さつきの文字はどれも達筆で、何だか味わい深さがあった。
「へぇー……さつきちゃん、文字綺麗なんだね」
「これでも書道も習っていましたので。それに、旅館で働いていると、お客様に宛てるのに書面を書くことも多かったですから。自然と強張った感じの文字になっちゃいましたね」
「偉いなぁ……。文字が綺麗なのってちょっと憧れるかも」
「いえ、そんな。私、文字って第一印象ですので、それだけはマシにしておこうって思っただけですから」
「うんうん、文字が第一印象かぁー……そう考えると綺麗な文字を書くことって大事なのかもね」
「なになにー? 赤緒とさつきってば、面白そうなことしてるー?」
居間に入るなり茶化してきたエルニィに赤緒はさつきの文字を指し示す。
「綺麗なんですよ、さつきちゃんの文字」
「へぇー。何だかよく分かんないや。文字ってさ、確かに見やすいのは当たり前だけれど、綺麗なことって意味あるの?」
「あ、ありますよ。だって、文字には人の品性が出るとかそういうじゃないですか」
「うーん……品性? 何だかそれもちょっと怪しいなぁ。じゃあさ、赤緒も何か書いてみてよ」
「私? 私はその……いえ、遠慮して……」
「逃げない。ほら、文字を書くんだってば」
さつきの隣で便箋を並べられ、赤緒は致し方なしに文字を書きつけるが、さつきとの差は一目瞭然である。
「下手だなぁ! 赤緒は!」
「うぅ……そんなおっきな声で言わなくっても……。そもそも、立花さんはどうなんですか?」
「ボク? ボクはそりゃー、研究者だもん。人に読ませる文字は大得意ー」
そうは言いつつ書きつけた文字は英語だったので、赤緒は混乱してしまう。
「あの、立花さん? 英語じゃよく分かんないですよ」
「えー。母国語じゃん」
「いや、それはその通りなんですけれど、この場合はちょっと違うじゃないですか」
「赤緒も、ワガママだなぁ。……でも、さつきの文字が綺麗ってのは分かるよ。日本語も読めるからね」
「あ、ありがとうございます。でも私なんて全然……」
謙遜するさつきへと、エルニィは、で、と言葉を継ぐ。
「それってどこに出す手紙? 何でさつきは手紙なんて書いてるの?」
分からずに突っ込んできたのか、と赤緒は肩透かしを食らいつつも、説明していた。
「お世話になっていた旅館の皆さんに手書きで現状を報告しているんですよ」
「へぇー……ってさつき。それって何枚書いてるの? 何だか多そうに見えるんだけれど」
「あっ、これで十枚目ですね。旅館の女将さんや他の従業員の方々にもお手紙を書いているので」
その枚数に二人して驚愕してしまう。
「じ、十枚? そんなに書いて、飽きないの?」
「さすがにそんなに書いているとは思わなかったけれど、書くことに困ったりしない?」
「いえ、別に……。むしろ書き足りないくらいなんです。それくらい、アンヘルで自分に起こっていることってその、想定していなくって。何だか毎日が目まぐるしくって新しいので、書いていて飽きることはないですね」
さつきの言葉にエルニィと赤緒は顔を見合わせて、心の底から感心してしまう。
「じゃあその、毎回手紙を十枚ほど?」
「はい。まぁ、これでも少なくなったほうで、本当に最初はお世話になった方々全員に差し出していたんですけれど、女将さんがそんな必要はないって言ってくれて。でも、用意しないのは悪いので、それで揃えた感じですね」
とんとん、とさつきは手紙の端を揃える。
手慣れた様子に自分たちはただただ圧倒されるのみだ。
「……さつきちゃん、もしかしたらお手紙の教室とか開けるんじゃない? 文字も綺麗だし、素質はあるよ」
「いえ、私はただ型式に沿った手紙を書いているだけですので、教室なんて大それたこと……」
「いや……これはひょっとすると……面白いかも」
「……立花さん? 今、面白いって言いました?」
「言ってない、言ってないってば。ところで、赤緒ー、この日本にも他人の書いた文章を直す、そうだ、添削だ。添削って文化があるみたいじゃん」
「あ、はい。ありますね……それとこれとの関係は……まさか……」
予測してみせた赤緒に、エルニィはにやりと笑う。
「そのまさかだったり。トーキョーアンヘル、全員集合ー! ちょっとこっち来てみてよー!」
例の如くエルニィの悪ふざけが始まるのだろう。
ため息をついた自分を他所に、当の中心軸たるさつきは少しうろたえていた。
「――ってわけで、手紙を書こう! 先生はさつきねー!」
簡素な説明が成され、卓を囲んだアンヘルメンバーのうち、最初に疑問の声を上げたのはメルJだ。
「待て、立花。何でそんなことをしなくてはならん。意味はあるのか?」
「意味なら大ありだよ。トーキョーアンヘルだって組織なんだ。そりゃー、誰かに手紙を書いたり、書かされたりってのはあるわけ。それが報告書だとか請求書だろうとね。そんな時に、文字が汚いと最悪じゃん」
「……私は文字が汚くなんてないぞ」
「そんなに言うんなら、さつき先生に頼んで見てもらおうよ。これでも書道の資格を持っているんでしょ?」
「た、立花さん。そんな大それたものじゃ……」
当惑するさつきに、ルイが挙手する。
「書くとして、じゃあ何を書くの? それが分からなければ意味がないでしょうに」
「そうだなぁ……お世話になっている人にさつきは書いていたんだよね?」
「あ、はい……。旅館の皆さんに……」
「じゃあみんな、お世話になっている人に向けて書こう。そうすればさつきの添削の手も入りやすいだろうし」
「ちょ……ちょっと立花さん! ……皆さん、困っていらっしゃるんじゃ?」
「大丈夫だってば。さつきはどしんと構えていなよ」
さつきの背中を大仰に叩いたエルニィに、赤緒は戸惑いがちに手を挙げる。
「そのぉー、言語は? 皆さん、母国語はまちまちだとは思うんですけれど……」
「今回は日本語で行こう。だってここは日本だし。書くとすれば、そうなってくるでしょ」
「へぇー、面白そうなことやってるじゃない。私も混ぜなさいよ、エルニィ」
南が台所から湯飲みを持ってきつつ割り込んできたのを、エルニィは肩を竦める。
「いいけれど、今回の先生はさつきだよ? 南、文字どう考えても汚さそうじゃん」
「むっ……失敬ねー、あんたも。これでも色んなところに手紙みたいなものだけは書くんだから、文字は嫌でも綺麗に……おっ、茶柱」
湯飲みを置いて、南も早速、ペンを手に取る。
これは逃れられそうにないな、と赤緒も便箋と睨めっこを始めていた。
「じゃあ、ひとまず開始ねー。ボクも書ーこうっと」
「……立花さんは誰に向けて書くんです?」
自分が書く際のヒントを得ようとしての発言であったが、彼女の言動はさっぱりしていた。
「人機の整備をしてくれたツッキーとシールに向けてかなぁ。あの二人、ちょいちょい日本の自衛隊にも技術提供をしてくれているし、何かとお世話になっているんだよね」
「ああ、確か月子さん……と、シールさんでしたっけ?」
「赤緒、お世話になった人のことを忘れちゃ駄目だよ。基本じゃんか」
「それはー……言い返せないですけれど」
「じゃ、とりあえず、私もお世話になっている人のところに書こうかしらね……。とは言え、お世話? お世話しているならよくあるんだけれど、お世話になっている、ってなると……うーん……」
早速頭を悩ませる南に、エルニィは軽く言いやる。
「南米のお歴々に書こうなんて思わないでいいんじゃない? 五郎さんとかでもお世話にはなっているでしょ」
「ああ、確かに。じゃあ私は五郎さんにでも書こうかしらね。えーっと、今日の晩御飯はエビフライがーっと……」
それは手紙ではなく単純な注文なのではないかと思ったが赤緒は触れないでおく。
「……でも、いざ手紙を書こうとすると、ちょっと大変ですよね。かしこまっちゃうって言うか」
「赤緒さん。何にも難しく考えないでいいんですよ。この人にちょっとお世話になっているなー、とか、そういうのでいいですので」
エルニィに誘導されながらもさつきも先生としての言動は確かで、彼女は全員の手紙を見渡しながら、ゆったりとしている。