JINKI 255-9 もう一度、空へ


「……ヴァネット。悪ぃな。お前を死なせるわけにゃいかなかった」
「……小河原、か」
 両兵が隣に来るのを躊躇したのが今だけはありがたい。
 きっと、酷い泣き顔だ。
「お前の戦いは尊重しているつもりだったがよ。……オレも甘かったのかもな。死にに行くような真似、させるのはどうしてもできなかったんだよ。別に柊たちのためだとか、そういうんじゃねぇ。ただな、自分と同じ、直情気味の馬鹿を放っておけなかっただけなんだ。……《ダークシュナイガー》に撃たれに行ったな?」
「……何でそう思う」
「いくら《バーゴイル》の鹵獲機だからって立ち回りが杜撰過ぎる。あんなんじゃ、撃ってくれって言っているようなもんだ」
「……お前には分かってしまう、か。それもそうだな」
「死に場所を求めているような奴に、じゃあおいそれと死ねなんて言えるかよ。……言っとくが、死んだって安息なんてありゃしねぇ。そりゃあ、地獄は見てきたつもりだがよ、生憎と本物は知らねぇ身分だ。だから、生きている頃よか辛いだとか、しんどいだとかは言わねぇつもりさ。……ただよ、打ち止めには随分と早ぇだろ」
 ――打ち止め。
 そう、映ってしまったのだろう。
 全ての因果をそそぎ、全ての因縁を彼方へと追いやろうとする――そんな自棄にも似たような。
「……私は、できるだけ居場所を、作ろうと思っていたんだ。意識的か無意識かまでは分からんが、アンヘルに、モデル稼業に、と言う具合に。だから、その居場所に居る間だけは、自分でも大丈夫なのだと……そう規定して、生きていければいいのだと……。だが、分からなくなってしまった。あの日、終わらせたはずのJハーンとの決着も、グリムとの宿業も、終わりにしたはずだと言うのに……何でこうも……過去は追い縋って来るんだ……」
 声が震え始める。
 両兵相手に、偽るような余裕もない。
 もう、自分はここまでなのだと、思い込んでしまっていた。
「……過去は、どんだけ拭ったつもりでも、同じさ。やっちまったことは、消しようもないんだ。オレだってそうだろうな。いずれ、報いが来る。……だがよ、それにビビってたんじゃ、明日も明後日もねぇ。今日の一秒だって、振り向いちゃくれねぇ。朽ち果てるだけだ」
「じゃあ、どうしろって言うんだ。……私にもう一度、何の感情もない人機のパーツに……戻れって言うのか……」
「馬鹿野郎。ンなこと、言うわけねぇだろ」
「じゃあ、どうしろって……! お前は言ってくれるんだ、小河原ッ!」
 振り向くと同時にメルJは銃口を突きつけていた。
 両兵は痛々しい包帯姿ではあったが、自分の双眸から視線を外すことはない。
「……どうしろって言って欲しいんだよ、てめぇは」
「私は……私は……もう……。もう、終わりなのだと。戦えないのだと、言われてしまえば……それでいいのかもしれない。だけれどそれを、状況が許さないのだろう? ……米国から紛れ込んだ連中の話を盗み聞いた。どうやら私に、新しい機体が充てられる可能性が高いらしい」
「……シュナイガーの改修機か」
「戻って来たんだ。……私は前までなら、喜んでその誘いに乗っていただろう。……だが、今の私は駄目だ。駄目なんだ、小河原……。シュナイガーが戻って来たのを……素直に喜べない……。また、因縁のそそぎ直しになる……! また……私は、復讐心だけで戦うことになる……! ……そう思うと、怖くて……怖くて震えて来るんだ。この銃口も、この指先も、心でさえも……。いや、心なんてまやかしだったのかもしれない。私が私であろうとするだけの、賢しいだけの代物だ」
 嗚咽の混じり始めた言葉に両兵は分かりやすい言葉を投げてくれるわけでもない。
 きっと、分かりやすい答えなんてないのだ。
 いつだって、選び取って来たはず。
 自分自身の手で。
 自分自身の力で。
 それが「メルJ・ヴァネット」であった。
 誇れる己自身であったはずなのだ。
 だと言うのに――こうも及び腰になる。
 きっと、新たな翼を得ても、自分は前のようには飛べない。
 安息所を知ってしまった。
 飛ばなくてもいいのだと、そう分かってしまった。
 銀翼の翼は永劫、以前のような輝きを誇ることはないのだ。
 だからなのか。
 いや、それを言い訳にしているだけなのか。
「……もう、飛ぶのは嫌だ……。空が……怖い」
 今まで散々、戦い抜いてきた。
 今までどれだけでも、飛び続けてきた。
 だが、もう飛べないのだ。
 自由に飛べと言われても、強制されても同じこと。
 澱んだ翼で、Jハーンを討てるものか。
 きっと、生ぬるい感情論でもう一度、空に舞い戻っても、自分の強さなんてたかが知れている。
「……私は……こうも、弱かったのか……」
 今さらに染み入る己の脆さに、両兵は歩み寄ることもない。
 きっと、似合いの距離なのだ。
 これが、断絶。
 これ以上、傍に来て欲しいわけでもない。
「……前にも言ったな。オレは強化パーツじゃねぇ。都合のいいようにお前を支えてやることも、ましてやお前の復讐心に花を添えてやることもできん」
「……そう、だな……お前はそうだった」
「だがよ、仲間の一大事ってなりゃ、話は別だろうが」
 ハッとしてメルJは顔を上げる。
 両兵はずんと歩み寄り、銃口を左胸へと突きつけさせる。
「てめぇだけじゃ飛べないんだろ? 飛ぶのが怖ぇんだろ! ……なら、命一つくれぇ、張ってやる! オレの命でいいんなら、いくらでもな」
「だ、駄目だ……小河原……。きっと私は……お前の命を、無駄にしてしまう……」
「構うもんかよ。いつだって、無策無謀がお似合いのメルJ・ヴァネットだろうが。一回張ったなら、何度でもだ! オレはお前を、操主として、一流に上り詰めさせてやるよ。何度折れたって上等だ! 銀翼のアンシーリーコートの意地、見せてみろ!」
 銃身が強く両兵の左胸に押し付けられる。
 メルJは握り締めていた手を解いていた。
 強張った指先が、両兵の手に無理やり握り返され、その手の冷たさに驚嘆する。
「……お前も冷たいじゃないか……」
「オレだって何度も何度も死ぬ目に遭って、それで絶対に生き残るなんて言えねぇ。その保証なんてねぇ。だが、オレはお前の恐怖を全部、抱えることくれぇならできる。弱さは全部、下操主のオレの背中に吐け! 何のために人機が複座なのか、分からねぇとは言わせねぇ!」
「……だが、怖いんだ……。本当にお前たちを……永久に失ってしまいそうで……」
「飛ぶのが怖いってのは、飛んだ時に、何かがあるって予感しているからだろうが。その予感、いい意味で現実にしていこうぜ。飛ぶのを最初から諦めている奴なら、そうはいかねぇはずだ」
 両兵は自分の弱音を最後の最後まで聞いてくれると言っているのだ。
 ならば、彼に――否、トーキョーアンヘルの皆に、少しは委ねてもいいのではないか。
 何度でも、何度だって、彼らは自分と共に在るのだと言ってくれていた。
 その信頼を裏切りたくはない。
「……私のせいで、全滅するかもしれない」
「おう、いいぜ。どうせ、分の悪い賭けなんだ。全滅するリスクくれぇは背負ってやンよ」
「……シュナイガーが、私に従ってくれるかどうかも分からない」
「それも、乗ってみねぇと分かンねぇだろ。大丈夫だ。案外、人機ってのは操主のことを愛してくれている。お前の乗るシュナイガーが前までと同じなら、きっとお前のことも、同じように愛してくれるはずさ」

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