「……理屈なんて。ないも同然でしょう? いちいちそんなこと気に留めていたら、この職務についているのは私じゃないわよ」
「……だな。オレの知ってる黄坂南なら、意地でも喰らい付いているところだろうさ」
「……どういう風に映ってるのかしらね、私も。言っておくけれど、あんたがトチったら全部お終いなんだから。慣れない機体だからって油断しないでよね」
「するかよ、ンなもん。……あのばあさん二人と血塊炉六基。これで形勢逆転とまではいかんだろうがな」
その辺りは両兵も分かっているはずなのだ。
血塊炉がたとえ無尽蔵にあったとしても、使い方次第。
キョムに勝てる算段があるわけでもなし。
その上、グレンデル隊と会敵する可能性もあるとなれば胸中穏やかでもないだろう。
「……両。あんたは案外、落ち着いているのね」
「気もそぞろじゃ、勝てるもんも勝てねぇだろうが。その点、オレはてめぇのほうがよっぽどだとは思っていたがな」
「……私だって、弱気になる時の一回や二回はあるわよ。成功するか分からない作戦に、誰かを巻き込むことへの忌避感くらいは、ね」
一転して沈黙が流れる。
重々しいほどの静寂を両兵とこうして顔を突き合わせて過ごすのは久しぶりで、南は少しだけ狼狽してしまう。
「……両、面白いこと言いなさいよ」
「ああ? 何だよ、その無茶振り……ふざけんな」
「あんたってばそういう……! ちょっとは察しなさいっての」
「何を察しろって言うんだよ。……つーか、オレだってどうにかして欲しいくらいだぜ。ズタボロの船に、新型血塊炉を六基に、ばあさん二人を絶対に守れって言う無茶なオーダーなんだ。こっちだってちぃとは気ぃ張り詰めてんだよ」
「……そうは見えないけれどね……」
「……黄坂。一端に考えてみろよ。これは一応、トーキョーアンヘルの生命線になるんだ。気を張らずにここまでぼろい船で航海できるってのも変っちゃ変だろうが」
それもそうか。
密航している時点でどこから撃たれても文句は言えないのに、自分はその道に両兵を誘い込んでいるのだ。
その後ろめたさに引かれそうになった瞬間である。
海域を遮った火線に、船が足を止める。
急速に船体が傾き、思わず南は両兵に寄りかかる形となる。
「……ったく、ゆっくりと話しているような時間もねぇな!」
想定外に早鐘を打つ鼓動を感じながら、言葉を探ろうとしていると両兵は手を引く。
「……何呆けた顔してンだよ。行くぞ」
「……そうよね。私も何を……考えてんだか」
脳裏を掠めた淡い考えを打ち切り、南は甲板へと駆け出していた。
ビニールシートをかけられた機体へと潜り込み、狭いコックピット内でインジケーターを調整する。
「システムオールグリーン、よし。――《ナナツーマジロ》、出るぞー!」
起き上がった矮躯の人機は小型のキャノピー機構を有していたが、ほとんど剥き出しの装甲の継ぎ目から腕を掲げる。
「海上に仕掛けてきたのは……不幸中の幸いかしらね。《バーゴイル》が一機……!」
「オレの知ってる黄坂南なら、ここで腰が引けただとか言うわけねぇよな?」
コックピットで覚悟の呼気を一拍、浮かべた後に南は上操主席で《ナナツーマジロ》の両腕を突き合わせる。
「当たり前じゃない! 私はいつだって――無茶無謀が似合う女なのよ! それくらい分かってよね! 両!」
「……聞きてぇ言葉が聞けて安心したぜ。じゃあまぁ……ぶちかますとするか!」
船体を狙おうとした《バーゴイル》の射線を遮るように《ナナツーマジロ》は跳躍する。
それと同時に特殊機構を発現させていた。
《ナナツーマジロ》はプレッシャーライフルの光条を受ける直前に機体を回転させ、その火線を跳ね返す。
「見たか! これがエルニィが一晩で仕上げたって言う、《ナナツーマジロ》のRシールド装甲ッ!」
「言えた義理じゃねぇが、一晩でやったにしちゃあ、上出来だぜ、立花の仕事もよ」
敵は跳ね返されたプレッシャーの一撃を肩に受けて後退しようとする。
それを《ナナツーマジロ》は片腕に装備した銃火器を照準させていた。
「逃がすわけないでしょう。何より! 私たちに仕掛けたんだから、覚悟の一つくらいはしてるわよねぇ……ッ!」
「怖ぇなぁ。てめぇは昔っからマジだからそこんところ危ういんだよ」
「おっ黙らっしゃい! 《ナナツーマジロ》、追撃を仕掛けるわよ!」
しかし、その直前で《ナナツーマジロ》の血塊炉の灯火が掻き消えていた。
「……あっ、やべぇ。ガス欠か。黄坂、下は海だぜ」
「えっ、嘘……」
そう気づいた時には、《ナナツーマジロ》の機体は海面へと没していた。
そのまま沈没していくかに思われた瞬間、ワイヤーに絡め取られ、機体が引き上げられる。
『いやぁ、ギリギリ日本海に入っていてよかったね!』
目を凝らせば、《ビッグナナツー》で近海まで至っている《ブロッケントウジャ》のシークレットアームに機体が保持されていた。
「……マジにギリギリだったな。これも想定内かよ……」
「まさか。死ぬかと思ったわよ……」
《ビッグナナツー》が遠く長い汽笛を上げて、甲板上で展開する《モリビト2号》を含むトーキョーアンヘルの応戦銃撃が《バーゴイル》を遠ざけて行く。
ひとまず距離が空いたのを確認してから、南はようやく安堵の息をつく。
『南っ! トーキョーアンヘル、現着っ!』
エルニィの通信が接続され、南は下操主席の両兵へと言葉を投げる。
「……ギリギリで命を拾ったわね、お互いに……」
「そもそも人機を夜なべで造るのが間違っとるんだ。今度からはこういうのナシで頼むぜ」
「……けれどまぁ、あんたとなら、別に一緒に死んだって惜しくは……」
「ん? 何だ? もごもごしやがって気色悪ぃ……」
「……別に! たまにゃあんたと人機に乗るのも悪くないってだけよ」
わざと語気を上げると、両兵は耳を塞いでいた。
「うっせ……ったく。オレの知ってる黄坂南で安心するぜ、その図太いの」
「女子に図太いとか言わない! ……ったく、あんたもあんたよ。この土壇場でも変わんないのは相変わらずね」
『南さん? 《ナナツーマジロ》を回収しますね。これで……』
赤緒の声が繋がり、南は暮れかけた夕日を眺める。
今ばかりは、少し目に染みて南は《ナナツーマジロ》のキャノピーを上げていた。
「……ええ。これでミッションは完了。お疲れ様、みんな」
「とは言え、だ。こっからが大変だぜ、お前ら。何せ……戦いはまだ終わらねぇんだからな」
両兵の言う通り。
夕闇の向こうに広がる開戦の予感は、これから先の茫漠とした不安も浮かべさせる。
「……けれど、いいじゃない。だって私たちは、トーキョーアンヘルなんだからね」
それが唯一の信ずる縁だ。
潮風に髪をなびかせて、南は朱色に輝く水面を眺めて呟く。
「ま、どっちにしたって……私はいいと思うわ。これを、間違っているなんて、思うわけないでしょ」
繋いだ絆を疑うことなどあるものか。
白波が砕け、船体は日本の領海へと入っていく。
甲板に出ていた水瀬と柿沼へと、南は向き直って告げていた。
「――ようこそ、お二方。日本、トーキョーアンヘルへと」