JINKI 240 相応しい場所で

「――それにしたところで、人機一機の開発費用ってのは馬鹿になんないわよねぇ……。いくら自衛隊の戦力増強って言う建前があるって言ったって、国が傾くわよ」
 予算書へと目を通した南へと、エルニィは言いやる。
「まぁ、その辺はうまいこと誤魔化せるからいいじゃん。ボクらはこっからどうするかってのを、考えていかなくっちゃいけないんだし。はい、人機関連の今期の予算書を書いておいたから」
「……すまないわね、エルニィ」
 応じて彼女の手から予算書を受け取るなり、南は目を見開いていた。
「……んん? ちょっと、この“嗜好品代金”ってのは何よ」
「読んで字のごとくだけれど?」
「……これじゃ、さすがに通らないってば。それ以外にも……“通信費”は仕方ないとして、あんた、これ! 南米から取り寄せているあんたのPCの代金とか! 一緒こたになってるじゃないの」
「南は細かいなぁ。どうせ、向こうのお偉方なんてほとんど見ないんだからいいでしょー。《ビッグナナツー》の改修作業だって大変だったんだし」
 それを持ち出されると南も何とも言えなくなってしまうのだが、しかしあまりにも不明瞭な出費が多い。
「……“交友費”って書いてあるけれど、これは何?」
「あー、それ? ルイとかボクとかを学校に通すために使った……まぁ、なんて言うの? 袖の下って言うのかな」
「……あんたねぇ。どこからお叱りが来てもしょうがないわよ、これ……。とは言え、チェックするのは南米のお歴々だし……分かんないかもしれないけれど」
「他にもこれね」
 エルニィが算出したのは毎月かかる光熱費や、歩間次郎の餌代、それに彼女らのプライベート費用であった。
「……ねぇ、エルニィ。これで国家クラスの予算を通そうとしているんだけれど、あんた、理解してる……?」
「してるってば。けれど、別で合算するとなると大変なんだから。南も考えてみた? 何の変哲もない、東京の神社に日本の防衛の矢面になる人機が何機も格納されていて、そこでは日夜メンテナンスが行われているんだよ? 変っちゃ変じゃん」
「……まぁ、そうよねぇ……。とは言え、よ! 表向きの予算書がこれじゃ……さすがに通るものも通らなくなるってば!」
 日本政府にも口利きをしなければいけない手前、雑費を通すとなると何かと不都合もある。
 その上で、相手を納得させなければいけないのだから、自分の職務も楽ではない。
「えー……けれどこんだけかかってるのは事実だし……。逆に考えてみなよ、南。一応、ボクらは操主なんだよ? 操主の健康状態だとか、精神面でのメンテナンスをきっちりしようと思うと、どうしたって公私混同になっちゃうんだから。元々の生粋の軍人が一人でも居るんならともかく、一応、名目上は民間人! 南は一応、元ベネズエラ政府の軍部所属って言うお題目があるし、それはシールやツッキーもそう。ルエパアンヘル所属って言えばね。けれど、ボクはこっちに来ているってのは外交上、あんまりよろしくないんだよねぇ。本国で兵器造ってろってのが本音だろうし」
「……あんたはまだしも、まぁ、そうよね。ルイも……ここに来て枷になるかぁ……軍部に一時的とは言え所属していたって言う経歴は、さすがに真っ白にはならないわよねぇ……」
 一時的とは言え、ベネズエラ政府に近い軍部への所属歴は、真っ当な軍人とは言えないものの、民間人を騙るのにはあまりにも重い。
「その上、メルJなんて、世界を騒がせる大悪党って言うのが、ほとんどの国の諜報機関における基礎情報なんだから。どれだけ今は心を入れ替えてますって言ったって、名前を出せばとんでもないよ」
 メルJの経歴に関しては無数の黒塗りと、そして履歴の洗い出しが行われており、現状は以前、本人から持ち出されていたモデル事務所所属タレントということになっている。
「……けれどただのモデルが人機操主をできるわけがないし……誤魔化しも利かないわよ……。思えば、私たちの経歴って流出すると結構まずいのよね。私は元軍部の所属だし、あんたは南米で人機開発の第一人者……。そんでもってルイは軍の経歴を持つ操主で、メルJなんて犯罪者……。あー、もうっ! あんたら何でこんな厄介な経歴持ってるのよ!」
「知んないよ。こうなっちゃったものはしょーがないじゃんか。それに、逆にまずいのは赤緒たちのほうでしょ。ただの民間人を《モリビト2号》に乗せているわけだし。適性があるって言ったって、日本のロストライフ現象の最前線に立たせるのには、書類が邪魔をするね」
 ここに来て弊害となるのが自分たちの経歴そのものだとは思いも寄らない。
 南は眉間に皺を寄せて、書類上だけでも何とかならないかと苦心していた。
「……だからこその、中学や高校の方面への送金か。ルイの経歴を勘ぐられないように、中学生ってことにして、で……あんたやメルJは? どうすんのよ」
「ボクは……そうだなぁ。家事手伝い? でいいけれど。メルJはまずいよねぇ。だって世界的に知れ渡った悪党だし……」
 書類が通らない限りは予算も降りない。
 今までなぁなぁで過ごして来たものが、一気に皺寄せが来た形だ。
「……困るのよ、来期の予算申請のためにも、ここで問題があるんじゃ……」
「だから、こっちは無害ですよって言うために、雑費があるんじゃん」
「……あんたらが無害だって言うある種の証明ね。まぁ、確かに、軍事費だけを書いておくよりかは少しは牽制や言い訳にもなるか。……って思ったけれど、さすがにこの額は何? あんたたち、こんなに使ってないでしょ?」
 目を凝らせば、その額面は通常の女子中学生や女子高生が過ごすものに比べて桁が一つ二つ多い。
 疑いの目線を向けると、エルニィは心外だなぁ、と応じる。
「女子は何かと要りようじゃんか」
「……まぁ、それは認めるけれど、使途不明の金額がこれじゃ、どこかでストップがかかるわよ……。相手も馬鹿じゃないんだからね」
「ボクは新型機の開発や、シミュレーターの開発費があるし。その純正パーツとかを輸入してればこれくらいにはなるよ」
「……まぁ、あんたのは飲み込むとして、じゃあルイとメルJのは? これ……どうすんのよ。“女子として最低限度の出費”っていうざっくりした区分けだけれど……」
「そりゃあ、南。女子としての最低限度の出費じゃんか」
「……繰り返さないでよ、余計にワケ分かんなくなるでしょうに。じゃあ何? これはつまり……あんたやルイや、メルJが、無害ですよって示すためのものなのよね?」
「だからそう言ってるでしょ。ま、こうしてちゃんとした書面で示さないと分かんない無害さってのはちょうど困るんだけれど」
 南は何度か読み返していたが、その中に隠れていた項目を発見する。
「……柊神社への家賃とかも入ってるのね……。これ、通ると思ってる?」
「通らないと、ボクや南は無断で居候ってことになっちゃうけれど?」
 あっちを立てればこっちが立たずというわけだ。
 南は深呼吸して事の次第を飲み込もうとすると、不意打ち気味にエルニィから書面を差し出されていた。
「あとはこれね。京都に造るって言っていたアンヘルの支部と、それに伴う予算の開示。三宮だっけ? あの子のことも書いてあるけれど……こっちのほうが通るかなぁ」
 そこに記されていたのはアンヘル京都支部の開発指示書と、そしてテスト操主である三宮金枝の経歴書であった。
「……京都の難関校をトップの成績で卒業とか書いてあるけれど……」
「三宮の経歴分かんないから、お上受けのいい履歴にしておいたんだけれど、まずかった?」
「……まぁ、確かにどこの馬の骨って言う感じのあの子を通すのには、これくらいのハッタリが効いていたほうがいいけれど……さすがに盛り過ぎじゃない? あの年で京都大学に飛び級で在籍とか……」
「えー、何で? ボクがそうじゃん」
 そう返されて南は軽い眩暈を覚えていた。
「……そうだった。あんたIQ300の天才だったわね。あのね、エルニィ。普通の日本人の女子はそういうのあんまりないのよ」
「南はワガママだなぁ。あー言えばこー言うってのなのか。でも、そうでもしないと三宮を上手く通せないよ。トーキョーアンヘルの面々だって、経歴を探られれば大変なんだから」
「……待って、エルニィ。ちょっと赤緒さんたちの経歴を見せてもらえる?」
 嫌な予感がして南は既に通しておいた赤緒たちの経歴書に目を通して愕然とする。
「……赤緒さんは……記憶喪失ってのは難しいってのは分かるんだけれど、嘘八百ねぇ、この経歴……。で、さつきちゃんは……まぁ、一応川本さんの妹さんだし、ギリギリ関係者で通るか……。五郎さんの経歴書まであるの?」
 想定外の経歴書の文面に南が声を上げると、エルニィは何でもないように告げていた。
「うん? だって、何の変哲もない人がアンヘルの土地の管理者なのはまずくない?」
「いや、そりゃあそうなんだけれどさぁ……。五郎さんは……っと。へぇ、末っ子なのね。しかも五人兄弟の……。適当に考えてない?」
「ちゃんと聞いたんだってば。五郎さんの経歴を聞かせて、って、きちんと。そしたら……まぁ、そういう経歴なわけで」
「そう言えば赤緒さんの身柄を引き取った人のことも書かれているのね。柊……垢司さん、か。私、会ったことないのよね」
「ボクもないよ。でも、柊神社の一応の管理者はその人みたい。五郎さんも詳しいことは分かんないってさ」
「……私たち、よくよく考えてみればお互いの経歴に詳しくもないのよねぇ」
 バラバラの経歴を持つ人間たちが、こうして柊神社の一つ屋根の下で暮らしているのも、こうして立ち止まって見ると奇妙なものだ。
「とは言え、そのプロフィールでよくない? もう直すのも疲れちゃったし」
「……うーん、けれどねぇ、エルニィ。世の中には役所仕事って言うのがあって、これこれじゃ通りませんって言われちゃうとそこまでなのよ」
「そんなこと言ったって、本当に分かんないじゃんか。それともホントのこと書く? 南は日系だけれど国籍不明で、軍に所属していた経歴があって、本当のところは分かりませんって。それこそ通らなくない?」
 ここは少しばかり自分も身銭を切る覚悟をすべきか、と南は嘆息の後に、よし、と気合を入れていた。
「……エルニィ、やるわよ」
「……何を?」
 長髪を一つに結い、南は赤縁の眼鏡をかけていた。
「こうなったら、とことんやってやるわ! アンヘルのどこを突かれたって困らないように、あんたたちのプロフィールを徹底的にね! エルニィ、あんたは協力しなさいよ。無茶苦茶な経歴を書いたの、あんたなんだからね」
「えー……何でボクが……。別にいいじゃん、過去の経歴なんて。建設的な未来の話をしようよ」
「……気持ちはそうなんだけれど……いちいちこの書類は通りませんって突っ返されるのは私なんだから。南米の鼻持ちならない連中に借りを作るのも癪だし、ここは! 私がアンヘルの責任者として、あんたらの経歴書を纏めるわ! パソコンと書類を持ってらっしゃい! 一晩で仕上げてみせる!」

「――って言うのが事の顛末。昨日から南は寝る間も惜しんで、私たちのプロフィールを構築し直しているみたいだけれど、まぁ無理な話よね。実際、無茶苦茶なんだもん。どこをどう取り繕っても、どこかで綻びが出て来るわよ」
 ルイは涼しげな様子で茶菓子を頬張っていたが、赤緒は少しだけ責任を感じていた。
「……南さん、そこまで……」
「まぁ、私はどっちだっていいんだけれどね。軍の経歴がバレたところで、そこまでだし。普通に中学生として登録されたとしても、実際には人機操主なんだから、誰につつかれても無理のないプロフィールなんてないのよ」
 言われてみれば、自分たちの経歴は穴だらけで、南のように纏め上げる人間にしてみれば苦労の連続なのだろう。
「……けれど、南さん。そこまで私たちのことを考えてくれてるんですね……」
「半分くらいは自分の手間だろうけれど。まぁ、南らしいわ。いつだって空回りなんだから」
 ずずっ、と紅茶を啜るルイに、赤緒はよし、と意気込んで戸棚に隠しておいたとっておきの茶菓子を取り出す。
「……何をやってるのよ。赤緒みたいなのが飛び出したってろくなことにならないわよ」
「いえ、でも……! 私たちのために頑張ってらっしゃるんですから! ……力にはなりたいんです!」
「……そっ。私はどうせいつもの南だから、別に手なんて貸さないけれど、あんたはそうなのね」
 高級茶葉を抽出し、赤緒は一拍置いてから息巻く。
「……南さんの力にはなれないかもですけれど……助けにはなりたいですから……っ!」

「――えーっと、これで半分? つ、疲れたぁ……」
「まだ当初の半分くらい。徹夜してる割には進捗は全然だね」
「何よぅ、エルニィ。あんた、随分と涼しそうじゃないの」
 卓上に突っ伏していた南が唇を尖らせると、エルニィは欠伸をかみ殺す。
「だって、南が勝手に書き直すって言い出さなかったらできていたものだし。それに、いいの? 時間は有り余っているわけじゃないんでしょ?」
「うー……締め切りまでの時間は?」
「残り三十時間ほど。ねぇ、もう諦めてボクの最初のプランで出しちゃえばいいじゃんか。別にみんなの名誉を傷つけるものでもないんだし」
「……まぁ、それは確かにね。あんたなりに私たちの名誉や経歴をしっかり考えてくれた証だとは思うんだけれど……」
 それでもうず高く積み上がった書類の山はどうしようもない。
 ここは一度切り替えるべきか、と言う考えが脳裏を掠めたその時、赤緒が居間へと歩を進めていた。
「南さん? それに立花さんも。休憩、如何ですか?」
「休憩したいところだけれど……時間がなくって……」
 そこまで口にしたところで南は、鼻孔を掠める芳香に身を起こしていた。
 柔らかく芳醇な茶葉の香りにエルニィも気付いたらしい。
「あっ、それ……この間、南が英国辺りまで行って買って来た紅茶じゃん。面倒くさい抽出方法だったから、ってんで、戸棚行きになっていた……」
「思い切って、使っちゃいました。クッキーもありますよ?」
 猫のシルエットが描かれた自分専用のマグカップに注がれた紅茶を覗き込む。
 光を照り返して金色にも映るその色彩と香り高さに、思わずため息が漏れていた。
「……けれど、いいの? これ、とっておきの時に使うって言っていたお茶じゃんか」
「今がその……とっておきかなって。だって、南さん。私たちのために頑張って下さっているんですし、少しでも、って」
「……ルイが言ったのね。まったく、あの子ってば、口が軽いんだから」
「どうです? ちょっとしたお茶休憩でも」
 赤緒にそう言われてしまえば、自分も下手に強情になるものでもない。
 口に含むと、鼻筋まで抜けてくる香りは、茶葉の重さを感じさせる。
 僅かに口中に滞留してから、そして疲れ果てた脳内に染み入ってきていた。
「……けれどその……大変だとは思うんですけれど……無理は、しないでください。私、無理してる南さん……あまり見たくないので……」
 どうやら相当に今の自分は困窮しているように映っているらしい。
 南は紅茶を楽しんでから、赤緒へと口を開く。
「……私ね、こうしてみんなと対等な立ち位置じゃ、ないと思っていたのよね。だって、責任者って言っておいて、前には全然出ないし、その上、みんなにロストライフの地で戦えとか、キョムとの前線を維持しろとか、無理なことばっかり言ってるでしょ」
「そんなことないですよ! ……南さんが居たから、今まで私たち全員、無事だったんじゃないですか。それは感謝してもし切れないって言うか……」
「まぁ、けれど実際問題、こうして私にできることって言うのを突き詰めていくと、書類仕事くらいしかないし、みんなの安全をもしもの時に守れるわけでもない。……歯がゆいのよ、ちょっとだけね。だから……無理してみたく、なったのかな……」
「実際、無理してみてどうだった? 南」
 エルニィは既に答えが分かり切っているような面持ちで尋ねる。
 赤緒に視線を移すと、彼女も同じようであった。
「……そう、ね。無理を道理で突っ走っても……いいことってのはなかなかないわね。ま、それでもやらせてちょうだい。だって、私はトーキョーアンヘルの、責任者なんですもの」
「もう一つ、なんですけれど、その……」
 赤緒が差し出したのは普段使いの湯飲みだ。
 先ほどまでの優雅な紅茶休憩とはまた違う、自分の落ち着ける位置づけ――。
「……私、いつもの南さんが、好きですから」
 南は湯飲みを覗き込んで、そうねぇ、と声にする。
「時々無理しても、いつもが一番、か。おっ、茶柱」
 茶柱を発見して微笑むと、赤緒たちもそれに返していた。
「南、できることは全部手伝うよ」
「私も……っ! やれることがあったら言ってください」
 二人分の厚意を受けて、南はよぉーし、と身体を伸ばす。
「じゃあ、やりましょうかね! トーキョーアンヘルの、責任者のお仕事って奴を!」
 別段、三人になったからと言って作業量がマシになったわけでもないのだろう。
 それでも――今は肩の荷が下りたように、南は眼鏡を外してから言いやっていた。
「じゃあ覚悟しててね、エルニィ! 赤緒さん! まだまだ仕事は山ほどあるんだからね!」
 ウインク一つで憂いを打ち消す。
 それが自分には――黄坂南には相応しいのだから。

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