JINKI 247 ルイと入学式

「――さつき、今日は自称天才がクワガタを取りに行くって言っているから、それに付き合うわよ」
 唐突に自室の扉を開けられて、さつきはひゃんと素っ頓狂な声を出してしまう。
「あわわ……っ! ルイさん、ノックしてくださいよ……」
「したわよ。何なの? やましいことがあるってわけでもないでしょう?」
「……あるかもしれないじゃないですか」
「さつきの考えるやましいことなんてたかが知れてるでしょうに。……それ、何?」
「あっ、これですか? ちょっと懐かしいなぁって、片付けていたら出てきたので眺めていたんですよ」
 さつきが手に取っていたのは実家から送られてきた小学生の頃の卒業アルバムであった。
 ルイは覗き込んでから、小首を傾げる。
「さつき……全然変わってないのね。これは何?」
「か、変わってないは言わないでくださいよ……気にしてるのに。って、あれ? ルイさん、卒業アルバム。分かんないですか?」
「卒業……そもそも卒業って概念が何?」
 まさかそこからだとは想定しておらず、さつきは困惑気味に説明する。
「何って……小学校を卒業して……それで、とか」
 ルイは難しそうに腕を組んで、うーんと呻る。
「……それ、よく分かんないのよね。アンヘルに卒業って概念なかったし」
 あ、とその段になってさつきは自分が当然のように享受している側であることを悟って、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
「……す、すいません……よくも考えずに言っちゃって。えっと、南米にはなかったんですか?」
「一応、操主になるための勉強はしたけれど、卒業ってのは、皆目。そもそも、入った覚えもないのに卒業ってのも分かんないのよ」
「ええっと……じゃあ、入学式は? そういうのはさすがにあったんじゃ……?」
「入学って……さつきの学校に通っているのは転校だとか編入でしょ。入学ってのは……したことはないかもしれないわ」
 これは相当に重症だと、さつきは考えていた。
 思えばルイにはこれまでも振り回されてきており、一般的な常識が通用しない節はある。
「えっと……子供の頃とか、じゃあどうしてたんです?」
「どうもこうも。物心ついた時には、何かと人機に関わっていたような気もするわね。南も私に対してはヘブンズの一員として関わってくれていたし、何よりもカナイマじゃ自分から動かない人間は生き残れない環境だったのよ。だから、自然と役割を持っていたって言うか」
 その言葉が正しいのならば、ルイは生まれたその時から最早、カナイマアンヘルでは一戦力だったと言うのだろうか。
《ナナツーマイルド》だけに留まらず、元は《モリビト2号》の操主、そして《ナナツーウェイ》も動かしてみせるルイのことだ。
 きっと、操主としての適性が抜群に高かったに違いない。
 しかしそれは、一面では悲しいのではないかとさつきは考えていた。
 だって、入学式も卒業式も経ていないのは、あまりにも――。
「じゃあ、しちゃいましょうか。ルイさんの入学式と、卒業式」
「……何を言っているの。そういうシーズンでもないでしょ」
「いえ……ですけれど、多分、トーキョーアンヘルの皆さんならきっと、乗ってくださると思いますので」
「……さつき、何か誤解してない? 私は別に、入学式も卒業式もどうだって――」
「いいですから! 私に任せてください!」
 遮ってさつきは卒業アルバムをルイに託し、階段を降りていく。
 きっと思い出がないのは辛いはずだ。
 なら、思い出を作ればいい。
 玄関口で麦わら帽子に虫かごを提げていたエルニィがこちらの様子に疑問符を浮かべる。
「あれ、さつき? 変だな、ルイにはクワガタ取りに行くから呼んでって言ったのに……」
 戸惑うエルニィの手を握り締め、さつきは言い放つ。
「立花さん! 立花さんならきっと、卒業の経験、ありますよね?」
 問いかけるとエルニィは耳まで真っ赤になって周りを見渡す。
「ななな……何言ってんのさ! ……ここ、玄関だよ? そういうのは、二人っきりの時にしてよ……ボクだって人並みの羞恥心くらいはあるんだからねっ」
 何のことなのだろう、とこちらがぼんやりしているとエルニィはごにょごにょと言い澱む。
「……そういうさつきは、その……卒業してるわけ?」
「……は、はい。小学校ですけれど」
「小学校で? ……はー、日本って意外と進んでるんだなー、ちょっと意外……。で……その、痛かったりするわけ?」
「……へっ? いえ、確かに泣く子も居ましたけれど、私はちょっと感慨深かったって言うか……」
「へぇー……ふぅーん……。さつきは意外とそういうところ、しっかりしてるんだ。……ここだけの話、さ。さつきは両兵がいいんだと思ってたよ」
「ふぇっ……? 何でお兄ちゃんなんです? だって、その頃は会ってもいなかったですし」
「いやいや、分かりやすいってば。さつきは両兵にぞっこんでしょ? だって言うのに……卒業だとか言い出すんだもんなぁ、もう」
 頬を掻くエルニィに、さつきは疑問を挟みつつも言葉を促す。
「その、ルイさん、卒業も入学もまだだって言うんで……どうしても経験させてあげたいんです」
 その段になってエルニィは何か勘違いをしていることに気付いたのか、ん? と首をひねっていた。
「ちょっと待って……さつきの言う卒業って……えっと、学業のほう?」
「他に何があるんですか?」
 エルニィは周囲の眼を気にしつつ、こちらへと耳打ちする。
 その内容に赤面するのはこちらの番だった。
「ななな……何言ってるんですか! 立花さんのえっち! そういうのは……大人に成ってからで……!」
「いや、だってそういう文脈として捉えちゃうじゃんか……。で、何? ボクはこれからクワガタ取りに忙しいんだけれど、そんなこと?」
「そ、そんなことって言い方ないじゃないですか。ルイさん、そういうのとは縁遠かったみたいで」
「そりゃー、ルイはそうでしょ。カナイマアンヘルで南と一緒に回収部隊ヘブンズだっけ? ずーっとそれで第一線でやって来たからこその操主としての技量なんだろうし。それに、学業に関してで言えば、一時期軍にも入っていた経歴もあるんだから。卒業だとか入学って概念がそもそも抜け落ちているかもね」
「……けれど、立花さん。飛び級で大学の首席だったんでしょう? だったら、卒業も入学も経験しているはずだって、その……思ったんですけれど」
「うーん、確かに卒業も入学も分かってるっちゃ分かっているけれど……って、何。まさかルイに入学式だとか卒業式だとかしてあげたいと思ってるの? さつきは」
 問い質す論調に僅かに後ずさる。
「い、いけませんかね……?」
「そうじゃなくっても余計なお世話だとは思うけれどねー。ルイってほら、そういうところクールじゃんか。自分の経歴だとか、そういうのはどうでもいいって思っていそうだし。それに今、さつきの中学に編入させたのだって、言っちゃえば学校内でのキョムの侵攻や揉め事の解消の面が強いから。学校をきっちり卒業させるって意味はあんまりないんじゃないかな?」
「い、意味ないって……そんなのあんまりですよ。私は……日本人だから当たり前に義務教育受けていますけれど、ルイさんはそうじゃないって言うんでしたら……」
「言うけれどねー……ルイは気にしてないと思うよ? ルイの学力、知ってるでしょ? 英語は完璧だし、体育もピカイチ。だけれど、国語や数学は致命的なレベルで駄目。歴史とかもそうかな。ルイってば偏りのあるタイプの人間だからさぁ、そういう画一的なものを求めるのがそもそも違うような気もするんだよねぇ。日本の教育を批判するわけじゃないけれどさ。誰でも等しく、って言う感じ、ボクはあんまり好きじゃないかもなぁ」
「そ、それは確かにいい面も悪い面もあるでしょうけれど……私たちだけでも入学式をやってあげること、できないでしょうか?」
「ルイに入学式、ねぇ……、本人が望んでいるかどうかもあるし……。それに、何なら保護者である南がそういうのをちゃんと意味があると思っているかどうかもあるから」
 確かに自分の気持ちだけで推し進めてもいいように転がるとも思えない。
 ここはよしておくべきか、と浮かべかけた諦観に後ろから声がかかる。
「ねぇ、さつき。この入学式とか言うの、面白そうね。ちょっと私も受けたくなってきたわ」
 階段を降りてきたルイが写真を指差す。
 エルニィは意想外のものを見る目を向けていた。
「本気で言ってる? ルイってこういうのどうでもいいって言うタイプじゃんか」
「それは心外ね。私にだって興味の対象くらいはあるのよ。ねぇ、さつき。じゃあとりあえず日本流の入学式、教えてもらえるかしら?」
 思わぬ提言にさつきは戸惑いながらも応じていた。
「は……はいっ! でも、どうしましょう。入学式ってたくさんの大人の人が参列するもののはずなんですが……」
「大人なら居るじゃん。南とか、五郎さんとか」
「南さん……は、ルイさんの保護者ですし、できれば保護者席に居てもらいたいって言うか……」
 困り果てていると、洗濯物を取り込んでいる赤緒が視界に入る。
 こういう時に、頼るのも一つの手だ、とさつきは駆け寄って呼びかけていた。
「赤緒さんっ!」
「うん? どうしたの? さつきちゃん。何かあった?」
「そ、その……入学式、してもらえませんか?」
 へっ、と呆気に取られた赤緒にさつきは必死に呼びかける。
「ルイさんと一緒に……入学式、したいんです!」

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