JINKI 241 漕ぎ出すガッツを

「格納庫周りに居なかったってことは、もしかすると道場かな? 分かんないけれど、今ちょっと手が離せなくって。青葉さんならこの後授業って聞いていたからちょうどいいかなって」

「おい、ヒンシ。こいつなんかに重要書類任せていいのかよ。なくしただとか言ったら事だぞ?」

 両兵の物言いに青葉はむっとしてしまう。

「おつかいくらいできるもん! ……その点、両兵のほうがいい加減じゃない」

「ンだと、てめぇ……。せいぜい、書類を後生大事に抱えるこったな。モリビトの操縦だって儘ならんのだ。それくらいはしっかりとやれよ」

 立ち去って行く両兵の背中へと青葉は思いっ切り舌を出してやる。

「べーっだ! ……けど、軍部の資料ってことは……」

「うん。もしかすると、近いうちにウリマンアンヘルから何かしらの接触があるかもしれないね」

 以前、現太から教わったことがある。

 アンヘルはここカナイマだけではなく、三つに大別されるのだと。

「えっと……確か、ルエパアンヘルと、ウリマンアンヘル、ここはカナイマアンヘルで……三ケ所で分割されているのは人機と言う力の大きさをそれぞれ平等にするためだって言うのと……それと喧嘩だって聞いたんですけれど、本当なんですか?」

「あ、うん……。それを聞くと親方は機嫌悪くなっちゃうから……」

 川本が声を潜めさせて山野のほうを窺う。

「古屋谷! そっちの整備足りてねぇぞ! グレンもだ! 《ナナツーウェイカスタム》もうちで整備するんなら完璧にするのをまず念頭に置け!」

 今も怒声を飛ばす山野の不機嫌さに、青葉は僅かにうろたえる。

「……機嫌悪い……ですかね」

「……まぁね。親方らしいって言えばらしいんだけれど……ルエパの話なんてすると、途端にこれだから」

 角を二本生やす真似をした川本に、青葉は静かに微笑んでいた。

「……けれど、先生はいずれ合流するかもしれないから、その時に備えておきなさいって、英語の教科書を」

「ああ、うん。英語に関してで言えばできたほうがいいよ。カナイマは日本語圏の人材も多いけれど、基本の公用語は英語だし、その書類も全部英語だからね」

 そう言われて封筒に収まった書類を垣間見ると、確かに英語がびっしりと書かれている。

「……見るだけで眩暈がしちゃう……」

「まぁ、慣れないうちはそうかもね。僕もそのクチだったし」

「……川本さんは、そういえば元々は日本で?」

「あ、うん。カナイマアンヘルに招かれたのは家柄もあるんだけれど、まぁ筋がよかったからってのが、親方に言わせるとそうみたいだし」

「……山野さんに、褒められたことって、あるんです?」

 青葉にしてみれば年中何かしらで怒っているイメージでしかなかったからか、そのようなことを聞いてしまう。

 川本は頬を掻いて当惑していた。

「親方だって怒ってばっかりじゃないって。あれで意外と甘いものが好きだったり、色々あるもんだよ。人間って多面的だからね。それに親方って言えば――」

「川本! 何油売ってんだ! その未熟操主と時間潰してる暇がありゃ、ナナツーのほうの整備手伝え!」

「は、はい! じゃあね、現太さんによろしく」

 川本がタラップを駆け下りて行く。

 山野には頭が上がらないらしい。

 それは自分にも何となく分かっていたが、青葉は少しだけ手持ち無沙汰になりながら、格納庫の裏へと回る。

「先生にこれ渡してこないと……あれ? これって……自転車? 先生の……じゃないよね?」

 打ち捨てられた自転車が格納庫裏に転がっており、青葉は周囲をきょろきょろと見渡してから、そのハンドルを握っていた。

「……そう言えば私、人機には乗れるけれど、これって……」

 片足で地面を蹴って、勢いをつけようとしてよろめいてしまう。

 数メートルでさえも乗れないで、青葉はしゅんと項垂れる。

「……やっぱり。苦手なんだよね、自転車……」

 日本に居た頃からまともに乗れたためしがない。

 実際、何度かチャレンジしてみたものの、どれもこれも挫折してしまっている。

「けれど……人機のほうが何倍も難しいんだもん。できる……よね? 今なら……!」

 自身を鼓舞し、前輪の動きに集中して乗り出そうとするが、おっかなびっくりの動きを何度かした後に、その車輪がぬかるみにはまってしまう。

「わ、わわっ……!」

 前のめりに倒れ込みそうになったのをギリギリで押し留め、青葉は安堵の息をつく。

「……何で人機は自分の手足みたいに感じることがあるのに、自転車は全然なんだろ……」

 泥から前輪を引き上げ、青葉は停めてあった場所に戻しかけて耳朶を打った声を聞いていた。

「いい? ナナツーのペダル、ちょっと重いんだからね! そこんところ、改善してくんなくっちゃ、私がわざわざここに来た意味なんてないんだから! ……まったく、錆とかも取ってくれるんならありがたいんだけれど……って、あれ? どったのよ、青葉」

「……南さん? ……と、ルイ」

「何よ、まるで余計なものみたいな言い草ね」

 澄ました様子のルイの視線が、ハンドルを握っていた自分へと向けられる。

「……あんたの自転車?」

「あっ、これは違って……」

「自転車……まぁまぁ古いタイプねぇ。これはガラクタかもね。けれど油を差せば普通に乗れそうだけれど……青葉、乗るの?」

「い、いえっ……乗りませんよ、その……」

「乗らない、じゃなくって乗れない、だったりして」

 ルイの言葉は図星で、青葉は委縮してしまう。

「ルイってば、人機に乗れるのに自転車乗れないなんてそんな馬鹿なことがあるもんですか。ねぇー、青葉!」

「……そ、そうですよねぇ……人機に乗れるのに自転車乗るの怖いなんて……あるわけが……」

「怖いまでは言ってないわよ」

 まんまとルイの言葉に乗せられた形だ。

 肩を落とした自分に南が本気で心配した声を出す。

「えっ、それってマジ? 青葉、モリビトあれだけ自在に動かせるようになったじゃない。だってのに……これ、自転車よ?」

「……日本に居た頃から、苦手だったんですよ。どうせ運動音痴だし、別に乗れなくっても……」

「へぇー、不思議なこともあるもんねぇ。自転車なんて……私乗れたっけ?」

 小首を傾げる南にルイは肩を竦める。

「南はこの間酔っぱらって一輪車に乗って鼻で風船を膨らませながら曲芸してたじゃないの。今さら自転車に乗れないなんてことないでしょ?」

「あっ、こら、ルイ! あんた……ホントのことでも言っていいことと悪いことが……!」

「だって本当じゃないの。酔うと何を仕出かす分からないんだから」

「……こんの悪ガキゃ……って、でも酔っぱらって一輪車に乗れるんなら、自転車くらい……っと」

 ハンドルを握って南は滑らかに漕ぎ出す。

 その所作にまるで澱みはなく、青葉は思わず拍手していた。

「すごい! 全然軽い感じで……!」

「えっ、そう? これってそんなにすごい?」

「そんなわけないでしょ。青葉、南はすぐに調子づくんだからあんまり褒めないようにしなさい」

「……こんの……! けれど、青葉。案外、これって簡単よ? あんたもやってみなさいな」

「……えーっ……でも、怖いじゃないですか」

「怖いって……《モリビト2号》とかのほうがよっぽど大変でしょうに」

 言われてみればその通りなのだが、青葉は南から差し出されたハンドルに戸惑うばかりであった。

 サドルに腰を下ろして、それからゆっくりと漕ぎ出そうとするとぎこちなくなってしまい、左右によろけてバランスが取れない。

 遂には、数メートル先で足を着いてしまう。

「……これは相当に重症ねぇ。ほら、人機の姿勢制御バランサーがあるでしょ? あれの何百分の一くらいの誤差でいいのよ?」

「と、とは言っても……モリビトは好きなんですけれど、自転車は好きじゃないから……」

「言い訳ね。好きじゃないだけで乗れないわけがないでしょう。大方、日本に居た頃に手痛いからかいでも受けたのよ」

 ルイの指摘はそれもまた痛いところを突く。

「……べ、別に自転車なんて乗れなくたって、大丈夫ですよね!」

「そ、そうよ。ルイ、あんたもあまりからかってやるもんじゃないわよ」

「じゃあ貸してみて。私なら簡単に乗れるから」

 半分疑いの眼差しでハンドルを寄越すと、ルイは特に不自由した様子もなく、すぐにバランスを取って漕ぎ出す。

「ほら、簡単でしょ」

 澄ました顔で言い放つルイに、青葉は閉口する。

「ま、まぁまぁ! あんたは自転車乗りじゃなくって人機乗りなんだし、別に乗れなくたってしょげることはないわよ!」

「基本ができてないなら、モリビトも降りたほうがいいわよ。こんなの、子供でもできるんだから」

「こら、ルイ! そういう言い方をしない!」

 南が叱るも、ルイは堪えた様子もない。

「……の、乗れれば、馬鹿にしたの謝ってくれる?」

「乗れればね。けれど、この調子じゃ、何年かかるんだか」

「ルイ! あんた、本当に……。青葉、大丈夫! 私がアドバイスしてあげるから!」

 南が自分の手を取って言いやってくれるので、青葉は少しだけともすれば――と言う希望が湧いてくる。

「……けれど、ナナツーのメンテナンスとかがあるんじゃ……?」

「どうせ、一両日中じゃ直りっこないんだし、その間だけでも手伝わせて! 自転車なんて人機に比べれば全然だから!」

 南にそう明るく言われると、乗れるような気がして青葉はハンドルを再び握っていた。

 今度は南が自転車の後部を掴み、まずはバランスを取るところから始める。

「よし! じゃあ青葉、漕ぎ始めて!」

「は、はい……! よぉーし……!」

 しかし、ペダルを踏み込むもどこか力が抜けた心地で青葉は空転するのを感じていた。

「……み、南さん? これって大丈夫ですか?」

「大丈夫だって、こうして持ってるんだから! ほら! 前に前に!」

「ま、前に……前に……」

 ゆっくりと、それでいて散漫な動きで前輪が砂利を踏む。

 ハンドルががたついてきて、青葉は不安を押し殺せないでいた。

「み、南さんっ! ちゃんと持ってます……?」

「持ってるって! ほら、もっとちゃんと漕いで!」

「も、持っていてくださいね……?」

 おっかなびっくりに前へと漕ぎ出し、速度が出ないまま数メートルを進んだところで青葉は足を着いていた。

「……ちょっと! 青葉、まだ掴んでるから大丈夫だってば!」

「……えっ……ちゃんと持ってました?」

「持ってた持ってた! ……何で漕ぐのやめちゃったの?」

「そ、その……やっぱりトラウマって言うか……」

 ごにょごにょと濁していると、ルイがきっぱりと言い放つ。

「要は乗れないってことでしょ。意気地なしね」

 うっ、とダメージを受けていると南が声を飛ばす。

「ルイ! ホントのことでも言っちゃ駄目なことがあるでしょ!」

「……ほ、本当のことなんですよね……」

「あっ、青葉……その……何て言うか……」

「い、いえ……! まだ……チャレンジはしないと……」

 しかし何度か南に持ってもらってチャレンジするも、やはり挫けてしまう。

「あ、青葉? あんたは人機に乗れるんだもの。別に自転車なんて、乗れなくって困ることないでしょうし……」

 南なりの精一杯のフォローをルイが容赦なく断ずる。

「乗れない人間の言い訳ばっかりが強くなりそうだけれどね」

「と、とにかく! 一度休憩しましょ」

 自転車をルイが乗りこなし、訓練場付近を周回する。

 それをどこかぼんやりと眺めながら、青葉はふとこぼしていた。

「……おばあちゃん……あ、私のおばあちゃんなんですけれど……」

「うん。あれくらいビビっちゃうってことは、何かあったんでしょ?」

 南が聞く姿勢に入ってくれたお陰か、青葉はすっと喋り始めていた。

「……おばあちゃん、に昔買ってもらったんです。自転車」

「それ、どうしたの?」

「……私、愚図でのろまだったから……一度も乗れなくって。中学生になった後も……。おばあちゃんは私の乗りたい時に乗ればいいって言ってくれたんですけれど、結局一度も……乗った姿を、見せられなかったなぁって」

「……なるほど。それがトラウマってわけか……」

「……まぁ、それ以前に同級生にからかわれたりとかもあったんですけれど、一番はそれですかね」

「青葉って昔は両と幼馴染だったんでしょ? あいつがからかったりとかはしなかったの?」

「……両兵……両兄ちゃんはむしろ逆で……そう言ってからかってくるいじめっ子とかとよく喧嘩していましたね」

「なるほどね。今も昔もあいつらしいってわけか」

 しかし、過去も今も両兵に寄りかかるわけにもいかない。

 人機に乗れたのだ。ならば今度は、自分が返す番。

「……私、もうちょっと挑戦してみます」

「その意気よ、青葉っ! 何度だってチャレンジなさい。あんたは強い子なんだから」

 その時、ルイが自転車のブレーキを引いてきゅっと止まる。

 どうしたのだろう、と窺っていると怒声が迸っていた。

「おい! もっとペダル軽くしろって言っただろうが! 古屋谷、調整ミスは操主の命に係わるぞ!」

「げっ……山野さん……」

 南が少しだけ腰を浮かしたその時には、山野は怒り心頭の様子でこちらへと駆り出し、それから訓練場で自転車を停めているルイを見つめて煙草を取り出す。

「……何やってんだ、操主がヒマぁ持て余して」

「これ、青葉の」

 指差されて青葉は仰天する。

 格納庫の陰に隠れようとしていた自分と南を、山野は発見していた。

「……南……と、青葉か。こんなところで油売ってる場合か?」

「あ、いや、えーっと……わ、私、用事を思い出しちゃった!」

「南さんっ! ここで逃げないでくださいよ!」

「……とは言ってもねぇ……」

「何やってんだ、ったく……。自転車、か」

 ルイは自転車を自分へと明け渡す。

 ハンドルを握って所在なさげにしていると、山野が顎をしゃくっていた。

「……乗れねぇのか?」

「……いや、その……はい……」

「ためしに乗ってみろ」

 想定外の言葉に面食らっていると、山野が促す。

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