JINKI 238 さつきとクマのぬいぐるみ

 さつきは誰も見ていないのを確認してから、裏声でクマのぬいぐるみの手を引っ張る。

『もう、立花さんにも困ったクマー……。これじゃあ、何も片付かないクマよ。さつきはどう思っているクマ?』

「うん、そうなんだよね。クマさんはさ、どうしたらいいと思う?」

『うーん、やっぱり一度、ちゃんと言ったほうがいいクマよ。もっとズバズバ言わないと伝わらないクマ』

「……だよね……じゃあ、次に立花さんに注意する時にはクマさんも一緒に――」

 そこまで口にしたところで、視線を感じてさつきは息を詰まらせる。

「……何やってるのよ、さつき」

「る、ルイさん……! えっとその……これは違って……」

 言い訳を講じる前にルイは訳知り顔になっていた。

「ふぅん、そういう趣味があるんだ?」

「いえ、だから違ってですね……!」

「……ま、さつきが子供っぽいのは前からでしょ。けれど、一人二役はかなり痛いから、おススメしないわよ」

 そう言いやってから、ルイはクマのぬいぐるみを引っ張る。

「あれ……? この子、ルイさんのクマさんなんですか?」

「……いえ、違うけれど。さつきのじゃないでしょ?」

「そ、それはそうですけれど……じゃあ立花さんの」

「あの自称天才がクマのぬいぐるみ? 笑わせるわ」

 となると、宙に浮いたクマのぬいぐるみの居場所にさつきは首を傾げていた。

「誰のなんでしょう? ……トーキョーアンヘルで私たちよりも年少って居ないですよね?」

「さぁ? ……って言うか、クマなんてどうでもいいでしょう? そこ、私、ファミコンがしたいんだけれど」

 テレビの前を指差され、さつきはそれを制していた。

「あっ……駄目ですよ、ルイさん。赤緒さんから、自分が居ない間は、ルイさんと立花さんにゲームさせないようにって言われてるんですから」

「……何よ、それ。赤緒のクセに生意気……って言うか、赤緒、居ないのね」

「……あ、そう言えばそうですよね。赤緒さんのでもないのか……」

 別段、赤緒を小馬鹿にしたわけでもないが、こういった可愛いものを愛でるのは後は赤緒くらいなものだろうと思い込んでいた節もある。

「……そのクマ、誰のものなの?」

「赤緒さん……が置いてったとか?」

「わざわざ居間に? ……考えづらいんじゃないの? 持っているとしても部屋でしょうに」

「……ですよね。わざわざクマのぬいぐるみなんて、居間に置いていたら分かんなくなっちゃいそうですし」

 そこいらに散乱しているエルニィの発明品やガラクタを見渡す。

 もし、このクマを見つけていなかったら同じように始末していたかもしれない。

「……じゃあ、このクマは誰のものかっていうのは今のところ」

「ええ、分かんないですよね……」

「じゃあ、聞いていきましょう」

 思わぬ提案にさつきは目を丸くする。

「えっ……聞くって誰に……」

「今、柊神社に居るメンバーに決まっているでしょう? もしかしたら思わぬ弱みを握れるチャンスかもしれないわ」

 後半が完全に本音なのだろうが、ルイは少し乗り気らしい。

 さつきも、クマの主を知りたいと思っていたところだ。

「……いいですけれど、クマさんが可哀想ですので……私が持っていていいですか?」

「別にいいわよ。さつきの一人二役もなかなかに傑作だったし」

「だ、誰にも言わないでくださいよね……?」

「さぁ、それはどうかしら?」

 どうやら既に弱みを握られている様子。

 さつきは、クマのぬいぐるみを抱いたまま、柊神社の格納庫へと歩み出ていた。

 自分たち以外なら、まずは、と目星をつけたのは整備士の三人である。

 格納庫では今も出撃に際しての準備が行われており、甲高い作業音が鳴り響いていた。

「うわっ……えっと……これって声かけていい感じじゃ……ないですよね?」

「別にいいんじゃないの。そこの、ポンコツ整備班」

 その言葉に聞こえているはずがないのに、シールたちが一斉に振り返る。

 眼力にさつきはたじろいでいた。

「……ルイ、今ポンコツ整備班って言ったか?」

「言ったのはさつきよ」

 すぐさま責任逃れをされ、さつきはクマを抱いたままぶんぶんと首を振る。

「ちょ、ちょっと、ルイさん……! そんなこと言ってませんよ!」

「……何だか嫌な発言を聞いた気がしたんだが……って、何だそれ。クマのぬいぐるみを持ち込んで人機の整備なんてできねぇぞ?」

「あっ……じゃあシールさんのじゃないんですね……」

「どういうこと? あっ、かわいい……」

 月子も合流するなり、クマのぬいぐるみの手を握ろうとして機械油まみれなことに気付いて手を引っ込めていた。

「どうなさいました? 先輩方」

「あっ、秋ちゃん……。この子、もしかして秋ちゃんの?」

 月子が尋ねると、秋は帽子の鍔を少しだけ持ち上げて凝視する。

 思えば、秋とここまでの距離に迫ったのは初めてな気がして、さつきは少しだけ強張っていた。

「……いえ。私はこういうの、自分の部屋以外には持っていませんので」

「ってか、少し考えりゃ分かるだろー? オレらがクマのぬいぐるみなんて大事にしておくタマかよ」

 シールの発言に月子は少しだけそわそわとする。

「えー、そうかなぁ……? 私は結構好きだけれど……って言うかシールちゃんもよく分かんないぬいぐるみ持ってるじゃない」

「あっ、こら月子! 言っていいことと悪いことがあるだろ! ……あと、あれはよく分かんないじゃなくって、しっかり名前があってだな……」

「名前なんて付けてるのね」

 その言葉を聞き逃さなかったルイに、シールが取り繕う。

「いや、違って……。ぬ、ぬいぐるみなんて、女々しいもん、持つわけねぇよなぁ! 月子、秋!」

「……うーん、そうかなぁ。夜な夜なかわいい声が聞こえてくるような……」

「月子……っ! 何だって今日は味方じゃないんだよ……」

 どうやらシールがぬいぐるみをコレクションしていることが知れたものの、このクマの持ち主ではなさそうだ。

「……えっと……じゃあ、この子は見覚えないですか?」

「……ねぇよ。うちの子じゃねぇ」

「シールちゃん、うちの子呼ばわりなんだ」

「ああっ、もう! 失言ばっかしちまう! 今日はこれくらいにといてやる! 覚えておけよ、さつきにルイ!」

 捨て台詞を吐いて、整備に戻っていくシールの背中に、怒らせてしまっただろうかと懸念を浮かべていると、月子がしっかりとフォローしていた。

「大丈夫だから。さつきちゃん、心配はしないで。シールちゃんあれで意外と乙女だから、たまにからかうと面白くって。でも……この子は見たことないかな。私も持ってないし、秋ちゃんは?」

「あ、私も持ってないです……」

「うーん……だとすると赤緒さん、とか?」

「あっ、でも今、赤緒さんは留守で……」

「留守中に見つけたのよ。居間に放っておかれていたのを、さつきがね」

 となると、と月子も考え込む。

「って言うと……エルニィ……がこんなの持っているとは思えないし……。でも居間ってことは、エルニィの発明品とかと一緒に置かれていたのよね?」

「です、ね……。だから最初は立花さんのかな、って思ったんですけれど……」

「自称天才がこんなのを後生大事に持っていたら、鼻で笑ってやるわ」

 ルイの発言から窺えるのは、平時のエルニィがクマのぬいぐるみなんて持っているはずがないと言う事実である。

「とは言っても……アンヘルメンバーで持っていそうな人って言うと、限られてくるよね……?」

「もう一度、柊神社に戻ったらどうだ? 落とし主が探しに来ているかもだぜ?」

 タラップからこちらに向けて助言をしたシールに対し、さつきもあっと気付く。

「そうかも……。ありがとうございます! シールさん、それに月子さんに秋さんも」

「礼には及ばねぇよ。……ぬいぐるみの落とし主としちゃあ気が気じゃないだろうからな」

「シールちゃん、やっぱりこういうの好きだもんね。一番に持ち主のことを考えちゃう」

「うっせぇ……。月子、あとで覚えてろよ……」

「怖いなぁ、もう。あ、さつきちゃんとルイちゃんは気にしなくっていいからね」

 何だか、シールほどの傑物を手玉に転がしている月子のほうが、今は少しだけ怖い――とは言い出せずに曖昧な笑みで格納庫を後にしていた。

「……けれど、どうしたんだろ……。クマさんも可哀想だし……」

「さっきみたいに一人二役をすれば? クマのほうから言い出すかも」

「もうっ、ルイさん、分かっていて言ってますよね……」

「何のことだか」

 ぷいっとそっぽを向いたルイだが、考えは同じのようで居間へと戻っていた。

 果たして――そこに居たのは。

「……あれ? ルイにさつきちゃんじゃないの? どうしたの、二人揃って? 訓練帰り?」

「南さん……ってことは……」

 落とし主は慌てているかもしれない、という想定にさつきが戸惑っているとルイは空気を読まずに尋ねる。

「……南、このクマ、南の?」

「ルイさんっ! ……世の中には、触れちゃいけないこともあって……」

 大慌てでルイの口を塞ごうとするが、その時には南は首をひねっていた。

「いいえ……私にこんな趣味ないの、あんたが一番知ってるじゃないの。それにしても……さつきちゃんのでもなく?」

 よかった、と内心安堵する。

 もし南の持ち物だったら、少しだけ見る目が変わってしまいそうであった。

「ええ、そうなんです。けれど居間に何の変哲もなく置いてあったので……落し物かな、って」

「うーん……言っておくけれど落とし主なんて全く分かんないわよ? 私だって、こういうのって持ち歩かないし。おっ、茶柱」

 湯飲みを覗き込んだ南に、でしょうね、とルイは頷く。

「南が持っているわけないし、それに南がこういうのを持ち出すとすれば、爆弾か何かでしょうから、今にさつきの間抜け面が爆発するわ」

「ば、爆弾……」

 思わず取り落としかけてさつきは、クマのぬいぐるみを抱え込む。

「ルイ! 冗談でもそんなこと言わないでよ! ……ったく、私のイメージってものもあるんだからね。それに、クマのぬいぐるみに爆弾なんて仕込むわけないじゃないの」

「他のならあるって言い草ね」

「……あのねぇ……まぁ、とはいえ、よ? 赤緒さんとかじゃないの? こういうのは」

「あ、それが……赤緒さんが持ち主にしてはちょっと不自然というか……」

「まず、これだけ散らかっている中に赤緒が置いておくはずがないわね」

 エルニィの発明品とガラクタの山の中に、ふと置いてあったのだ。

 赤緒ならばこんな場所に置くはずがない。

「確かに、それは言えてるかも……。じゃあ、誰の? あっ、月子さんたちとか?」

「それが、お三方にはもう聞いたんですけれど、どうやら持ち物じゃないみたいです」

「ま、うち一名は個人的にぬいぐるみを所蔵していることは分かったけれどね。これで少しは脅し……こほん、交渉材料にできるわ」

「ルイさん、今、脅しって言いました?」

「言ってない、言ってないわよ」

 嘆息をつきつつ、さつきは今一度、ぬいぐるみへと視線を落とす。

「どうしましょう……。このまま持ち主が見つからないのは……ちょっと可哀想……」

「そうねぇ……。あ、でもまだ帰っていないメンバーが居るじゃないの。その子って可能性は?」

「帰っていないアンヘルメンバーって言うと……」

 そこで玄関が開いたのを感じ取り、さつきとルイは顔を見合わせて駆け出していた。

「むっ……何だ、黄坂ルイにさつき……二人してわざわざ……」

「まさか……」

 それはさすがに、と思ったところで、ルイが指差す。

「なるほど。あんたってわけね、メルJ」

 その言葉に帰宅したばかりのメルJは当惑したようであった。

「……どういうことだ?」

「あれ? じゃあ、ヴァネットさんでもない?」

「何のことなんだ? ……クマのぬいぐるみか。それはさつきのなのか?」

「い、今それを探っていたところなんです……けれど、ヴァネットさんが落とし主じゃないんですか?」

 その問いかけにメルJは不服そうに応じていた。

「……私がクマのぬいぐるみを所蔵しているとでも?」

「見えないわね、確かに」

 ルイの即座の返答に、メルJはため息を漏らす。

「……だろう? それに、このぬいぐるみはどこにあったんだ? 私の部屋にあったわけではあるまい」

「あっ、居間に……」

「だったら立花じゃないのか? いや……立花がこんなものを持っているはずもない、か……」

 メルJでもその可能性には思い至ったらしく、思案するように顎に手を添えていた。

「それが分かんなくって……。多分、アンヘルメンバーの私物だとは思うんですけれど……」

「赤緒は? あいつなら持っていても可笑しくはないだろう?」

「状況証拠がそれっぽくないのよね……」

 深刻げに考えを巡らせるルイに、さつきとメルJは顔を見合わせる。

「……じゃあ誰のものか分からんのを、さつきは持っているわけか」

「あ、はい……。何だかそう言われると悪い気がしちゃいますけれど」

 ふと、メルJの視線が険しくなったのを感じ取って、さつきは後ずさる。

 何か、粗相をしただろうかと困惑し切っていると、彼女はぬいぐるみへと顔を近づけさせていた。

「そ、その……ヴァネットさん……近いです」

「むっ、それはすまない。……可愛いな、と思ってな」

「か、可愛い……ですか? いえ、そんなことを言われると……」

「お前じゃないぞ? このクマだ」

 何だかとんでもない早とちりをした気分で、さつきは顔が紅潮する。

「……いや、あの、今のは違って……」

「違ってないわよ、さつき。認めなさい」

 ルイに言われてしまうと、さすがに逃げ場がなくってさつきは羞恥の念でいっぱいになっていた。

「……しかし、こうも思う。奇妙だな、と」

「き、奇妙ですか?」

 おおよそ、このぬいぐるみに相応しくない評価に、さつきは戸惑う。

「ああ、可愛らしいものを収集する……と言うのは日本でもよく見られる価値観だが……何だかこのクマのぬいぐるみは少し違う気がしてな。少し……いいか?」

 メルJに尋ねられ、さつきはおずおずとぬいぐるみを差し出す。

 まず、彼女はぬいぐるみをひっくり返し、そうしてから何度か揺らしていた。

「あの……何か……」

「ああ、いや。……どうやら懸念していたような代物ではなさそうだ」

「……懸念って……」

「欧米ではこう言ったものに特定のものを仕込んで取引する、と言う方法もある。いわゆる裏取引に使われる場合だ。まさか、そう言ったものではないか、と疑ってな」

「う、裏取引……?」

 その物々しさにさつきは硬直していると、その手へとぬいぐるみが返される。

「だが……どうやら違うらしい。爆発物や危険物である感じはしないし、取引に使われるものであるなら、今ので分かる。これは真っ当な……ただのぬいぐるみだ」

 よかった、とさつきは再三、胸を撫で下ろしていた。

 南のものであるのも想定外ならば、裏取引の代物などと言われればもっとである。

「けれど……じゃああんたの私物でもないってわけね、メルJ」

「……ここで偽ったところで仕方ないだろう。私には覚えがないが……じゃあ誰のものだ?」

「あっ、メルJ、帰ってたのね。あんたも少しは休みなさいよー」

 声をかけた南に、メルJの注意が向く。

「……まさか……」

「あ、それはないみたいです」

 即答すると、メルJは安堵の息をつく。

「……そうか。もし黄坂南のだったら、ひっくり返る自信があったのだが」

「……あんたたち、相応に失礼ねぇ……。って言うか、そもそも別に、私がクマのぬいぐるみを持っていたって別に可笑しくないでしょうに。私も女子よ、女子」

「女子、ね。南みたいな人間が言うと自然と笑えるわ」

「ルイ! あんたねぇ……相変わらず失礼なことを……!」

「で、でもですよ? 南さんでも、ヴァネットさんでもないとなると……」

 現状、アンヘルメンバーの所有物ではないような気がしていた。

 かと言って柊神社へと出入りする人間はこの程度で絞れたはずだ。

「……ってなると……うーん、大穴でエルニィ?」

「じゃあ、私は単勝で赤緒」

「それなら……私は三連複で立花、赤緒、それに……まぁ、第三者、か?」

「……勝手に賭け事にしないでくださいよ。って言うか、第三者って言う時点で賭けが成立していないじゃないですか」

 呆れ返る中で、さつきは今一度、クマのぬいぐるみと向き合う。

「……もし……落とし主が現れなかったら……」

「その時はさつきが所有者でいいんじゃないの?」

「そうねぇ……まぁ、多分赤緒さんかエルニィのどっちかだと思うんだけれど……」

「私も、自信がないな。一体誰のものだって言うんだ……?」

 全員が首を傾げる中で、クマのぬいぐるみの縫い目に沿って、ジッパーが備え付けられているのを今になって発見していた。

「……あれ? ここ、チャックになっていません?」

「ああ、それには気づいていたが、もう見た後なのかと思って見過ごしたところなんだが……何だ、まだ分かっていなかったのか?」

 先ほど、メルJの述べた裏取引と言う言葉が脳裏を掠め、さつきはこわごわとそのジッパーを開く。

 ちょうどクマの下腹部に沿わせて開かれたポケットの中に入っていたのは、僅かな硬貨と紙幣一枚であった。

「……千円札と……三十二円?」

「どういうこと……なのかしらね?」

 南へと問いかけるも、彼女も分かっていない様子であった。

 ルイも肩を竦め、メルJも不可解な事態に思案する。

 ――と、そこで玄関が開いていた。

「おう、何だ、てめぇら。雁首揃えて、玄関先で……」

「あっ、両。あんた、何やってんのよ」

 両兵は腹部を押さえて首をひねる。

「いや、ちょっと小腹が空いたもんだから、こっちに顔出したところだ。今日の晩飯は何……って、それ」

「え、これ……?」

 指差されたクマのぬいぐるみに、さつきは両兵と視線を合わせる。

「オレの財布じゃねぇの」

「えっ……サイフ……?」

 当惑していると、両兵は自分の手にあった金額を見合わせ、おお、と首肯する。

「やっぱりだ。金額も確か……ちょうど千三十二円だろ? オレの一応の全財産だな」

「……どういう……」

「ちょっと、両……説明は、してくれるんでしょうね?」

 全員の胡乱そうな視線を受けてか、両兵は僅かにうろたえていた。

「……何だよ。別にやましい金じゃないぜ? ……この間、財布を壊しちまってな。で、ありあわせの物もねぇし、代わりになるものでもねぇかな、って橋の下にあったそいつを拾ったって寸法だよ。……揃いも揃って、奇妙そうな顔をしやがって」

「……ってことは、このぬいぐるみの持ち主って……」

「えっと……お兄ちゃん……?」

「だからそう言ってるじゃねぇか。この間、こっちに来た時に、落としたんだろうな。で、そのまま放置されていたと」

「……そりゃー、見つかんないわけだわ、さつきちゃん」

「……けれどでも……お兄ちゃん、この子……その……」

「うん? 何だ、さつき。そいつ、欲しいのか?」

「あ、別にそういうんじゃなくって……」

 しかし、こちらが否定する前に両兵はぽんとクマのぬいぐるみの頭に手を置く。

「……じゃあ、やるよ。ちょうど、今日の賭けで財布代わりの巾着を貰ってな。クマのぬいぐるみは場所も取るし、忘れちまってたってことは、興味もねぇんだろうからな。あ、千三十二円はオレのだかンな」

「……誰も取りゃしないって。……けれど、意外な結末ね……」

 さつきは手の中にあるぬいぐるみを抱え、落とし主である両兵へと問いかける。

「……ねぇ、おにい……小河原さん。この子……大切?」

 それだけは聞いておかなければいけないだろう。

 ただの財布として使っていただけなのか、それとも――と言ったところは。

 両兵は迷いもせずに即答していた。

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