何発か外れてから、訓練終了の合図が鳴っていた。
ふぅ、と息をつき、さつきは訓練装置から降りる。
待ち構えていたエルニィが片手を上げたので、さつきはハイタッチをしていた。
「お疲れ様です、立花さん」
「お疲れ。どうだった? 少しはシミュレーターの精度は上がったと思うけれど」
エルニィの感想を求める声に、さつきはうーんと呻る。
「よくできていると……思うんですけれど」
「思うんですけれどって濁すってことは、何か引っかかってる?」
別段、新型のシミュレーターに不都合があるわけでもなければ、エルニィの開発した代物に疑問を呈しているわけでもない。
ただ――。
「……キョムの新型機にも対応しているんですよね? これって」
「うん。まぁさすがに八将陣ってなると、データが少な過ぎるから、言っちゃうと回収できた《バーゴイル》の電脳からの逆算だけれどね。それでもいちいち人機で訓練するよりかは、ちょっとは有意義でしょ? 弾薬も節約できるし」
今しがたまで自分の入っていたシミュレーターは箱型の仮想戦闘を映し出している。
平時の人機による戦闘と遜色ないものを実現しているのは素直にエルニィの技量と、そして整備班の努力の賜物であった。
「いいんですけれど……何だかそれこそ、ゲームみたいだな、って」
「うーん、これでも要求スペックには応じているんだけれど、現実味がない?」
エルニィは筐体の裏側へと回って調整をしながら尋ねてくる。
確かに、恐らくは引っかかっているのはそれだ。
現実味がない――言ってしまえば陳腐でしかない引っかかりなのだが、それが一番に合致している気がした。
「……ですね。これまでって戦闘訓練って言えば、自衛隊の訓練場を使ってのものでしたので……」
「でもさ、弾だってお金かかっちゃうからって言うんで、ボクはこっちを推奨するけれどなぁ。それに、さ。これから先、複雑な機体の動きとかを再現するのには、こういう仮想装置のほうがリスクも少ないんだよ。いちいち《ナナツーライト》のRフィールド発生装置の臨界実験なんて危なくってできないからね」
エルニィがシミュレーターを造ってくれたのはそれもあるのだ。
今まで机上の空論でしかなかったリバウンド兵装の臨界実験や、血塊炉の能力をフルに使っての戦闘訓練。
どれもこれも、実機でやるにしてはあまりにも危なっかしい。
かと言って、代わりになるような機体もそうそう見つからず、堂々巡りの末にエルニィは現状のトーキョーアンヘルのデータをシミュレーターに詰め込んだのであった。
「……けれど、すごいですよね。考え出してから一週間くらいで造っちゃうんですから」
「元々、構想はあったんだよ。ただ、メカニックの手を借りなくっちゃ難しかったり、それに戦闘訓練ベースのデータ運用を共有しないと、ワンオフの機体じゃどうしようもないでしょ? ま、言ったって今のところは《モリビト2号》と《ナナツーウェイ》、それと《ナナツーライト》のデータを搭載して処理能力はやっと。《ブロッケントウジャ》みたいな換装システムを前提とした人機じゃ難しいし、空戦人機である《バーゴイルミラージュ》なんてもっと」
「……Rフィールド発生装置よりも、空戦人機のほうが難しいんですか?」
「……まぁ、ある面ではね」
引っ張り出したケーブルをパソコンに繋げ、キーを素早くタイピングしながらエルニィは言い置く。
「空戦人機って言うと、戦闘経験値とかを概算しづらい……元々は《シュナイガートウジャ》がこっちの手にあればまた違ってくるんだけれど、言っちゃうとあるのはブロッケンの空戦フレームと《バーゴイル》のデータばっかり。《バーゴイル》は破壊された時点で電脳内にある戦闘経験値を初期化する措置が施されているから、相手のデータを奪うことなんてほとんど無理。……正直、歯がゆいんだよね。航空力学だとかは実地のものもあるし」
エルニィも儘ならない現状に満足していないらしい。
やはり完全なシミュレーターの構築は難しいのだろう。
「せいぜい、陸戦機での応戦データだけですからね……。何だか違和感ってのはそれもあるんですけれど……」
本当のところを言い出し切れないでいると、エルニィはパソコンの画面から顔を上げずに問いかけていた。
「何? 何かあるの?」
一拍だけ悩んでから、さつきは頭を振っていた。
「……い、いえ。大丈夫です」
「本当に大丈夫? 何か不都合があったら言ってよね? シミュレーターは色んな操主のデータを総合して造ってるんだから」
さつきは曖昧に微笑んでからシミュレーター室を後にしていた。
懸念事項はあるものの、これをエルニィに告げたところで混乱を招くだけだ。
やはり自分で解決しよう――そう感じたところで射撃場から銃声が漏れ聞こえてくる。
メルJが拳銃を構え、鋭利な瞳で標的を射抜いていた。
弾倉を変えようとしたところで、彼女はこちらに気づく。
「……さつきか。どうだった? 最新のシミュレーターとやらは」
「あ、……はい。すごくその……現実味があったんですけれど……」
「何だ、煮え切らん言い草だな。……立花に言えないことか?」
それとなく察してくれたのがこちらとしてはありがたい。
さつきは周囲の目がないことを確認してから、切り出していた。
「その……《ナナツーライト》の主兵装って、ハンドガンじゃないですか」
「そうだな。小さいが、現行兵器で言えばそれなりの威力を持つだろう。とは言え、想定しているのはキョムの《バーゴイル》や八将陣の操る機体だ。風穴を開けられるほどの決定打だとは思わないほうがいい」
「……だから、何ですかね……。えーっと、照準とかちょっと粗くって……」
「人機の照準システムは自分で最適化するしかないが……立花には報告したのか?」
首を横に振る。
ただでさえ新型シミュレーターに気を割いているエルニィにそこまで無理強いはできない。
メルJは少しだけ考える仕草を挟んでから、では、と射撃場の標的を指差していた。
「少し、撃っていくか? 私なら訓練にも付き合える」
「いいんですか? でも、ヴァネットさん……忙しいんじゃ?」
「アンヘルメンバーの懸念事項は潰しておきたいだろう。それに、銃に関してならば私でも少しはアドバイスもできるものだ」
メルJは用意された銃を精査し、自分へと持たせていた。
「《ナナツーライト》の感覚に近いものを選ぶといい。軽めの銃なら、こういうのもある」
「……これ、思ったよりも軽い……」
「実銃とは言え、全部が全部、重いわけでもない。お前くらいの筋力でも充分に的に当てられるものはあるだろう」
華奢な自分の肩を抑え、メルJは銃を構えさせる。
標的は五十メートル先だ。
静かな心地で狙いを定め、さつきは引き金を絞っていた。
一発、二発と突き刺さったのを感じ取り、メルJは命中を確かめる。
「悪くない命中精度だ。ただ……少しばかり下振れがあるな」
「……その、やっぱり難しいですよ、射撃……」
殊に実銃を使うとなれば余計に、だった。
メルJは自分の様子を上へ下へと眺めてから、銃を置かせて手招く。
「こっちだ、こっち」
「……ヴァネットさん? どうしたんです?」
「どうやら射撃訓練とは別のところに、お前の悩みはあるらしい。ならば聞くくらいはできると思っただけだ」
鋭いのか、あるいはメルJは射撃のエキスパートであるのも考慮の上。
今の動きだけでも察することはできたのかもしれない。
彼女の背中に続いて訪れたのは自衛隊の訓練場の中に位置している休憩場であった。
自販機が並んでおり、メルJが小銭を入れて問いかける。
「何がいい?」
「い、いえ……自分で買えますから……」
「話を聞くんだ、日本風に言えば少しはこっちも身銭を切る、というものだろう。コーヒーでいいか?」
アイスコーヒーの缶を差し出され、さつきはそれを受け取ってからベンチに腰掛けていた。
「……その、えっと……」
「私が見た限りでは、銃撃の際に少しだけ戸惑いがあるように感じられた。実銃を握るのが初めてだとは思えない。《ナナツーライト》で今日まで訓練してきたのはその通りだろうし、お前が誰よりも努力家なのは知っているからな。ただ……何か、困惑している。銃弾の命中精度が下振れしているのがその証拠だ」
メルJの言葉は的確で、さつきは諦めたように胸中を吐き出していた。
「……分かっちゃうん、ですね……」
「これでも中距離メインの空戦人機乗りだからな。銃を握ったのもまぁまぁの歴がある。だからこそ、銃に宿る迷いや恐れは透けて見えるんだ。小河原風に言えば、剣がどうのこうのと言うのと似たようなものだろう」
「その……私……。立花さんの発明はすごいと思うし、それに関して意見するつもりもないんですけれど……」
コーヒーの缶を手元で弄びながら、さつきは何とか言葉にしようとする。
「何でも言え。私が立花に告げ口することはない。……これでも口は堅いほうなんだ」
後半はメルJなりのジョークなのだと分かったが、さつきは少しだけ戸惑ってしまう。
「……ヴァネットさん、銃を撃つ時って、何を考えていますか?」
思わぬ問いかけだったのだろうか。
メルJは中空に視線を彷徨わせる。
「何を……か。少し詩的だな」
「私は……その、人機に乗っているのなら割り切りはできていたんですけれど、多分……。でも、シミュレーターってなると、それが希薄になっちゃうって言うか、何だか大事なことを、見過ごしているような気もするんです」
自分の中での明言化されていない違和感と自己矛盾。
エルニィのシミュレーターは確かに、よくできているだろう。
運用される理由も分かるし、これから先に重宝されるのも頷ける。
しかし――何かを取りこぼしているのではないか、という感覚も同時に纏いつくのだ。
本来ならば意識しなければいけない何かを。
それがどうしても、彼女の前では言えなくって、さつきは口を閉ざしたのもある。
メルJは自分の缶コーヒーのプルタブを開けて、なるほどと首肯していた。
「……さつき。お前は思ったよりも……ずっと実戦に真剣なのかもしれないな。黄坂ルイよりも、ともすればストイックに。そうでなくとも、Rフィールドの形成とそしてハンドガンの運用には操主としてのその時々の状態が関係してくる。お前は一度、銃を握ったからにはその指先を今さら手軽にすべきではないと感じているのかもしれない」
「分かんないんですけれど……これって変……なんですかね? 人機を操るんだったら、実銃だとか仮想だとかは関係なく……運用すべきですよね……」
やはり妙なことを聞いてしまっているという恥が先行しかけて、メルJは口を開いていた。
「“自分に銃を向ける人間は愚か者だ、銃を向けた相手は死人だと思え”……かつてそう……教えられたこともあった」
それはメルJ本人の回顧もあったのだろう。
その論調にさつきは思わず尋ね返す。
「……それはヴァネットさんの……?」
「まぁ、言ってしまえば哲学だ。銃を握るに当たっての、な。しかし、そういったものをこの平和な日本で感じろと言うのは難しいのだろう。理由を他者に依存していては、恐らく一生答えなんて出るものではない」
「……なら、どうすれば……」
困惑し切った自分へと、メルJが胸元へと指を差す。
「ここだ。ここで考えろ」
面食らったさつきに、彼女は続ける。
「割り切れんと言うのならば、その都度考えるとすればここだけだ。心だけで、その判断を下せ。そうでなければトリガーを引くのはよしたほうがいい」
「……頭じゃなくって、ですか?」
「頭で考えている間に戦局は変わる。それに、結局のところは引き金を引くかどうかを決めるのは頭でっかちな部分ではない。かと言って、敵味方だけで済むものでもないだろう。引き金は心が濁ればそれだけで命中しなくなる。ならば、心を澄ましておくだけだ。迷うなと言っているんじゃない。躊躇うなと言うわけでもない。ただ、心にだけ従っていれば、後悔を背負い込まずに済む」
「後悔を……」
「さつき、お前が人一倍に優しいことも、それだけに暴力を忌避していることも私は知っているつもりだ。だからこそ、優しいからこそ銃弾を扱うのは心でしかない。他の状況やら、その時の戦況は二の次だ。人機を扱うのならば、それを胸に宿しておくといい」
さつきは缶コーヒーをぎゅっと握り締めていた。
ここまで熱く、メルJが語ってくれることはなかなかなかっただろう。それは彼女自身の領分として、銃を握る覚悟があるからに他ならないはずだ。
「……ヴァネットさんは、心に従って引き金を引くようにしているんですか?」
「どうかな。私もそれ以前の……復讐心だけで振るっていた時もあった。だが、それでは足りないんだ、きっと。それだけじゃ足りないから、人機は複座なのだろうし、銃にはセーフティがあるのだろうな。己の信念とやらを振るうのに、一人だけの力じゃ足りないことも多々ある。そういう時には誰かを頼ったっていいんだ」
「……ヴァネットさんくらいの人でも、頼ることってあるんですね」
こちらの言葉振りにメルJは目元だけで微笑む。
「意外か? 私だって毎度の戦場で納得ずくの上だけで撃てていることもそうそう多くはない。それでも、前に進むためには引き金を引く。その時に、後悔しないように自分の中で判断する、線引きのようなものを持っておくといい」
「……私、《ナナツーライト》が一応、単座で……。ルイさんとのツーマンセルを想定しているからって何でも一人で背負い込もうとしていたのかもしれません。その矢先にシミュレーターだったから、一人で戦っている気になっちゃって……」
我ながら視野が狭かったのだろうか。
メルJは缶コーヒーを突き出す。