JINKI 255-10 悪の同胞たちよ


「だとすれば! あなたは死んでも死に切れまい!」
 銃撃を浴びせ込むも、それを予見したバルクスの《O・ジャオーガ》が武装で叩き落とす。
 灼熱を帯びたオートタービンの雄叫びが、弾丸を焼き切っていた。
 その背に装備していた短刀をブーメランのように投擲し、こちらの気勢を削ぐ。
 途端、《O・ジャオーガ》の機影は掻き消えていた。
 バルクスほどの使い手が向かってこないわけがない――そうなのだと想定していたJハーンは距離を取ってシバをそのマニピュレーターに保護した動きに瞠目する。
「……どういうつもりで?」
『ここでは黒の女を死なせるわけにはいかん。そして《キリビト・コア》を臨界爆発させるわけにもな』
 アルファーの感度から離れたせいか、《キリビト・コア》が元の状態を取り戻しつつあった。
「……よいのですか? 我々グリムの眷属が利用すると言うのに」
『できるのならば既にそうしているはずだ。《キリビト・コア》はエクステンド機。シバ以外には難しい何かがあるのだろう』
 既にその線は読み切った後と言うわけか。
 Jハーンは奥歯を噛み締める。
 展開していた《シュナイガートルーパー》はレジスタンスを名乗る《バーゴイル》によって散り散りにされ、戦力を分散されている。
 何よりも、自分は元八将陣。
 その経験則が、バルクスほどの男の実力を軽んじるわけではない。
「……意外ですね。今の一瞬、あなたは私を殺せた」
『貴様を殺すのは、私の役割ではない』
『隊長! 時間は充分に稼げました。《ブラックロンドR》も回収済みです』
『よし、引き上げるぞ。……Jハーン、ここでの決着は預けておこう』
「女ばかりに盛り立てられて……情けないと思わないのですか? かつての八将陣ではトップの実力だった存在が」
 挑発するもバルクスは乗らなかった。
『……私は敗北者だ。だからこそ、敗者にしかできない戦いを講じるまで。勝利者が、貴様の前に降り立つ。その時のお膳立てをさせてもらおう』
「勝利者? それは片腹痛い! アンヘルは敗北した!」
『……どうかな? 存外、仕留めたと確信した瞬間ほど、狩人は隙が出るものだ』
 白亜の鬼である《O・ジャオーガ》が戦線から離脱する。
 Jハーンは暫時、沈黙した後に操縦桿を殴りつけていた。
「……馬鹿にして……! 私とは相対する価値すらないと言うのか……バルクス・ウォーゲイル……!」
 だが身を焼く憤怒も、事ここに至ってしまえば無意味。
 俗物の勝利よりも、今は優先すべき事柄がある。
「……我が主は既にシャンデリアへと上り、《キリビト・コア》は我々の手にある。エクステンド機が自由自在には使えんとは言っても、牽制にはなるはずだ」
 Jハーンは何度も、確証するように呟く。
「そうだとも……最終勝利者は我々、グリムの眷属となるはずだ……!」

『――隊長、完全離脱距離まで到達。もう大丈夫そうです』
『油断するな。“光雪”の射程は?』
『関知した限りでは、東京全域……三日間の猶予しかないのが痛いですね。日本全土にこの滅びの雪は降り積もるでしょう』
『……そうか。時間はないようだな』
 コックピットから出てきたバルクスへと、《O・ジャオーガ》のマニピュレーターの上でシバは相対していた。
「……久しぶりの再会だな。八将陣の裏切り者とは」
「シバ。状況はひっ迫している」
「ならば何故、奴を殺さなかった? Jハーン程度、お前ならば獲れたはずだ」
「分かっているだろう。Jハーンを殺したところで、奴は傀儡……本当の意味で滅することはできん。それが厄介なところだな。――人形師、か」
「分かっていて、か? 相変わらず酔狂にだけは映る」
 自嘲気味に口にした自分にバルクスは《O・ジャオーガ》を駆動させ、港まで逃れていた。
『隊長。現時点でトーキョーのインフラは三割が壊滅。残り七割も遠からず』
「そうか。案外、ロストライフに染めるよりもずっと簡単なものだ」
「それは私を嗤っているのか? バルクス・ウォーゲイル」
「そのような性質に映るか、黒の女よ」
 ――否、断じて否である。
 バルクスはかつて八将陣に所属していた頃よりも、なお鋭い一振りの刃となって舞い戻って来たのだ。
 それが分からぬほどの戦士ではない。
 しかし、解せないことの一つや二つはあった。
「……お前のような人間が女共を連れてのレジスタンス、か。似合わないことをするものでもない」
「そうでもないさ。……彼女らは強い。私の目利きもまだまだだったというわけだ。弱い者、敗者だと断じていた者たちに、今は救われている」
「救済を求めるか? ……全てを失い、頼るべきは力だけであったあの八将陣の鬼が。……これは笑い話だな」
「どうとでも言え。……飲むか?」
 バルクスがコックピットから取り出したのはコーヒーメーカーで、その想定外さにも舌を巻く。
「……驚いた。こんな死の淵で飲むコーヒーは旨いとでも言うのか?」
「たとえ絶望の淵であろうと、命の滴は輝く。私は彼女らからそれを学んだ。何よりも、コーヒーが飲めなくなってしまえば、人間はそこでどん詰まりだ。いつだって冷静に事の次第を読み取るだけの審美眼は失ってはならんはずだろう」
「それを逃避と、貴様は呼ぶのだと思っていたよ」
「見解の一致だな。私もそうなのだと、思い込んでいた」
 抽出したコーヒーの芳香は死の雪が降り積もりつつある東京都心を目の当たりにしてしまえば性質の悪い冗談のようであった。
 だが現実なのだと、差し出されたカップの温度が告げる。
「……セシルは自らドクターオーバーを呼び込んだ。これがどう言う意味なのか、分からないわけではあるまい」
「今の八将陣の現状を、貴様の口から聞くことになるとはな」
「……何をやっている。ジュリは待っているぞ」
「……待たせるような男ではなかった。それだけだ」
 言葉を交わしつつ、シバは黒々としたコーヒーを喉に流し込み、一呼吸ついていた。
「死ぬつもりで行ったんだがな。このザマでは笑えんよ」
「《キリビト・コア》の臨界自爆は、ロストライフ現象の遂行理念とは相反するものだ。直前で止める腹積もりだったのだろう?」
「……どうだかな。いつだって、不遜であれ。それが私と言う……八将陣シバと言う女の結実のつもりであったが」
 互いに《O・ジャオーガ》の腕の上でコーヒーを嗜むような仲になるとは思いも寄らない。
 周辺警戒を欠かさない青い《バーゴイル》の翼に、シバは苦笑していた。
「……あれは何だ? 禊の青か?」
「いや、いずれ世界を取り戻すと言う、埒外の希望を見出した、空の青さだ」
「……言っていて恥ずかしいような自覚は?」
「……多少はあるな」
「なら、まだマシなんだろう。発狂に堕ちたかと思ったよ」
 だが、レジスタンスを指揮するのならば敵同士。
 こうして膝を突き合わせてお茶と言う関係性では断じてあるまい。
「……もし、アンヘルが動かない場合、我々の部隊が強硬策に打って出る」
「縁もゆかりもないだろう。日本を捨てたところで、貴様らに泥は付くまい」
「……いや、かつて。私は希望を見た。勝者の言葉と言う名の希望をだ。だから、あれほど絶望し切っていたこの世界に、意義を見出し、そして無力でしかない己を悔いた」
「その結果がレジスタンスごっこか。バルクス・ウォーゲイルと言う修羅の男の末路にしては、存外、人間の血が通ったような逃避行動だ」
「自分でもそう思う。……私は何故、このような行動をしているのだろうか、と。かつての自分への意趣返しのつもりか、とも感じたが、違う。違うと……言い切れる」
「贖罪の道にしては、救われるまでが遠いぞ。そこから先は茨道だ」
「構わん。私は元々、真っ当に生きて死んで行くなど到底望めまい」
 どこまでも頑強。どこまでも愚直。
 そしてどこまでも――自分の知っていたバルクスの言葉であった。
「……私をこのまま、アンヘルに引き渡すことだってできる」
「そうはしない。私は調停者を気取るつもりはないが、貴様には貴様の決着の道がある。それを邪魔するほど、野暮ではないさ」
 自分と赤緒のことを分かっていて――と言うよりかは彼の持つ野性が命じるのだろう。
 ここで自分を殺したところで、浮かばれるものは一つもない。
「……今頃はどうしているのだろうか。我らの人形師は」
「セシルの決着はセシルのものだ。貴様が背負うものでもあるまい。《ブラックロンドR》の修繕は難しいだろう。ここでの退避をお勧めする」
「逃げ帰れと言うのか? ……それは臆病者と言う」
「《キリビト・コア》は敵に堕ちた。だがあれはエクステンド機、そう容易く相手が解析できるわけがない。恐らく、猶予はある。《キリビト・コア》の臨界自爆でさえもお前の心次第であるのならば、相手とて下手な策には出られない。“光雪”による三日間をフルに使うしか、道はなくなった……と言うのは穿ち過ぎか?」
「相変わらずだな、貴様は。楽観視を戦場に持ち込むべきじゃない」
 とは言え、戦場を闊歩する第六感は錆びていないらしい。
《キリビト・コア》が最悪、敵のものとなったとしても、自分と繋がっていることを関知しているのならば下手には出られないはずだ。
 シバはコーヒーを呷り、それから手を払う。
「旨いコーヒーは感覚を変えるな。……少しだけ楽観視を信じても見たくなった」
「達観するべきでもない。黒の女ほどの操主となればな」
「……お前が私の何を知って……と言いたいところだが、時間だ」
 シャンデリアから降り立った二つの光の柱のうち一つが《ブラックロンドR》を回収し、もう一つからヤオの操縦する《トーキン・フゥ》が現れる。
「次は茶を酌み交わす前に敵同士、か」
「今だってそのつもりだったのだがな。……旨い茶の香りにほだされたらしい」
《トーキン・フゥ》の手に渡り、シバは振り返る。
 白亜の鬼の人機と、そして青き翼を誇る抵抗者たち。
「……残念だ。いずれ滅ぼさねばならない」
「そう生き急ぐこともあるまい。黒の女よ、貴様は何を望む? この戦域の土壇場で、一体何を」
「知れたこと。――全ての破壊と、そして破滅の誘因。ロストライフ現象は必ず達成する。それまで……限りある生を、謳歌することだ」
 シャンデリアの光に包まれる直前、バルクスは瞑目し身を翻したのが窺い知れた。
 そのほうがいい。
 下手に傷を舐め合うようにはできていないのが、キョムの八将陣だ。
『……よいのか? 奴はまだ戻れただろうに』
 ヤオの声にシバは人機の腕の上で胡坐を掻く。
「……構わんさ。いずれは分かる。この世界が沈んでいる悪意そのものに叛意を翻したところで、意味はないのだと。だが、惜しいことをした。今の奴の眼差しならば……共に戦おうと、澱みなく言えただろうに」
 少なくとも、かつてのように全ての選択肢を消してからの提案ではなく、対等な条件として語れたはずだ。
 それだけが黒の女の心残りであった。
「……それよりも、ヤオ。八将陣の席を抹消してもよかったのだが……どこで油を売っていた?」
『ワシは黒将より、独自権限を許されておる。かつての南米による結成時からのう。気に入らぬと言うのならば、この首、今すぐその刃で刎ねるか?』
「老い先短い人間を殺すのに、私の刀を使えと? ……つまらないことを言うな、貴様は」
『なに、人界に浸るのもまた、勉学よ。それに……俗世は案外、八将陣の視座からは見えぬものも見えるものでな』
「……俗世、か。その俗世も残り三日だ。私たちが黒い波動で支配するはずだった東京を、こんな形で見下ろすとは思いも寄らない」
『本当に、そう思っておるのか? シバ。お主は簡単に諦めが付くような性質ではなかろうに』
「……どうだかな。いずれにせよ……都心を望めば、ここまで。さぁ、どうする? トーキョーアンヘル。それに、赤緒。愛しい愛しい、私の半身。愛しくって憎い、もう一人の私よ。お前はこの土壇場でも、諦めなければいいと、勝者の言葉を吐けるのか?」
 その問いかけは宇宙の常闇に霧散していた。

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