JINKI 241 漕ぎ出すガッツを

「……乗るところを見ておいてやる」

 何だか、そう言われると緊張もする。

 格納庫の陰から南が「頑張れ!」と言葉を飛ばしていた。

「……その、けれど上手くなくって……」

「構いやしねぇ。別に上手く乗れなんて言ってねぇだろ」

 それはその通りなのであるが――青葉は先ほどまでよりぎこちなく、サドルに跨る。

 ペダルを踏み込んで漕ぎ出そうとするが、やはりそう上手くはいかず、数メートルで頓挫してしまう。

「……そ、その……」

 こっぴどく怒られるか、あるいは失望されるか――そのどちらかだと思っていた青葉は、立ち上がった山野の言葉に目を見開く。

「……視線が成ってねぇ。自転車漕ぐ時は、もっと前を見るんだよ。お前は下を見過ぎだ」

 そのまま自転車の後部を掴み、それから煙草をくわえたまま、前を見据える。

「……へっ……? そ、その……」

「行ってみろ。後ろはきっちり掴んでやる。お前は漕ぐペースを崩さずに、前だけを見てろ」

 意外、と言う心象が顔に出ていたのだろう。

 山野はへっと嘲っていた。

「……俺がてめぇに世話ぁ焼くなんて、ねぇと思ってたか?」

「い、いえ……そこまでは」

「……モリビトの操主なんだ。できる、って気持ちだけはあるだろ。それに、胸に抱いたガッツもな」

「……ガッツ……」

 何だか困惑気味にその言葉を噛み締めていると、山野は言葉を継ぐ。

「いいからやってやる、って言う気持ちだけは負けねぇはずさ。自転車にそれをぶつけてみろ」

「……は、はい。いいからやってやる……いいからやってやる……」

 何度も唱えてから、意を決した青葉が地面を蹴る。

 自転車は相変わらずよろよろと力ないのを、山野が檄を飛ばしていた。

「やれるだろ! お前は、モリビトの操主なんだからよ!」

 その声が、言葉が、気概が、肉体に伝導する。

「……私は……モリビトの、操主……っ!」

 思いっ切りペダルを踏み込む。

 これまで速度を出すことに躊躇いがあったが、山野の言葉に背中を押されるように、青葉は思いっ切り速度に身を任せていた。

「大丈夫だ! 操主の背中は俺らが持ってやる!」

 どうしてなのだろう。

 平時は怒声ばかりで、機嫌や調子がまるで読めないのに――今ばっかりはここまで頼りになる言葉なのは。

 確信と、そして心強さ。

 青葉は漕ぎ出す己に、信念を浮かべていた。

 前へ、前へと視線を向かわせる。

 そうして、風が吹き付けるのを、どこか心地よく感じながら――青葉は前へと走り始めていた。

 やがてペダルを漕ぐ自分自身を、信じられるようになる。

 これまで所在なさげであったのが嘘のように、自転車は己の肉体の一部のように馴染んでいた。

 訓練場を一周してから、青葉はあれ、と声にする。

「……いつから……離していたんですか?」

「さぁな。お前が自信を持つまでだろ」

 山野は帽子を深く被り直し、それからニッと笑みを浮かべる。

 南が拍手してこちらへと駆け出す。

「やったじゃない! 青葉、今日は自転車に初めて乗れた日ね!」

「は、初めて……。そっか、こんな感じだったんだ……」

 別段、祖母が亡くなる前に、一度くらい義理立てしたかったのは嘘ではない。

 しかし、それ以上に――自分を信じられていなかった。

 こうして地球の裏側で、まさか今さらに誓いを果たせるとは思っておらず、その感情は熱となって頬を伝っていた。

「あ、あれ、……あれれ? 何で泣いちゃってるんだろ……」

「それくらい嬉しかったってことじゃない? 青葉、あんたは強くなってるのよ。ちゃんと、成長してる。それを実感できて、きっと涙が出るくらい嬉しいのよ」

「……そう、なんですかね……。私、けれどきっと……一人じゃ……」

 目線を振り向けると、山野は踵を返す。

「何のことだかな。元々、バランス感覚はあったんじゃねぇのか」

 山野のことが苦手だったのは本当だ。

 けれど少しだけ――こうして歩み寄ってくれたことに感謝したい。

「……ありがとう……ございます。私、未熟な操主ですけれど、けれど絶対に……モリビトを、乗りこなせるような……立派な操主に、なる……ううん、成りたい……!」

「立派な志……って言いてぇところだが、それはもっと上手く人機を操れるようになってから言えよ。ハッタリじゃねぇって証明になってからな」

「……はい!」

「よぉーし! 今日は一日中、自転車を走らせましょう! それから宴よ! 宴! 青葉の自転車祝い!」

「……南ってば、結局お酒が飲みたいだけでしょ」

「何よぅ、ルイ。あんただって嬉しいでしょ? ライバルの青葉がこうして、負けん気が強くなったんだから!」

 青葉が少しだけ当惑していると、ルイはぷいっとそっぽを向く。

「……ま、それくらいはやってもらわないとね」

 ルイなりに自分と競っている部分もあるはずだ。

 青葉はハンドルをしっかりと握り締め、それからペダルを漕ぎ出す。

 明日に向かって力強く。

「……あれ? でも何か……忘れているような……」

「――両兵。軍部からの書類が来ているはずだが、どうなったか聞いていないか?」

「あン? ってか、ノックしろよ」

 両兵は雑誌を読みながら寝転がっていたところを現太に起こされ、不承気に寝返りを打つ。

「それはすまなかったな」

 今さらにノックされて、不機嫌なまま、そういえばと思い返していた。

「……青葉の奴が、オヤジに渡す用の書類を預かっていたはずだが……」

 その時、訓練場から黄色い声が上がる。

 窓の外を眺めると、青葉が自転車に乗って南とルイと一緒に訓練場を回っていた。

 その足並みに溢れた自信と、それから遠巻きに眺める山野の姿に、何となくの行方を察して声にしていた。

「……あいつ、自転車乗れたんだな」

「両兵? 私から言いに行こうか?」

「……今は、ちょっとやめといたほうがいいと思うぜ。そうだな。……あいつらが思い出した頃合いを見て、きっといつもよりちぃとばかし自信を持ったアホバカが来るさ。それを待ったってバチは当たンねぇだろ」

 ベッドに寝転がった自分の姿に、現太もそれとなく事の次第を読み取ったのか、そうか、と呟く。

「なら、それを楽しみにしていようか。自信を一つ、持った青葉君が来てくれると言うのなら」

「……誰も青葉だとは言ってねぇだろうが」

「お前を見ていれば分かるとも」

 片手を上げて退室する現太の背中に、両兵はそれとなく尋ねていた。

「……なぁ、オヤジ。オレは手のかかるガキだったか?」

 別段、そういうことを話したい気分でもなかったのだが、聞いておくのなら今なのだと思ったのかもしれない。

「……何だ、そんなことか。お前は今も昔も、ずっと手のかかる息子だとも」

「……何だよ、その返答。そこは手がかからなかったって言うトコだろ」

「嘘はつけないんだよ。青葉君のためにもね」

 現太はそう言って唇の前で指を立てて、ふふんと鼻を鳴らす。

「……そうか。まぁ、そうだな。手のかかるほうが、まだありがたい、ってことなのかもしれん」

 青葉が自転車を走らせて笑顔を咲かせるのを、両兵は窓辺からそっと見つめてから、また寝返りを一つ打っていた。

「ガッツだけは、あるみたいだかンな。それは期待してンよ、青葉」

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