JINKI 150「黒と黒」 第五話 力と罰

 その立ち位置に居ようと思えば、こうしてシャンデリア内部のがら空きのセキュリティを突いているのも野暮と言うもの。

 なずなは流れるように上下逆さまの街の屋根から飛び降り、直下で待っていた《ナナツーシャドウ》に乗り込んでいた。アームレイカーを握り締め、気密を確かめてから空洞へと進もうとして、不意打ちの熱源警告に阻まれる。

「この機体照合……《CO・シャパール》!」

『……その人機、あの坊ちゃんと話している間に入ったネズミね。悪いけれど、情報を持ち帰らせるわけにはいかないの。何よりも、あの子の戦いに泥を塗るわけにはいかない……倒させてもらうわ。ガラじゃないけれどね!』

「八将陣、ジュリ! ……ここで合見えるなんて、運がないですねぇっ!」

『それはそっちの台詞ッ!』

《ナナツーシャドウ》の機体に纏わせた光学迷彩の色相を変移させる暇も与えず、空間を奔るのは《CO・シャパール》の追従兵装であった。

 コロニーの街並みを突き抜けてワイヤーが掻っ切る。

《ナナツーシャドウ》を後退させ様にリバウンドのクナイを払うと、ワイヤー装備が一瞬だけのたうって屋根瓦を突き破っていく。

 こちらがさばくよりも素早く、刃の軌道を関知した敵の次手が繋がる。

『そのリバウンドの刃は、もう見切ったわよ!』

「……どうですかねぇ……。そんな簡単に、見切らせるとでも」

 地面すれすれを蛇のように鎌首をもたげて疾走するワイヤーが起き上がった基点へと、《ナナツーシャドウ》は肘口から現出させた隠し刃で一撃を回避する。

 火花が散り、スパーク光がコックピットに焼き付く中で、軽業師めいた動きで跳ね上がる。敵影とほとんどゼロ距離の至近まで迫り、《CO・シャパール》の無機質な頭部がすぐ下を突き抜けていった。

 その甲冑の頭部装甲から覗いた眼光を睨み返し、なずなは《ナナツーシャドウ》を着地させる。

 砂礫を踏み締めた機体が振り返った刹那には《CO・シャパール》の剣を兼ねた腕が風の速度を超えて肉薄する。

 狙うのは、間違いなく腹腔の血塊炉。

 だが、これは読みの差だ。

直前でマニピュレーターを稼働させ、剣の片腕を犠牲にして引っ掴む。

『それは――私の距離よ!』

 接触回線を震わせたジュリの勝利宣言になずなは乾いた唇を舐める。

「それは……どうですかねぇ」

 片腕は使い物にならなくなったが、その程度の置き土産で済むのならば充分だ。

 肩口よりパージさせ、爆砕装甲が炸裂し、《CO・シャパール》の剣の武器腕を巻き添えにする。

『まさか、そんな……! ここは無重力の海よ!』

「そこまで心配していただく必要はないですよ。もう……離脱挙動なので」

《ナナツーシャドウ》の纏った光学迷彩が起動し、宇宙の常闇へと溶けていく。

 目視戦闘で追えぬと判断したまでは相手もさすがの八将陣ではあったが、そこまでだ。

 そこまでが――人機の限界。

 星の海の中へと身を躍らせた《ナナツーシャドウ》を追う術はない。

 通信域へと、ジュリの舌打ちが滲む。

『……逃がした』

「ですねぇ。さすがはですが、八将陣のジュリさん。餞別代りに片腕はあげますよ。使えるかどうかは分かりませんけれどねぇ」

 なずなはコックピットに備え付けられていた携行飲料を飲んでから、ようやく一呼吸を付いていた。

「……八将陣からしてみれば、これ以上ない屈辱のはず……。ですがこっちも片腕を差し出した。これは大きな失点と見るべき……。ですが、まずはこれをアンヘル側へと持ち帰らなければ、情勢は覆る。……ぶつかるのは黒と黒、ですか。それも自分自身の存在をかけた、生存のための闘い。通常ならばスルーを決め込むのが私のポジションなのですが、今回ばかりは話は別。何よりも……己の存在価値をかけて戦うのは、何も八将陣、シバだけではない。今の私は教職実習生の瑠璃垣なずな、なら、教え子のために動いたっていいはずなんですよねぇ」

 そう呟き、なずなは機密情報の記されたフロッピーにキスをするのであった。

 ――自分はシバを罰せないと、そう口火を切ったのがまさかさつきだとは誰も思わなかったのか、最初、その言葉の意味が分からなかったほどだ。

「……さつきちゃん……?」

「あっ、すいません、赤緒さん……。でも私、あのシバさんはきっと、そういう罪だとか罰だとか、そういう話じゃないと思うんです」

「それはキョムを野放しにするって言うこと?」

 すかさず食いついたルイに、さつきは慌てて取り成す。

「い、いえ……! そういうわけじゃ……。ただ、あの人の眼、嘘をついている人の眼じゃない、そんな気がして」

「うーん……根拠のない話だけれど、ボクらがあのシバを捕らえたって言うのはでも、大きいはずなんだ。キョムからしてみれば頭を押さえられたようなもののはずだからね。遅かれ早かれ、動きはあると思っていい。でも……《キリビトコア》のコントロールは今のところ、こっちのシバにある。なら、少しは話し合いの余地があると思っていいのかもしれない」

「……話し合い……シバさんと……」

 実感の伴わない言葉に赤緒は当惑する。

 今の今まで話し合いなんてまともに通用しなかった相手――これから先もずっと平行線なのだと思っていた相手――とまさかの平和的な話し合い。

 その齟齬に戸惑っていたのは自分だけではないようで、両兵が声にしていた。

「駄目だ。相手は八将陣だぞ。それに、話し合いなんかでどうこうなる相手ならとっくになってらぁ。……連中の考えには二手三手先があると思っていい。オレらの技術の上を余裕で行く。警戒し過ぎでちょうどいいはずだ」

 断定口調の両兵に、さつきはしかし、それでも食い下がる。

「で、でもお兄ちゃん……。あの人、悪さできるタイプには見えないよ……」

 それは最初にもう一人のシバと邂逅したさつきだからこそ出る言葉なのであろう。

 両兵はしかし、一度シャンデリアで刃を交えた因縁がある。

「あのな、さつき。害意の明確な悪意と、そうじゃねぇ悪意なら、後のほうがよっぽど厄介なんだよ。悪さできるタイプじゃねぇ、そうは見えないってのは、つまり装ってるンだ。こっちが嘗めていれば、寝首を掻かれるのは間違いないと思っていい」

「それに関しちゃ、両の意見に賛成。……正直ね、私も決定打に関しちゃ言えない身分なのよ。八将陣……特にその頭目と見なされるシバに関しては、まるで情報なんてない。両の戦った感触と、何度か《キリビトコア》で攻めてきたこと、それに……赤緒さんの言っていた、エクステンドの力、だったっけ?」

 話を振られて赤緒は戸惑いながらも首肯する。

「はい……。本当のところを言うと、シバさんの今まで言ってきたこと、一個もまともに分かったことはないけれど、それでも感じるんです。エクステンド機……それは多分、いい力じゃないって」

「……力にいいも悪いもねぇとは思うがな。振るう側の身勝手で、力はどうとでも変わるもんだろ」

「でも小河原さん……。シバさんはこれまでも、ずっと私の……ううん、もしかしたらモリビトの成長を、見てくれていたのかもしれないって思うんです」

 ぶつかる度に感じる。

《モリビト2号》が明らかに《キリビトコア》を敵視していることを。

 人機に意志があるのかないのかは不明なままだ。だがそれでも、身震いのようなものを感じ取っているのではないかと思う節はある。

「……モリビトの成長、か。だとしても敵のやり方は不明なままなんだ。オレは悪者になっても構わねぇ。あのシバはどうにかすべきだと思っている」

「……どうにかってさ。どうするっての? だって、人機を遠隔で二機も操る相手だよ? 相当に見ても実力者……いいや、血続か。アルファーで人機を操るって言っても限度があるんだ。だって言うのに、あのシバは黒いモリビトと、それに《キリビトコア》を使ってもまだ余裕って感じだった。それってさ、敵に回せばこっちは総力戦で挑むしかないってことじゃん。その隙にあっちのシバが介入して来れば? 情勢は一気に泥仕合になだれ込むよ」

 下手に敵に回せばその機を窺われて相手の勝利に手を貸す羽目になる。

 だが、だからと言って放逐していい力ではない。血続としても全力が全く不明瞭なほどの力、それを制御する術は今のところ手を取るしかない。

「……でも、簡単には……」

「どうかな。相手はともすれば、この内輪揉め状態を演出しているのかもしれない。そうこうしてボクらが気を揉んでいる間に、一気に瓦解させるつもりなら、もう状況は整っていると言ってもいいんだ。チェックメイトに手をかけているのは敵のほうだよ」

「で、でも完全に無関係って可能性は? だって、これもある意味じゃ憶測じゃないですか。あまりそういう面で物を言っても――」

「さつきはやけにあのシバの肩を持つのね。今までだって辛酸を嘗めさせられた相手よ。敵だと思ってかからないとこっちは読み負ける。それだけは確定だと思うけれど?」

 ルイの舌鋒鋭い返答にさつきは自分の意見を仕舞った様子であった。

 自分でも分かる。

 さつきは今のシバに入れ込んでいる。

 これまで全くと言っていいほどに接点のなかった相手が、急に目の前に出て来て、それを敵と認識できるかはさつきの素養ではない。

 加えて、もう一人のシバはさつきに対して随分と柔らかな物腰であった。

 そんな相手を憎めと言うのは、むしろ酷なのだろう。

 諸悪の根源がシバだと、言い切ってしまえばそこまでだが、さつきにはシバと対峙する敵意も明確な反意もなく、対人機戦闘も一度としてない。

 なら、戦うなと言うほうが彼女にとっては――。

「……さつき。私もあのシバを敵として睨めとは、どうしても言えない」

 ここに来て意見を挟んできたメルJには全員が瞠目する。

 真っ先に彼女こそが、あのシバを倒せるのならばそうしたほうがいいと言い出すに決まっていると思っていただけに、その言葉は意外でしかない。

「……ヴァネットさんも……?」

「誤解するな、赤緒。確かに八将陣は敵だ。それを束ねるシバは、当然、倒すべきだとは思っている。……だが、これは操主としての勘でしかないが……迷っているんだ。撃つべき相手を」

「撃つべき……相手……」

「私はこれまで、戦闘機械だった」

「……メルJ……」

 無理はするなと助言しようとしたエルニィをメルJは頭を振って制する。

「いや、いいんだ、立花。それは疑うべくもなく事実なのだから。そのために力を欲した。……シュナイガーを盗んだのは今さら言い訳を並べることもできない。だが、だからこそ、なんだ。そこまで私は、しゃにむにキョムを恨んできた。だが、恨みの代行者と言うのは得てして虚しいものでな。必死になって追いかけて、追って追って、追いすがった先に得たのは……何てことはない、奴らの操る“虚無”そのものだった。何もないんだ、私には。シュナイガーを駆っていた間も、お前たちと共に戦ってきた縁も、何も……」

「ヴァネットさん……。でもそれは、違いますよ。だってヴァネットさんは、私を助けてくれたじゃないですか。あの時は……まだ敵同士みたいな感じでしたけれどでも……見知らぬ相手のために宇宙までは来られないはずです。そんな非情な人間じゃないと、私は思ってるんです」

 赤緒の言葉にメルJは一瞬だけ驚いたように目を見開いていたが、やがて己の掌に視線を落とす。

「……いや、それでも空っぽなんだ。空っぽの復讐心さ。奴らを追って、Jハーンを倒して、それで救われた気持ちでいた。……だが、違うんだ、何もかもが。お前らとは……。私の戦う理由はお前らのように、どこか高潔には成り切れない。潔く……前に進めないんだ……」

 それはこの戦いにメルJ本人が惑っている証であろう。確かに最初は復讐心であったのかもしれない。だが、それでも戦う意味を見出したのならばそれは本物のはずだ。

「……何言ってんのさ、水くさいね、メルJ。今さら、君を糾弾する人間なんてアンヘルのどこを探したって出て来るわけがない。何よりも……ボクが許したんだから自信持ってよ。そうじゃないと張り合いないし」

「……立花」

 メルJの言葉にエルニィは僅かに照れたように笑う。

「そうです……戦う理由とかじゃない。もう、そんなの、私たちは超えているはず……。でも、それでも、迷うんですよね。あのシバさんを断罪していいのか……」

「赤緒はどう思うの? だって、シバにこだわっているのって一番は赤緒のはずでしょ?」

「私……? そうですね、私は……」

 さつきのようにシバを無害だとのたまうことはできない。かといって両兵のように、八将陣は悪だと断じるだけの強さもない。

「……私が見たいのは多分、シバさんの笑顔なんだと、そう思うんです」

「笑顔って……あの八将陣の?」

 明らかに敵意の籠ったエルニィの返答に、赤緒は首肯する。

「……はい。戦ったり、相手を傷つけたりしてへらへらしてるんじゃなくって、誰かと笑い合える未来を創る……そうできたら、理想なんじゃないでしょうか?」

「……理想語るのは勝手だけれどさ。相手は八将陣のリーダーだよ? いくらオリジナルじゃないとは言え頭目相手にこっちのにわか仕込みが通用するとも思えないけれど?」

「立花の言うほうが正しいな。柊、ちぃと甘過ぎなんじゃねぇのか?」

 ――分かっている。甘いとも、今がどんな状況なのか本当に理解しているのかと、詰め寄られてもおかしくはない。

「……それでも、私は……。あのシバさんが今の状況を黙っているとも思えない」

「まぁ、それは確かに。あっちのシバが強硬策に出れば、まずいのはボクらのほうだし。二人のシバが揃ってアンヘルを潰しにかかれば一発なのは事実なんだから。結局さ、不利なんだよ、圧倒的に。それが分かっていてもなお、だって言うんだよね? さつきも赤緒も」

 覚悟を問いただすような声音に、赤緒はさつきと視線を交わす。

 少しだけ躊躇ったように視線を伏せてから、さつきは強く頷いていた。

「……はい。私も赤緒さんと同じ……あの人を信じてみたい」

 二人分の決意に、エルニィは肩を竦める。

「よく分かった。要は馬鹿なんだ、二人とも。けれどもまぁ、それを嗤うことはできないね。少なくとも今は」

 エルニィが小型のパソコンを取り出して、何やらタイピングし始めたところで、南の声が入っていた。

「……赤緒さんもさつきちゃんも、それでいいのなら、私は元から考えていたAプランで進めようと思っているの」

「……Aプラン?」

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