JINKI 255-8 螺旋へと赴け


「……ヴァネットさん。私は……今のヴァネットさんが嫌です」
「嫌だからなんだって言う。私は私の勝てる条件が必要なだけだ。お前らの傷の舐め合いは必要ない。……出せる人機を貸せ。Jハーンを今度こそ……地獄に落としてやる……!」
「ヴァネットさん! ……私は今のヴァネットさんが……嫌なんです!」
「何度も言わせるな! 使える人機を寄越せ! お前のモリビトでもいい! 絶対に、奴らへと報復の矢を――!」
「ヴァネットさん……っ!」
 赤緒は飛び込んでいた。
 誰に目にも想定外に映ったであろう、自分の行動にエルニィが仰天の声を上げる。
『何を……赤緒――っ!』
 銃声が劈く。
 赤緒は目を逸らさなかった。
「……何を……赤緒……?」
「ヴァネットさんは、とっても優しいのは、私は知っています。そりゃ、少しだけワガママで、それでいて、たまによく分かんないところもありますけれど……でも、これだけは絶対……。ヴァネットさんは、優しい人なんです。だから、そんな風に無理をしているところ、見ていられないんですよ」
「……馬鹿だ、お前は……。今の私は、ともすれば撃っていたぞ……」
「撃ちませんよ。ヴァネットさんは、そう……人殺しなんて絶対にしない。あなたの手は、人を傷つけるためにあるんじゃない。きっと、助け合うためにあるんです。私も、多分同じ」
 咄嗟の判断であったのだろう。
銃口は天井に向いていた。
硝煙を棚引かせる銃を持ちながら、赤緒の抱擁をメルJは茫然自失で受け止めている。
「……本当に、馬鹿者だ、お前も……私、も……」
 しゃくり上げ始めたメルJは銃を取り落とす。ここに居るのは、ただただ自分を持て余すばかりの、少女のそれだ。
 断じて、復讐の矢ではない。
 引き絞られたはずの報復の銃弾は、赤緒によって留められた形となる。
「……それがいいことなのか、悪いことなのかは別としてね。エルニィ、グレンデル隊と会わせてちょうだい。私たちは作戦を練る必要性があるわ。それに、米国のことよ。既に渡りを付けていると思っていいでしょうね」
『危ない橋を渡るなぁ、南は』
「アンヘルの責任者よ。他の誰かには……任せられる職務じゃないもの」
『言っておくけれど、相手は南が強襲を受けたことを知っている。かなり強引で、なおかつ相手にとって優位に転がる可能性が高い。それでも?』
「当たり前でしょうに。私が折れたら、皆が折れる。せめて、強く、あらなくっちゃね」
『……了解。ボクも同席させてよね、それ。せめて、南一人の双肩に全責任なんて、そんな薄情なこと言わないでよ』
「……あんたも温情が出てきたもんね、エルニィ」
 南は抱擁して泣きじゃくるメルJを視界に入れ、それからヘッドセットを装着していた。
『ご覧ください! 東京タワーを中心として、今も光の雪が降り注いでいます! この異常現象を引き起こしたのは、ロストライフ現象を巻き起こすテロ組織、キョムではないとの情報も得ていますが……今のところ状況も不明のままで……』
『グリムの眷属とは、一体何者なのでしょうか? ……ロボットを数体引き連れており、各省庁からの声明はまだはっきりとはしておらず……』
「……混乱の中、日本と言う国の盤面を覆す、か。このままじゃ遠からず、って感じね。三日間の猶予も挟まずに、全てが終わってしまいそうでもあるわ」
「それだけは阻止しなければいけないはずです。……私が言えた話でもないかもしれませんが」
 車椅子を押すアキラに南は軽口を返す。
「これまでだって色んなピンチを乗り越えてきたのが私たち、トーキョーアンヘルよ。……加えて首都防衛は専売特許でもある。グレンデル隊の出方次第でもあるけれど……」
《ビッグナナツー》に搭載されている応接室に招かれたのは二人の女性操主と、リーダーらしき壮健な偉丈夫の男性。そして黒人の男性の四人。
 全員が操主――と言う状況は否が応でも緊迫感が張り詰める。
「……トーキョーアンヘルの責任者である、黄坂南です。あなた方が、お話に名高い、グレンデル隊……」
「お初にお目にかかる。グレンデル隊を束ねるウィラード・ダグラス。階級は少佐だ。こちらはランディ・ホーマー。後ろの二人は……」
「私はイヴ・フローリアン・アームストロング。こっちはシェイナ・スチュアート。《ヴァルキュリアトウジャ》の操主をしているわ」
 豊かな金髪をかき上げたイヴに比して、シェイナと紹介された女性はどこか物憂げであった。
「それにしたところで、まさか男手がこんなにも足りてないとは思わなかったぜ、トーキョーの。ちゃんと言ってくれりゃ、本国でも支援くらいはしたんじゃないか?」
 ランディの軽口にダグラスは諌める。
「本国とて突かれれば痛くもない横腹を晒す。それくらいは分かれ、ランディ。お前は政に対しての興味が薄過ぎる」
「隊長、それは言いっこなしですぜ。俺なりにこれでも勉強してるんですからね」
 南は四人の様子をめいめいに観察した後に尋ねていた。
「……全員、血続ですか?」
「いえ、わたしとランディは違います。後ろの二人には血続の反応はありますが、日本人ほどではありません。かつて、黒将が日本人の血続遺伝特性に着目し、支配を広げようとしていたことはご存知でしょうが、何故なのか、日本人以外の血続は少し弱い」
「隊長ぉ~。それって言いっこなしですよ~。私たちだって必死に戦ってるんですからね~」
 イヴの苦言に南は応じていた。
「トウジャタイプを運用していると聞いていますが、そのメインフレームはシュナイガーのもので相違ないでしょうか?」
「あら、慧眼ですこと。ええ、その通り。祖国は《シュナイガートウジャ》にレコードされている戦闘データから、《ヴァルキュリアトウジャ》を生み出しました。それもこれも、操主であるメルJ・ヴァネットの操縦技術が一つ抜けていたのが大きかったのでしょう。実際、トウジャタイプの量産計画は色んな国から挙がっています。ソ連に、中国、そして東南アジア諸国……一ミリでもいい、データさえ揃えられれば、人機の建造に踏み切れる状況と言うのもあるのです」
 人機の量産化計画――要塞都市を生み出そうとしている国家があるくらいだ。
 ひとたび、その計画が転がり出せば、他の国とて黙ってはいまい。
 だが、今自分が問い質したいのはそうではなく――。
「……グレンデル隊は、今次作戦において、我が方の援軍として駐在してくださっている、と思っていいのでしょうか」
 一拍の静寂。
 しかし、すぐにダグラスは柔和な笑みで応じていた。
 それでも目元に刻まれた傷痕が厳めしい。
「もちろん。本国としても、一度トーキョーアンヘルとの合同戦線は経ておくべきとの判断です。現状、“光雪”を生み出すグリムの眷属相手に、単なる火力押しは難しいでしょう」
「作戦が……必要になってくる、ということですよね?」
 唾を飲み下すと、ダグラスは視線をランディに振っていた。
 その見た目とは正反対に、彼は流暢に作戦指示書を読み上げる。
「我々の擁する人機部隊、現状は五機編成だが、それだけでグリムの眷属の目論みを挫くことができると思うほど、楽観的じゃないぜ、トーキョーの。加えて、どの機体の順応性もそちらの人機部隊ほどの練度じゃない。編成されてまだ日も浅いんだ。少しは頼ってもいいんだよな? レディ黄坂」
「もちろん。……とは言っても、先の《ダークシュナイガー》の強襲と、そして飛び出したメルJのこともあって万全とは言い難いですが」
 言い澱んだ南はその時、応接室に入って来たエルニィを視界に入れる。
「ねぇ、いい加減、繰り言はやめようか。米国からの直属部隊なんだ。交渉材料くらいは持っているんでしょ? 隠したって無駄だよ。《シュナイガートウジャ》そのものだ」
「これはこれは。慧眼たる立花博士の目は誤魔化せない、ということでしょうかね」
 ダグラスの挑戦的な眼差しにエルニィは何でもないように直視する。
「それくらいの備えがないと、米国が虎の子のグレンデル隊を送ってくるはずがない。《シュナイガートウジャ》の状態は? それ次第で作戦は変わってくる」
「立花博士。シュナイガーは貴重なサンプルなのです。前線に出していたずらに損耗させるよりも、データ収集用に持っていたほうが幾分か最適だと言うのは分かっての発言ですか?」
「生憎、今のトーキョーアンヘルには人機が圧倒的に足りない。元々、試作型の機体でどうにか穴埋めしようにも、敵は空戦人機で固めてきている。なら、こちらも空戦人機がなければ対処しようもない。その点で言えば、《シュナイガートウジャ》が戻って来るのなら最適解だ」
「なるほど。本国が重宝していた頭脳、さすがだと言わせて頂こう」
 ダグラスの見え透いたお世辞に鼻を鳴らす。
受け流したエルニィを一瞥し、彼はイヴへと顎をしゃくっていた。
 イヴが書類の中の数枚を差し出す。
 引っ手繰った形のエルニィはそれを読み解くなり、なるほどね、と呟く。
「……《シュナイガートウジャ》の発展機。前回、パフォーマンスとして提示された《シュナイガーリペア》とはまた違う、原型を改良した新鋭機とはね」
「正式名称を《シュナイガートウジャリペア・タイプ:ノルン》、運命の女神の名を持つ空戦人機の新世代です」
「《シュナイガーノルン》……それは既に、国内に?」
「もちろん。我々の中の誰かが搭乗してもよろしかったのですが、適切な操主が居るのならばそれに越したことはない。ですが、メルJ・ヴァネット。噂ほどもない感覚ではありましたね。敵に無策に突っ込み、それで仲間に援護されるなど……」
 失笑したダグラスへとつかつかと歩み寄ったのはエルニィであった。
 何をするのか、と思考したその直後には、エルニィの張り手がダグラスの頬を打つ。
「何を……! 立花博士!」
「取り消せよ……それ……」
 押し殺したような怒りを滲ませ、エルニィが声を発する。
「隊長……! 大丈夫で……?」
「あ、ああ……」
「取り消せって言ってるんだ! メルJを馬鹿にすんな!」
 イヴとランディがホルスターから拳銃を取り出す。
 一触即発の空気に、ダグラス本人が制していた。
「いや、よせ……やめろ。……すいませんね、立花博士。わたしも少し、成っていなかった様子だ。それにしたところで意外でしたよ。あなたほどの人間が他人のために憤るなど」
「いけないかい? ボクは……仲間を冒涜されることだけは、許せない性質だ……!」
 南からしても意想外であった。
 エルニィはこういった交渉事では我を出さないタイプだと思い込んでいただけに、メルJに関してここまで己を貫こうとするとは。
「……ランディもイヴも、銃を降ろせ。ここは交渉の場だ」
 その言葉でようやくランディとイヴは殺気を仕舞う。
「……で、《シュナイガーノルン》にメルJを乗せるつもり……だと考えていいのかな、そっちは」
「……最大の効力を期待するのならば、ですが……彼女が本来の能力を発揮できるかも不明。その可能性を棄却できない以上、我々のメンバーが操主候補となることもあり得ます。とは言っても、たった三日の刻限。迷っている場合ではないでしょう」
 それは暗に自分たちの手でメルJに、さらなる血濡れの道を歩ませろと言われているようなものだ。
 メルJは充分苦しんだ。
 苦しんで、苦しみ抜いて――その果てに平穏を享受できていたと言うのに、これではあんまりではないか。
 Jハーンの復活に、グリムの眷属による実効支配。
 これをキョムが静観しているはずがない。
 きっと、情勢は大きく動く。
 それでも、敵味方論だけでは割り切れないのだろう。
「……一つ、約束させて欲しい。メルJがもう……人機に乗りたくないって言ったのなら、ボクらはそれを尊重したい」
「……しかし《シュナイガーノルン》の性能を恐らく十全に発揮できるのはメルJ・ヴァネット以外には居ないでしょう。彼女は先の戦闘で乗機を失っている。日本風に言えば、渡りに船と言うものなのでは?」
「確かにね。だが、同時にこうも思う。ボクはメルJに、たくさん酷いことを言ってきた。その償いでもないんだけれど……メルJのやらせてあげたいことを、考えた上で選ばせたいんだ。だって、ボクはアンヘルのメカニック! ……操主に無理をさせてまで乗らせるのが、いいなんて思っちゃいない」
「エルニィ……あんた……」
「了承しました、立花博士。しかし、彼女は乗ると思いますよ。でなければ、《ダークシュナイガー》を駆るJハーンを倒せはしない。《バーゴイルミラージュ》で勝てないのは重々理解しているはずです。何よりも、彼女自身の経験則でね」
 ダグラスはここに来て交渉材料の優位さを確証したようであったが、それでもエルニィは噛み付いてみせる。
「いいさ、メルJが本当に、心の底から乗るって言うんなら、ボクは止めない。けれどそれ以外で……お前らが無理やり乗せようとしたのなら、最悪……トーキョーアンヘル全員が敵になると、思ってもらっていい」
 そこまで強気な言葉を吐くとは想定していなかったのか、それともエルニィほどの立場のある人間の言葉とは思えなかったからか、ダグラスは一拍の呼吸を置く。
「……理解できませんね。立花博士、あなたはもっと、戦局をフラットに見るタイプだと思っていましたが……。このままでは東京は“光雪”に覆われ、二度と生命の息吹が復活することもない、地獄絵図と化すのは既にご承知のはずでしょう。だって言うのに、数万都民の命と自分たちの要らぬプライドを天秤にかけますか」
「……いけないかい? ボクは、けれど正義の味方ってわけでもないんだ。あくまでも、トーキョーアンヘルの、ただの専属メカニックであり、一員なんだから。それ以外は……両兵が言いそうな言い分だけれど、クソッ喰らえって感じだよ」
 サムズダウンを寄越してみせたエルニィにダグラスは満足げに手を叩く。
「いいでしょう。その心意気、気に入りましたとも。《シュナイガーノルン》に関して、秘匿事項を開示しましょう」
「隊長? ですけれど~、立花博士にそれを言うのは本国から差し止められているんじゃ?」
「なに、構いはしない。それに、わたしもガラにもなく、彼女の言葉に心打たれたと言うべきなのだからな。《シュナイガーノルン》にはグリム協会の技術が入っております。その中枢を担うのは、あるシステム」
「システム? まさか――」
 先んじて察知した様子のエルニィへと、ダグラスは口角を釣り上げていた。
「ええ、グリムの眷属の使うライフエラーズシステムの、その中枢部と同一系統のシステムを有しております。敵の主力と張り合える、鬼札ですよ、こいつはね」

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