祝辞! で、いいんだっけ、さつき』
「あっ、それはもうちょっともったいぶってからですよ、立花さん」
『えー……でも日本語で小難しい言葉でペラペラと何枚も……。もうすっ飛ばしていいよね? とにかく、おめでとう! で、大丈夫?』
「わ、わーっ……拍手ー……」
さつきが調子を取り戻すように拍手するも、ここに居る全員が恐らくこれは違うのではないかと懐疑している。
『まぁいいや。新成人、着席!』
「えぇ……新手のいじめ? これ……。立ったり座ったり……この服でそれするの辛いんだけれど……」
またしてもシールと月子に助けられながらようやく南は腰を下ろしていた。
『じゃあ成人祝いに……赤緒。あれ、あるでしょ? 酒樽』
五郎が運んできたのは小槌で開けるタイプの酒樽であった。
「では南さん、これをどうぞ」
小槌を差し出されるも、南はその使い道が分からないのか、何度か振ってみせる。
「……何も起きないけれど……」
「振るんじゃなくって、酒樽を叩くんですよ。それで開くって言う……」
さつきが南の傍まで酒樽を持って来て、座ったまま南は小槌で叩き据える。
蓋が割れて酒が飛び出すと、升を使ってシールがそれを一足早く飲み干していた。
「くーっ! 日本酒堪んねぇなー!」
「シールちゃん、もうちょっと上品にしないと」
「えっと……開けた当人である私には振る舞われないんだ……」
大慌てでさつきが割って入り、南へとグラスに注いだ日本酒を差し出す。
「これで……」
「……何か、気分出ないわねぇ……」
ぼやきながら南がくいっと一息に飲み干すと、周りから喝采が上がる。
「よっ! いい飲みっぷり!」
「そ、そう……? って言うか、苦労した割にこの程度のお酒かぁ……」
『じゃあ、南はそこまでね。後はボクらでいただいちゃうとしよっか!』
《ブロッケントウジャ》から這い出たエルニィもちゃっかり晴着を着込んでおり、そのままジャンプして酒樽へとダイブを決める。
「日本酒、最高ー!」
「ちょっ……エルニィ! てめぇだけズルいぞ!」
シールと月子と一緒になって騒ぎ始めたのを赤緒は咎めていた。
「だ、駄目じゃないですか、立花さん! 新成人は南さんなんですよ?」
「えーっ! いいじゃん、別に。南はあのグラスでちびちびやってるんだし」
「よくないですっ! 新成人なんだから、しっかりとしたモラルを持って……」
「うへぇ……赤緒ってば、何だか口うるさいなぁ……。成人式ってのは酒盛りを合法的に楽しんでいい場所じゃないの?」
「違いますよ! 大人の自覚を持つ日ですっ!」
「どっちでもいいけれど……私に振る舞われるお酒ってもう飲んじゃったんだけれど……」
グラス一杯の酒を飲み干した南が手持ち無沙汰になっているのを、さつきはフォローしようとして、拡声器を持ち出したエルニィに遮られていた。
『じゃあ、新成人、着席っ!』
「えぇ……またぁ……?」
完全に面白がっているエルニィにさつきが注意する。
「た、立花さん! これじゃあ南さんが可哀想ですよ……!」
『さつきも着席っ!』
「は、はいっ……! ……って、私は新成人じゃないですってば……」
座りかけたさつきがエルニィのおふざけを制するも、今日の主役であるところの南はぼんやりと空を眺めている。
「……あの、南さん……? こんな風になっちゃってその……後悔してます?」
「あっ、そう見えちゃった? ……ううん、何だかね。得難いものだなぁ、って思っちゃって……」
「得難い……ですか? けれど、二十歳になったら、みんな日本じゃこんな調子ですし……」
「南米じゃ、二十歳まで生きられるかどうかってのもあったけれど、こんな時代でしょ? ……正直なところ、赤緒さんたちが無事に二十歳を迎えられるかどうかってのは保証はできないのよ」
そこでハッと気づいてしまう。
――ロストライフ現象、そしてキョムの侵攻。
どちらも解決の糸口が見えない中、戦っている自分たちに無事に二十歳の時が待っているとも限らないのだ。
南はそれが分かっていて――否、もう嫌というほどに痛感しているからこそ言い出さなかったのかもしれない。
赤緒は南の傍で問いかける。
「……南さん、こういうの、嫌……でした?」
「……そんなことない。でも……ちょっとだけ……いいのかなって言う負い目はあるかも。私みたいなのが成人式、なんてさ」
「そんなことないですよ。南さんにはいつもお世話になっていますし。それに私だって……その、いずれは南さんと同じように、晴着を着て、それでみんなで成人式、してみたいですから」
「……そうね。その頃には人機も、いずれは兵器としてではなく、車や飛行機と同じようになっていれば、もっといいわね」
《ブロッケントウジャ》も、今日ばかりは兵器としてではなく、ただの賑やかしだ。
だが、そうなればきっと、いい未来なのだろう。
赤緒は座り込んだ南へと視線を向けて、そっと微笑む。
「……南さん、とっても綺麗ですよ」
「そ、そう……? 何だか落ち着かないわ。いつものベージュの古着で充分だってば」
「いえ、こういう時くらいは着飾らないと」
薄い化粧を施した南は平時では滅多に見ない紅を引いており、紅潮した頬を伏せる。
「ガラじゃないんだって、こういうの」
「そういうものでもないんじゃないですか? だって、ここに集まったみんなが居るんですから。成人式、楽しみましょうよ。今日ばっかりは、南さん。成人おめでとうございます!」
真正面から言いやると、南は照れくさいのか少しだけ視線を逸らす。
「……何だかな。こうして二十歳なんてもうとっくの昔に過ぎた年齢を祝われるなんて思いもしなかったわ」
エルニィは酒樽から直接、酒を飲み干して上機嫌で声を張り上げる。
「南! 新成人、おめでとう!」
月子とシールも少しだけできあがっているのか、拍手を送っていた。
「南さんっ! 今日はとってもいい日ですね!」
「……ま、南にゃ過ぎたものだとは思うがな」
「……そういえば、両は?」
「あれ? ……さっきまで居たのに……帰っちゃったんですかね?」
いつでも酒が飲めれば居るような印象であったが、成人式をやるとなってからは見かけない。