JINKI 239 届けたい明日のために

「いえ、けれど意外……ではありましたね。水無瀬さんに、柿沼さんも。お二方は南米でまだ調停が成されていないルエパの情勢を待っての来日と窺っていましたので」

「ほっほ、気を遣うものでもないさ。それに、私たちの不肖の弟子が待っているんだろう? なら、いつだって来日してもよかったんだが……少しばかり帰りが早かったのだと言われてしまいそうだね」

「あなたは相変わらずですね、春さん」

 どこか飄々としている柿沼春へと、水無瀬蛍は警戒を強めながら現状の海域の状況を尋ねていた。

「……キョムが仕掛けて来ないとも限りません。載せているのは、何せ……」

「新型の血塊炉を六基分、仕掛けて来ないと考えるほうがおかしいほどです。だからこそ、私が先遣隊としてこの船に送り込まれたのもありますし」

「……黄坂南さん。一つだけ。……月子とシールと、それに秋たちは楽しそうにやっているのかしら」

「ええ、それはもう。毎日、何かと騒がしいことですよ」

 南はそう答えていたが、水無瀬の顔色には少しばかりの憔悴と、そして懸念が浮かんでいる。

「……考えていることは分かります。早い来日に弟子たちの安否。心配しないことのほうが少ないでしょうし」

「……けれど、あなたは南米で会った時よりも随分と強かになったのね。強く……成ったと思うわ」

「よしてくださいって! おべっかでも言われるのは疲れちゃいますし。まぁ、それに……色々とあったもんで。お二方に再会できただけでも幸運だと思うべきなんでしょうね」

「南米では未だにレジスタンスとキョムの対立、それだけじゃない。ルエパとウリマンの領土の取り合いもある。……正直言って、ガキの喧嘩だけれどね。私たちにとってはなかなか、そのしがらみからは逃れられないもんさ」

「……お二方を密航させるのには忍びないです。この船も、急きょ用意したもの。まことに……申し訳が……」

 頭を下げようとした自分へと水無瀬は言いやる。

「やめてください、黄坂さん。あなたはもっと……気高くあるべきでしょう? それに、トーキョーアンヘルを率いるリーダーなんですから。毅然としなさい」

「そう言ってもらえるとありがたいんですけれど……これは示しがつかないと言う奴なので。――守らせてもらいます、お二人の命。そして、東京で待つアンヘルの、彼女たちへの命脈たる血塊炉を」

「ほっほ。ちょっと見ない間に成長したじゃないか。回収部隊ヘブンズを率いていた胆力は伊達じゃないね」

 柿沼の称賛に、南は頬を掻く。

「……ガラじゃないんですけれどね。まぁ、それもこれも。慣れって怖いもんですよ。あの時は……私は一個だって、未来を描けていなかったんです。けれど、今ならば言える。血塊炉を海を超えて届けて、そしてお二人のトーキョーアンヘルへの合流。どれもこれも急務なのだと」

「生き急ぐでもないが、それにしたところで、恐れ入る。私たちを招いたのは、何も伊達や酔狂じゃないんだろう?」

「ええ。私たちがキョムへと打って出るために、お二人の知識は必要不可欠と判断し、私自ら、こうして護衛を仰せつかりました。……って、こういうカタいのもらしくないんですけれど……」

「いえ、あなたにしてみれば充分でしょう。海を渡っての戦力譲渡は条約で阻まれている以上、今回仕掛けてくるのはキョムだけではない可能性もあります」

 そう――アンヘルメンバーを海外に無断で渡航させるのには何かと不便が勝る。

 その上、人機まで投入しての即時戦力とするのには、無数の書類と許諾が必須だ。

 手間を惜しんで、今は水無瀬と柿沼を招きたかったのは、この二人でさえも重要人物だからに他ならない。

「……米国との渡り……。アンヘル所属の技術者は買い叩かれる可能性があります。それもこれも、未だに返還されない《シュナイガートウジャ》と、そしてここ数週間、エルニィが解読した暗号文も……」

「米国主導の、アンヘルに勝る実行部隊の設立。何も、キョム相手に今まで静観を貫いてきたのは、彼の国だって考えがあってのこと。南米カラカスを焦土に変えた責任の追及と、そしてロストライフ現象の阻止。どれもこれも、アンヘルとレジスタンスの抵抗にいつまでも任せているはずもないでしょうしね」

「難しいことは分からんよ、私は。けれど、一つだけ。経験則で言えることがあるとすれば、黄坂南、あんたは相当な傑物だよ。でもなければ、ここまで私らを呼んでくるなんてことは思いついても実行には移せないからねぇ」

 柿沼は船の内部コンテナへと視線を移していた。

 血塊炉の移送、そして新型機への組み込みには、既に来日しているメカニックだけではどうしても足りないのだ。

 加えて、ルエパアンヘル本部との連絡一つだって難しいところがある。

 ロストライフ現象を利用したいのは、何もキョムだけではない。

 世界中で散発的に巻き起こっているロストライフに紛れさせての作戦行動――どうにもきな臭いのはエルニィの情報からしても明らかだ。

 南は、この作戦行動を助言したエルニィとのやり取りを思い返していた。

「――立花さん! 駄目ですよ! 一日中、パソコンをにらめっこなんて! 目が悪くなっちゃいますよ!」

 赤緒の注意が飛ぶのもどこか既に日常の一部で、南は軒先で湯飲みへと視線を落としていた。

「ああ、もうっ……赤緒ってば本当にオカンなんだから。今は必要なのー。ちょっとくらいいいじゃんかぁ」

「駄目ですっ! ゲームのし過ぎもよくないんですよ? ゲームは一日――」

「一時間、でしょ? 本当、心配性だなぁ。別にボクは眼鏡になってもいいもんねぇ」

「……もう、ヘソ曲げちゃうんですもん。……南さん?」

 こちらに気付いた赤緒に、南は視線を振り向ける。

「……ええ、手はず通りに。お願いします。どうしたの? 赤緒さん」

「いえ……携帯……買い替えたんですか?」

「ああ、これ? エルニィの特注で、一応海外とかにかけても大丈夫な奴なんだけれど」

 この時代にしてはシンプルに纏まった携帯電話を翳すと、赤緒は少しだけむくれていた。

「……立花さん、私たちに携帯電話はまだ早い! って言っていませんでしたっけ?」

「そりゃー、そうでしょ。赤緒たちにはまだ早いよ。けど、南は必要なんだからしょーがないでしょー」

「まぁまぁ、実際、私もこればっかりはエルニィを責められないし。怒らないであげて、赤緒さん」

「……南さんがそう言うんなら、いいですけれどぉ……」

「不満そうじゃん。……分かったよ、携帯に関してはまた、何かと要りようだろうし、そのうち、ね」

「……別に、欲しいとかそう言うんじゃないんですよ? ただ、その……納得いかなくって……」

「赤緒たちはすぐ使い過ぎちゃうからねぇ。その辺も加味して、今度作るのはロック機能でも付けておこうかな」

「なっ……私たちが使い過ぎちゃってるみたいじゃないですか、それ」

「そうじゃん? ま、南もほどほどにするし、それに赤緒たちに任せたら請求がとんでもない額が来ちゃうし。次はもうちょっとうまくやろっかな」

 赤緒は以前の携帯電話を取り上げられたのがどうにも気がかりらしく、エルニィへとしつこく約束を取り付ける。

「……絶対ですよ? 絶対」

「分かってるってば。赤緒も心配性だなぁ」

 ぷんすかしながら、赤緒はこちらへと茶菓子を差し出す。

「その……何かあったんですか?」

 鋭いのか、それともあまりにも自分の顔に出ていたせいか。いずれにせよ、南は携帯の電源を切って尋ね返す。

「分かっちゃう? ……まぁねぇ。ちょーっと厄介ごとよ。いつも通りの」

「……その、私たちも必要なこと、なんですよね?」

「……参ったな。私、そんなに分かりやすかったっけ?」

「南は口調でふざけている時とそうじゃない時が分かっちゃうから、まだ甘いよねぇ」

 タイピングの手を休めないエルニィに、自分は言いやっていた。

「そういうあんたこそ。……まぁ、公私を分けるのはいい傾向だとは思うけれど」

「……そ、その……っ! 私もできることなら――」

 そこから先を、南はやんわりと制していた。

「まぁまぁ。赤緒さんが必要な時にはきっちり言うから。その時まで、とりあえず身体を休めてちょうだい。休暇は大事よ?」

「で、でも……その、相談は、してくださいね……? 南さんと立花さんだけで完結って言うのはその……何て言うか、のけ者にされてるみたいで……」

「赤緒は馬鹿だなぁー。必要なら言うに決まってるじゃん。それに、休めって言われてるんだから、今ばっかりは身体を休めればいいのに」

「ば、馬鹿って何ですか……。もうっ。立花さんのお茶菓子、持ってっちゃいますよ」

「あー、それは困るかも。頭脳労働に甘いものは必須だからねー」

「それともう一つ。……居間で寝転がってお茶菓子を食べるのは行儀が悪いですよっ」

 赤緒の注意を受けつつ、涼しげに返したエルニィへと、南は湯飲みを覗き込んで尋ねる。「……そんなに分かりやすかった?」

「何だかんだで意思疎通ができているって証でしょ、それも。赤緒だって、もう立派に操主なんだ。遠ざけることなんてできないよ」

 エルニィの物言いもさもありなん。

 南は湯飲みを覗き込んで、茶柱が立っていないことに気づく。

「……運が悪いわねぇ」

「そう毎回、上手く行くわけもないってね。……標的の中枢まで潜り込んだ」

「……こののどかな昼下がりに、ハッキングと渡りづけって言うのは、どうにも締まらないけれど……」

「けれど、必要だからね。っと、危ない危ない。防壁迷路に阻止されるところだったけれど、これで……!」

 エンターキーを押したエルニィの筐体を、南は覗き込む。

「……あっちは勘付いているの?」

「どうだろ……。わざと泳がせて、って言う線も捨てられないし。けれど、結構上手い具合に潜り込めたはずだよ。ルエパアンヘルにしてみれば、今のメインに近い二人を呼ぶって言うのは気が引けるけれどね」

「……柿沼春さんと、水無瀬蛍さん……。二人の密航と、そして新型の血塊炉の確保……。私たちも、これで立派な国際犯罪者ねぇ……」

「今さらじゃん? 人機を何機も保有してるんだ、ボクらは然るべきところに出れば、とっくの昔にお縄だよ」

 エルニィの言葉を聞き留めながら、南は複雑な抗生防壁の先にある、情報網を仕入れていた。

「……やっぱり。米国が独自に血続を調査し、そして組織している痕跡があるみたい。これって、やっぱり……」

「アンヘルに代わる組織の設立、か。どれもこれも、夢物語とも言えなくなってきているしなぁ。まぁ、トーキョーだけに戦力を拡充すれば自然と出てくる答えではあるよね」

 組織名を、南は諳んじる。

「……グレンデル隊……まだ設立間もない感じだけれど、脅威になってくる可能性はあるわね。私たちにしてみれば、アンヘルに匹敵する組織を作られるだけでも、それは面倒だってのに」

「構成員も全員が血続ってわけじゃないけれど、人機を操縦できるだけでも相当な手練れだろうし、事前情報だけでもキャッチできたのは大きいよ。これから備えられる。いやはや、参ったもんだね」

 エルニィはタイピングしながら、今も傍受される危険性と隣り合わせな現状を憂う。

「……そう言えば、ルエパの人たちの保護には、南が出るんだっけ? いやはや、厄介な仕事をやるもんだね」

「……しょうがないでしょう。彼の国との防衛戦略上、操主として登録されている赤緒さんたちを日本海から先には出せないのよ。何が待っていないとも限らないし、その上で、後から追及されても惜しくない戦力って言えば、私みたいなもんよ」

「苦労人だねぇ、南も。……けれど、いいの? もし秘匿戦力として必要なら、ブロッケンで……」

「駄目よ、エルニィ。あんたはトーキョーアンヘルの要。下手な横槍を入れられたくないの」

「ちぇっ……バレてたかぁ……。けれど、本当に大丈夫? 南だって、まぁまぁブランクあるでしょ?」

「そこは心配しないでちょうだい。頼りになる下操主を、連れて行くから」

「ルイ……は駄目だよね。もう向こうにも知られているだろうし、あっちで活動していた頃の情報が残ってるから。じゃあ、誰なのさ?」

「……まぁ見てなさい。これくらいの窮地、乗り越えられなくって何がトーキョーアンヘルの責任者よ。馬鹿みたいに大きな足枷だけじゃないってところ、見せてあげるから」

「いいけれどさぁ……南、これだけは守ってよ?」

「何なのよ。言っておくけれど、お土産はないわよ? 今回はシークレットミッションなんだから」

「……どこまでボクを卑しいと思ってるのさ。そうじゃなくって、命を捨てる気にはならないでってこと。ボクだって南のこと、それなりに大事に思ってるんだし」

 南はエルニィと視線を交わさずに、その言葉に片手を上げる。

「あんたが他人の心配に足を取られるようなタイプじゃないってのは分かってるつもり。だからこそ、言わせてよ。――この黄坂南が簡単に死ぬと思う?」

「思わないね。だって南じゃん?」

 そう言ったところの認識だけは同じのようで、南はエルニィの肩を叩く。

「そういうこと。ちゃんとお膳立てはお願いね? エルニィ」

「任せておいてよ。……って、ん? けれど、トーキョーアンヘル所属機は全部登録されちゃってるし、どうするのさ?」

「まぁまぁ。そこは法の抜け目を、こう、ちょちょいのちょい、っと……」

 エルニィはこちらの言い草に、ふぅんと訳知り顔だ。

「……南ってば、やっぱり悪いなぁ……。どこかで足をすくわれるよ?」

「あんたには言われたくないわね。じゃ、頼んだわよ。トーキョーアンヘルのメカニックとして、期待してるんだからね」

「――とは言ったものの。ここまで劣悪な船だとは思わなかったわねぇ……」

 密航には打ってつけの航路だが、普段の不摂生が祟ってか、少しだけ気分が悪い。

 口元を押さえていると、声が響いていた。

「おい、黄坂。この船、とんだズタボロだ。強襲されたら目も当てられんぞ?」

「……何よぅ。ちょっとは船の中、見てきたんでしょうね? 両」

 両兵は何でもないようにして、座り込んでいる自分の前へと腰を下ろす。

「ああ、まぁな。船員に怪しい連中は居ねぇ。来るとすりゃ……」

「空、か。困った話よね。血塊炉とメカニックを運んでくるだけだってのに」

「……それが密航って奴ならなおさらだろうさ。お前、大丈夫なのか?」

「何がよ。確かに船酔いしそうだけれど、これくらい。ヘブンズで鍛えた平衡感覚があれば、なんてことないわよ」

「……そうじゃねぇよ。いいのかよ。少しは無理を通せば、柊たちくらいは呼べただろうが。何だって自分一人で抱え込んでンだよ」

 両兵には下手な隠し立ても通用しないか、と南は舷窓へと視線を向けていた。

「……赤緒さんたちにはね、こういう、ヨゴレみたいなの、やらせたくないのよ。分かるでしょう?」

「血塊炉を運ぶのだって、今は世界から隠し通さなくっちゃならんとは、随分な身分だな」

「……そういうの、あんたなら察しはつくはずよ。何も、敵はキョムだけじゃない」

「ああ、米国辺りがきな臭ぇってのはマジだろうさ。立花の言っていたグレンデル隊ってのも、馬鹿にゃできねぇ。だがな、別に、てめぇがそれを抱え込んで、それで死ぬ気になるってのは理屈が通らねぇと思ってな」

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