JINKI 255-8 螺旋へと赴け


「……まさか柊神社を一時的とは言え、捨てることになるなんてね」
 そうぼやいた南は車椅子に座り込みながら、《ビッグナナツー》艦橋で視線を向ける。
「南さん、このイレギュラーも想定の内ですか?」
 そう尋ねた水無瀬へと、南は頭を振る。
「まさか。けれどお二人が居て助かりました……。水無瀬さんに、柿沼さんも……二人の尽力がなければ《ビッグナナツー》を海上拠点として成り立たせることは不可能だったでしょう」
「ほっほ。なに、謙遜するものでもないさ。このような事態も考慮の上で、私たちを《ビッグナナツー》整備の職に就かせたのだろう?」
 柿沼の言葉に、南は今も運び込まれるアンヘルの人機を視野に入れる。
「……もしもの時に首都中枢を捨てざるを得ない場合……の特権。アンヘルの人機は一時的に、《ビッグナナツー》に格納され……そして作戦行動を遂行する。どれもこれも、上手くはいかないものです。こんな形で備えが役に立つなんて、思いも寄りませんでしたよ」
 柊神社を拠点としていた場合、敵の拠点攻撃用の攻勢用の人機――例えばキリビトタイプの強襲を予見しての策であったが、まさかこのような形で結実するとは。
 南は降りしきる死の雪を見据える。
 白銀の燐光を伴わせ、首都圏に雪花が吹き荒ぶ。
「……アキラさん。話の通りなら、“光雪”の範囲が日本全土を覆い尽くすまで、三日とのことだったわね?」
「はい。ですが、その前に、ドクターオーバーの言う、計画。――ライフエラーズは実現するでしょう。その場合……一度死んだはずの亡者が闊歩する地獄絵図と化すのは……」
「それほど猶予もない、か。……データ試算上だけでも、概算できるのは助かるわ。ライフエラーズ計画……“光雪”による、人間の変異。そして死にながらにして、地上を埋め尽くす死の兵団の成立。ゾンビ映画さながらね、これもまた」
『南、それにばーちゃんたちも! アンヘルの人機、それに重要資材は全部詰め込んだ! 出港準備、どうぞ!』
「エルニィ。両たちが戻ってくるギリギリまで港に泊めておくけれど、そこから先は太平洋に漕ぎ出すことになるわ。……覚悟はできているわね?」
『分かってるって。それにしたところで、首都圏への防衛戦をまさか米国のほうから買って出るなんて想定外だったね』
「話にあったグレンデル隊、か。……それもある種、米国の備えだったのかもね。私たちだけじゃ首都防衛に支障が出た場合に、頭を挿げ替えられるためにも」
 南は車椅子を動かし、ブリッジの航行制御を秋へと任せる。
「秋さん、頼むわね、《ビッグナナツー》の操縦」
「あ、それはもう……。先輩方にもここは任せたって言われましたんで……。やり切ります……っ」
 秋は不安そうに帽子の鍔を降ろすが、彼女ならば大丈夫だろう。
 今は、と南はブリッジから格納庫へと向かっていた。
 平時のように足が自由ではない分、不便ではあったが、アキラが車椅子を押してくれる。
格納庫には自衛隊の訓練場から持ち込んだ《ナナツーライト》と、そして未だにロールアウトの時を待ちわびる新型機も見られた。
「……グリムの眷属が全力で叩きのめそうとしてくる以上、私たちも戦力の出し惜しみをしている場合でもない。けれど、アキラさん? 私たちに懸けてくれているのだと、思っていいのよね?」
 沈痛に面を伏せたアキラは、懺悔するようにこぼす。
「……私たちができるのは、せいぜい警告でした。けれど、勝世さんや、小河原両兵さんたちの抵抗に、何も思わなかったわけじゃないんです。……変ですよね、グリムの遺産として、死を超越した肉体を与えられたと言うのに」
「そんなことはないわ。第一、死なんて誰も……超えてはいないのかもしれないし。あなたたちにはしっかりと、心がある。だから、私たちに接触してくれた。それが半日でも遅れていれば、今頃は私たちはこの“光雪”に成す術もなかった……」
「心なんて……本当にあるのでしょうか……? 私は、もうとっくの昔に、死に絶えた自分を持て余すだけだったんです。だから……これは贖罪なんでしょうね。せめて、グリムの名を持つのならば、と。メシェイルさんを止められなかったのは私の弱さでもあるんです」
「……メルJの因縁、か」
 呟いてみても、彼女の痛みを肩代わりできるわけでもない。
 しかし、帰る場所は保障できるはずだ。
『南! 《ナナツーウェイ》がこっちに……! 抱えているのは《バーゴイルミラージュ》だ!』
 エルニィからの伝令に南は的確に命令を下す。
「分かったわ。三番ハッチに両の機体を収容! その後、《ビッグナナツー》は通常航路に入ります! ……一時とは言え、首都防衛を外すのは……かなり手痛いけれどね」
「……私がもっと早く……決断できていればこうはならなかったと思うんです。でも……どうしてもこの段階以外ではあなたたちに接触できなかった。勇気が、足りなかったんです。あなたたちに私たちの罪を糾弾されてしまえば、どうしようもないような気がして……」
「アキラさん。私たちはトーキョーアンヘル。……この状況にならなくっちゃいずれにせよ、動き出せなかったでしょうし、それは間違いないのよ。けれど……早いも遅いもない。絶対に……負けるわけにはいかないのよ。私たちが折れれば、世界が終わる。その心持ちは……今も昔も、絶対に変わらないもの」
 震え始めた拳を握り締め、南は格納庫へと押し入った両兵の《ナナツーウェイ》と大破した《バーゴイルミラージュ》へと目線を移す。
「……あの子たちもどう決断するのかは……私にだって分からないのよ。嫌になるわね、見守るって身分も」

 ――すぐに医務室へ、と促されようとして、《バーゴイルミラージュ》に乗り込んでいたメルJは自衛隊員へと拳銃を向けていた。
 絶句した様子の相手を振り切り、メルJは身を躍らせる。
「ヴァネット!」
 両兵の声が突き抜けるが、メルJは立ち止まらず、艦内を逃げ出していた。
『まずい……! 赤緒、メルJを!』
 エルニィの《ブロッケントウジャ》より声が迸り、赤緒は咄嗟に《モリビト2号》から降りてメルJの針路へと降り立つ。
「……退け。赤緒」
 突きつけられた純正の殺意に、赤緒は硬直する。
 しかし、赤緒は退かなかった。
 両手を広げ、メルJの針路を遮る。

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