JINKI 248 アンヘルの家事代行


 甘えた性根に赤緒は窓のサッシへと指先を這わせ、埃をふっと吹き付ける。
「駄目ですっ! 大体、立花さんがやるって言ったんじゃないですか。それなのに中途半端は許しませんっ!」
「うーわ……言わなきゃよかったなぁ、もう。……でもさ、これでボクのほうが掃除の適性があったら、すごくない? いやー、やっぱりボクってば何でもできちゃうんだなぁ、って」
「……それは、できてから言ってくださいよ」
 じとっとした声を向けると、エルニィは愛想笑いを浮かべて窓拭きに従事する。
 赤緒と同じく巫女服姿のエルニィは何度も同じ個所を拭いていた。
「うぅ……こんなことなら、安請け合いするんじゃなかったよ、ホント」
 自分はエルニィを見ることになっていたが、問題があるとすれば――。
「あっ、ルイさん! 駄目ですよ! 食器用洗剤をそんなに使っちゃ……泡だらけになっちゃいますし、もったいないですよ……」
「何よ。洗えれば問題ないでしょう」
 台所にて、さつきはこちらと同じように巫女姿のルイへと注意を飛ばしていた。
 ルイにしてみれば台所仕事も大仰なこととなるのか、泡だらけのマグカップを握り締めている。
「大変そうねぇ、ルイ。だから言っちゃでしょ? 台所仕事を舐めないほうがいいって。これだから、操主としては一流でもねぇ」
「……南さん、手が止まっていますよ?」
 さつきが注意を飛ばすと、南は口笛を吹きながらえーっと、と思案する。
「……ミリリットルとCCって何が違うんだっけ? 分かんないなぁ……私、いっつも勘でこういうのやってたから。ちゃんと分量を考える必要があるのよね?」
 さつきは嘆息をついて南へと教えにかかっている。
 赤緒は目の前のエルニィが同じ個所ばかり拭いているのを見咎めていた。
「立花さん! サボらないでくださいよ!」
「……とか言ってもさぁ! もうちょっとあるじゃん! 何だって、IQ300のボクが、こんな掃除仕事なんて……」
 ぼやきつつも、エルニィは雑巾を絞ってため息をこぼす。
「……何だかなぁ。赤緒たちのやっていることなら、できるって誰が言ったのやら」
「……もしかして自分が数時間前に言ったこと、忘れてます?」
 赤緒は呆れ返りつつ、エルニィの唐突な発言を思い返していた。

「――で、トウジャの開発計画に軍部とウリマンアンヘルが移ったわけなんだけれど……赤緒? 赤緒ってば!」
 ハッとして、赤緒は顔を上げる。
「わっ……えっと、その……」
「寝てたよね? 今」
「ね、寝てませんよ……」
「よだれ、付いてるけれど」
 大慌てで口元を拭うとエルニィは呆れ返っていた。
「頼むよ、本当に。……これからのアンヘルの命運を占う、人機の開発計画を喋っている時に居眠りなんて」
 嘆かわしいと結んだエルニィに、赤緒はううんと頭を振る。
「……すいません……最近、家事と勉強が忙しくって……」
「確かに、高校生にしてみれば勉強は死活問題なんだろうけれどさ。そんなに日本のテストって難しい? ボク、この間先生になったけれど、ちょっと馬鹿にしてるのかなって思うような試験だったけれど」
「そ、それでも充分に難しいんですよ……多分」
 どこか所在なさげになってしまうのは、エルニィがさつきの学校の教員試験に受かったのだとつい先日聞かされたばかりだったからだろう。
 飛び級なのだとは聞いていたが、まさか生徒ではなく教師として潜入するとは思いも寄らない。
 自衛隊の拠点の一室を使い、エルニィはこれまでの人機の系統樹を正しく講義している。
「そもそも、のところから話そうって言ったでしょ? 南もそのために呼んだんだから。……南?」
 教卓の傍で腰掛けた南はずっと俯いている。
 エルニィがそっと鼻をつまむと、ふがっと鼻息が漏れていた。
「ちょ……ちょっと、何すんのよ……。せっかくいい気分で寝て……」
「教壇に立つ側が居眠りとかあり得ないんだけれど……。ってか、ボクばっか喋ってるじゃん! 南も言ってよ。今回は先生役でしょ」
「とは言ってもねぇ……」
 南は気が進まないようにホワイトボードに吊るされた人機の設計図を指し示す。
「えーっと、これがナナツーで、これがモリビト。モリビトは元々、73式戦闘人機って言われていて、えーっと……どうだったっけ? 《モリビト0号》ってのが改修されて、そっからだっけ……?」
「何で当事者なのに疑問形なのさ。元々、カナイマアンヘルで運用していた《モリビト0号》を強化改修。それが今日の《モリビト2号》でしょ。戦闘用人機ってなっているのは便宜上で、それには《モリビト一号》の件も絡んでいて」
「一号機のことまで話すの? ……うーん、私も詳しくはないわよ?」
「それなしじゃ、戦闘用人機の歴史を語れないよ。……ってか、赤緒も! それに南も成ってないってば! せっかくの人機の構造上の話をしているのに、目の前で居眠りなんて図太過ぎ!」
「し、仕方ないじゃないの。ねぇ、赤緒さん」
「そ、そうですよ……。今日も放課後に自衛隊の訓練場に集まれって言われてこうして集まってるんですし……」
 欠伸をかみ殺すと、エルニィはつかつかと歩み寄る。
「赤緒はたるんでるよ! ……あ、体重の話じゃなくってね?」
「な……っ! それは言いっこなしじゃないですかぁ!」
「まぁまぁ。……どっちにしても、もうちょっとシャキッとして欲しいところなんだよね。操主なんだし」
「……あの、そのことなんですが……」
 さつきが言い辛そうに挙手すると、隣の席のルイが肩に寄りかかっていた。
 今しがたの喧噪も何のその、完全に寝入っているルイにエルニィの怒りが爆発する。
「もうっ! 何やってんのさ! ルイ! ルイー!」
 肩を無理やり揺さぶると、ルイはハッとしてシャキッと背筋を伸ばす。
「……何よ。自称天才。……近いんだけれど」
「何で寝ちゃってるのー! って話! ルイも当事者でしょー!」
「……だってカナイマで習った内容ばっかりで退屈だったんだもの。自称天才、あんた歴史の授業は向いてないわ」
 よだれを豪快に拭ってルイは悪びれもしない。
 エルニィはむぐぐ、と歯噛みしていた。
「ああっ、もう! これから先、対人機戦闘も増えて来るんだから! ここいらで学んでおかないと、何にもならないんだってば!」
「とは言ってもな。私もほとんど知っている内容だったぞ、立花」
 メルJはこの中でも一番真面目に聞いているようであったが、それでも少し退屈そうであった。
「……感覚的なものだけで、アンヘルの操主が務めると思わないでよね。いい? 人機操主たるもの、敵人機の構造上の欠陥だとか、弱点を知っておかないと、そもそも戦いで優位を取れるなんてこともないんだから!」
「……で、ですけれど……私の超能力モドキだとかは誰かに教えられるものじゃないですし……」
「だーから、その感覚だけで喋っている部分をなくせって言ってるの! 赤緒は寝てたんだからもっと反省する!」
「ふぇ……っ! ひゃめてくらひゃい……」
 頬を思いっ切りつままれて赤緒が涙目になっていると、南が諌める。
「まぁまぁ。この辺のところは知っておいて損はないってだけの話だし。そもそも、操主全員が今までの人機の構造を理解するのなんて難しいんだってば。青葉みたいなロボオタクでもないんだし」
「……その青葉なら、眼を輝かせて聞いていただろうね。……とは言え、無い物ねだりをしたってしょうがない」
 エルニィがホワイトボードに書き付けて行ったのはトーキョーアンヘルの主戦力人機の名前であった。
「モリビトタイプ、それに《ナナツーウェイ》、トウジャ……大別するとこの三種類になるかな。《ナナツーライト》と《ナナツーマイルド》はちょっと別の話になるからここでは置いておくとして、赤緒。モリビトの得意分野、言ってみて」
「えっ……っと、パワーじゃなかったでしたっけ?」
「そう。モリビトタイプはパワーがとにかく他の二種類に比べて抜きん出ている。リバウンドフォールのための盾だって、モリビト以外で標準装備しようとするとちょっと難しい。これを簡易化……まぁつまり、コンパクトにして概念化したのが《ナナツーライト》なんだけれど、こっちにはリバウンド兵装の小型化の理念があって……って、赤緒。また眠そうにしてない?」
「し、してませんよ……して……ません」
 とは言え語尾が弱くなってしまうのはやはり、興味がない分野だからだろう。
 どれだけモリビトやナナツーの強み弱みを聞かされても、それがまるでこれまで経験してこなかったものとなれば、一から覚えるのに等しいのだ。
 自分の乗る人機くらいは知っておく、と言うのがこの講義の肝なのだろうが、熱心にメモを取っているのはさつきくらいで、ルイはまたさつきの肩に寄りかかっている。
「る、ルイさん……。立花さんが見てますよ……」
「いいから。肩を貸しなさい、さつき。……すぅ」
「寝るなー!」
 その手で掴みかかったエルニィとルイが揉み合いになるのを、赤緒は傍で認めつつ、さつきへと言葉を発していた。
「……けれど、さつきちゃんもそろそろテスト勉強だよね? 大丈夫そう? 朝早いし、五郎さんのお手伝いも……」
「あ、大丈夫です、赤緒さん。朝早いのは旅館に居た頃からそうでしたし……それに、柊神社はやることが新鮮なので、何でも覚えられちゃいますから」
「そ、そう? 神事とか大変そうなら、こっちにも任せてね? 五郎さんのお手伝いだけじゃないもんね」
「うん? あれ……そうなの? 赤緒たちって家事手伝いとか分担しているわけじゃないんだ?」
「まぁ、その時々で手が空いているほうが、って感じですかね……? あ、でも台所仕事はさつきちゃんのほうが手慣れていて……さすがは旅館で務めていただけあるなぁって」
「よしてくださいよ。赤緒さんだって、すっごく頑張り屋さんじゃないですか。五郎さん、この間褒めていましたよ」
「そ、そうかなぁ……?」
 何だか照れくさくなっていると、エルニィが中空を眺めて呻り出す。
「何をやってるのよ。アホ面が余計にアホに見えるわよ」
「いや……どうせならさ、この際、ちょっと逆に考えて見ない? って思っちゃって」
「逆……ってどういうことですか?」
 さつきが心底疑問そうに小首を傾げると、エルニィはホワイトボードを指差す。
「得意不得意、ってさ。案外、やってみないと分かんない分野じゃんか。だったなら、赤緒たちはこっちを勉強して、ボクらは……そうだなぁ。家事代行ってのはどう?」
「か、家事代行って……そもそも立花さん、家事ってできましたっけ?」
「むっ。かなり馬鹿にされた感じだったけれど……あれでしょ? 掃除とか、炊事とか……まぁ、その辺?」
 かなりアバウトに濁された感覚を味わいつつ、赤緒は尋ね返す。
「でも……柊神社の家事って大変ですよ? それをやるって言うのは……」
「赤緒。もしかしてボクたちに、家事ができないとか思ってる?」
 ずいっと顔を近づけさせられて、赤緒は慌てて否定する。
「い、いえ……そんなことは……うん? たち、って……」
「ボクとルイと……そうだなぁ、南も付き合ってよ」
「はぁ? 何で私が……」
「そうよー。私は赤緒さんたちの家事の大変さは身を持って知ってるんだからねー」
「……とか言いつつ、南。最近だらけてるんじゃないの? 真っ昼間からテレビ観ながらごろごろしてるから、体重が危ないって噂を聞いたけれど」
「なっ……! 誰よぅ! そんな根も葉もない噂流したのは!」
「当然の報いでしょ。この間、体重計に乗って呻いていたのを知ってるんだから」
 澄ました様子で口にしたルイに、南はうっ、とダメージを受けた様子だった。
「……あんたねぇ……」
「ってことで、ボクとルイと南の三人で、じゃあ家事代行ね」
「えっ……ちょっと待ってください。家事代行ってことは、私たちは?」
「ツッキーとシールから、ちゃんと! 人機について教えてもらうこと! もっと言えば、柿沼のばーちゃんや水無瀬のばーちゃんを呼んだっていいんだよ?」
 それはよりスパルタになりそうだ、と赤緒は遠慮していた。
「……そ、それは……って、そもそも家事代行って言いますけれど、立花さんたち、家事なんてまともにやったことあるんですか?」
「一応、ボクはブラジルで一人でも生きられるようにやってきたもんね! どんとこーい!」

「――って、言ったのが間違いだったなぁ、もう……」
 エルニィがぼやきながら窓を拭く。
 柊神社は本殿と離れに分かれていたが、今回、自分の担当するのは普段生活している離れのほうだ。
「うーっ、寒っ。何だか、足元から冷えるカッコだなぁ、これ」
 五郎より支給された赤緒のものとほぼ同じの巫女服であったが、妙に胸元がすーすーするような気がするのは何故なのだろう。
「……さては赤緒。またサイズが大きくなっちゃってー、とかだね? ……羨ましいんだか何なんだか」
「自称天才、そっちの掃除が終わったら、台所の掃除に来てちょうだい」
「えーっ、何でー? そっちには南が居るじゃんか」
「その南がまるで役に立たないのよ。背丈だけはあるから、五郎さんに力仕事をさせてもらったから、手が足りてないの」
 南も巫女服に身を包み、今日だけは柊神社で家事手伝いだ。
「とは言ってもなぁ……。ってか、ルイは……普通の巫女服じゃん」
「赤緒のだとサイズが合わないんだってね。……あんたのも胸元、妙に開いているけれど」
「いやー、赤緒のサイズが合わないみたいで……お互いに損なことで。さつきは? あれ? 一緒じゃないの?」
「言うべきことは言ったから、今は整備士の連中とのところに行ってお勉強でしょ。……何で、あの程度のことが頭に入らないのかしらね? 人機を操縦するんなら必須でしょうに」
「まぁ、ルイみたいに完全マニュアルで動かせる操主なんてなかなか居ないってことでしょ。血続トレースシステムに助けられているんだろうからね」
 とは言え、家事代行を請け負うと言い出したのは自分自身。
 エルニィは自らの迂闊さを呪っていた。
「……しくったなぁ。赤緒たちがいつもやってるの、ちょちょいのちょいって感じだったもんだから、これはいただき! って思ったんだけれど」
「案外、面倒くさいことを毎日やっているものね、あの二人も。まぁ、だとしても、家事代行って言い出したのはあんたでしょうに。虎の尾を踏んだとすれば、あんたのほうなんだからね」
「手厳しいよなぁ……。ってか、ルイも全然じゃんか。いいの? “ご飯くらい炊けるようになってくださいっ!”ってのが赤緒の言い草でしょ」
 赤緒の物真似をすると、ルイは無表情で手を叩く。
「今の、ちょっと似てたわ。赤緒の真面目くさったところとか」
「でしょー? ……って言うか、掃除って面倒くさいなぁ。水圧砲で一気にできないもんなの?」
「駄目に決まっているだろう。……まったく、赤緒たちに言われたから監督役として見ていれば……たるんでいるぞ、立花に黄坂ルイ」
 メルJはと言うと、庭先の掃除を任されているようで平時ならば威圧的なコート姿なのだろうが、今は彼女も巫女服に身を包んでいた。
 片手にあるのは銃器ではなく竹箒である。
「……そういうメルJもじゃん。何で庭掃除?」
「馬鹿力だから、物を壊すといけないって早々に庭先に放り出されたんでしょ? 考えれば分かることよ」
「……それだけではない。お前らがサボらないようにと、赤緒たちから言いつけられているんだからな! ……これでは威厳も何もない」
 竹箒で掃除を始めたメルJはまるで借りてきた猫のようで、ぶつくさ言いながらも仕事はこなしている。
「何だかなぁ……。家事代行ってこんなにも大変なんだ。こりゃ、赤緒たちも馬鹿にできないかも」
 エルニィは大きく伸びをして、それから台所へと向かう。
 ――と、想定外に台所は散らかっており、エルニィは辟易していた。
「……これ、掃除中……だよね?」
「何よ、何か文句あるの?」
「いや、ないけれどさ……。何でご飯炊くだけでこんなになるかな……」
「さつき曰く、ちょっといいお米を使っているんですって。だから、炊飯器もちょっと複雑らしいのよ」
 確かに分解された炊飯器はイメージしていたワンボタンでどうにかなる代物ではなさそうだ。
「……これ、掃除しろって?」
「さつきは毎日やっているぞ。お前ら、まさか逃げるつもりじゃないだろうな?」
「ま、まっさかぁー……。けれど、どうしよっか。うーん……妙案よ! 浮かべ!」
「……って言ったって、浮かぶわけがないんだけれど。諦めて一個一個、ちゃんと直しなさい」
 エルニィは肩を落として大仰なため息を吐く。
「……仕方ない、か。……けれど、これじゃあ割に合わないなぁ。あっちも苦労してるんだったら、まだマシなんだけれど……」

「――えーっと、ナナツーが汎用型で……器用なんですよね?」
「ようやくそこを覚えたかよ。じゃあ、トウジャは?」
 シールから問題を振られ、赤緒はまごついてしまう。
「えっと……シュナイガーが重火力だから、パワー……?」
「残念! 赤緒さん、モリビトがパワータイプなんだから、トウジャはスピードタイプね」
 月子の補足を得て、赤緒はノートに書きつける。
「……それにしたって、立花さんたち、ちゃんとやってるかなぁ……。余計に酷いことになってないよね?」
「赤緒さん、信じましょうよ。私もこっちの勉強に付き合っていますし」
 さつきは勉強熱心なのか、カラーマーカーを使って分かりやすいノート作りをしている。
「しっかし、意外だな。たまにはお互いの得意分野を変えてみる、なんて」
「立花さんから言い出したんですよ。……言い出しっぺがあれじゃ、何だか格好がつかない気がしますけれど」
「けれど、立花さん、思ったんじゃないんですかね? 私たちの苦労を買ってでも体験してみたいって。それってきっと、歩み寄りができているってことだと思うんです。前までなら、整備士は整備士、操主は操主だったと思うんですけれど……。立花さんなりに私たちのこと、分かろうとしてくれているんじゃないですかね」
「分かろうと……かぁ。私は立花さんのこと、分かろうって思ったのかな……?」
 エルニィはいつだって超然としていて、飄々としていて、そして頼り甲斐のあるトーキョーアンヘルの要だ。

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