JINKI 247 ルイと入学式

「――って言う具合だとはまさか思わなかったですね」
 赤緒はまさか自分が生徒側ではなく、教師側として呼ばれるとは思わなかった。
「……私も心外だったのだがな。東洋のこういった催しには疎いと言うのに」
「ですが、お二人ともよくお似合いですよ」
 同じように並んで座っている五郎が自分とメルJの纏っているスーツを褒め称える。
 赤緒は少しだけ照れて応じていた。
「何だか変な感じですね……スーツなんて普段着ないですから」
「かと言って学生服だと感じが出ないと言うのがさつきの言い分なのだろう? ……それに立花も」
 エルニィはと言うと、制服の上に白衣をつっかけたスタイルだったが、それなりに様になっているのは教師として潜入しているからなのもあるのだろうか。
「えーっと、じゃあ祝辞……は言い終わっちゃったし、もう閉会にしよっか」
「自称天才、さっき始まったばっかりじゃないの」
「だってぇー……校長役って思ったよりも退屈なんだもん」
 簡素なパイプ椅子に並んで座ったさつきとルイは、本当にこれから中学生活を送るクラスメイトのようで、赤緒には何となく微笑ましい。
「……さつきちゃんの提案だって言うのが、ちょっと驚きだったんですけれどね」
「さつきも思うところがあるのだろうな。確かに、黄坂ルイは操主としての能力は一級品だが、人間としてはまだまだなところもある。それを補うのも、ツーマンセルを組んでいる自分の責任なのだと」
「……ヴァネットさんも、そう考えているってことなんですかね?」
「一般的な見方だ。もちろん、さつきにしか分からないところもあるだろう。それと同時に黄坂ルイと黄坂南にしか分からない領域もな」
「あの二人だけの領域……」
 赤緒は保護者席でずっとニコニコしている南を視野に入れていた。
「南さん、本当に嬉しいんでしょうね」
 出し抜けに五郎の放った言葉に赤緒は首を傾げる。
「……本当に嬉しいって……何でなんでしょう?」
「何でって赤緒さん、それは多分、自分の娘のハレの場でしょうから。親なら嬉しいに決まっています」
「親なら……か」
 赤緒は時折、自分の記憶を掠める二人の子供のことを思い返していた。
 少女と少年、そして誰なのか分からない、それを眺める視野。
 何度も問い返した。
 何度も反証してもなお、色濃い靄のように掴もうとしては消えていく感覚。
 自分が誰かの人の親であるはずがない、と五郎はよく言って聞かせてくれていたが、記憶がないからその確証もないのだ。
「……何か思うところでもあるのか?」
 メルJの問いかけに赤緒は手を開いたり閉じたりして、頭を振っていた。
「いえ、別に……。ただ、親なら分かるものって言うの……いいなぁ、って。ちょっと思ったんです。私、今は居ないですけれど、この神社でお世話になっていた……柊垢司さんって人のこと、ちょっと思い出して」
「記録の上だけでは聞いたことはある。お前の身元引受人だったか」
「ええ、だから柊の苗字をもらって、柊赤緒、って……。でも、もしかしたらですけれど、垢司さんも、嬉しかったんですかね? 私が中学校に編入して、高校生になれて……。親代わりじゃないですけれど、そういうのあったのかなって、ちょうど今、思っちゃっていて……」
「確実なことは言えんが、お前だって誰かに祝福されているのは間違いではないだろう。親ならば当然とも、偉そうなことは何一つ言うまい。しかし、柊垢司と言う人間が見れば、今のお前は立派だろうさ」
「立派、ですかね……? 人機に乗って、こうして仲間の入学式に立ち会えて……」
「えーっと、じゃあ新入生代表、黄坂ルイ。代表で一言っ!」
「何それ。本当、いい加減よね、自称天才は」
「う、うるさいやい! いいから、いい感じのこと、言いなよ」
 ルイはエルニィと入れ替わりに壇上に立ち、紙に書かれた言葉を読み上げていた。
「“……こんなことを仕出かすお節介な相棒さんと、それと多分、今もニヤニヤしてる南へ。私はあんたたちが思っているよりも、上手くやります。だから、心配はしないで”以上。新入生代表、黄坂ルイ」
「えぇーっ……短いなぁ」
「こんなもんよ」
 エルニィのブーイングを他所にルイは涼しげな様子でさつきの隣へと座る。
 不貞腐れたエルニィは壇上に登った時、赤緒は南が静かに涙ぐんでいるのを目にしていた。
「……南さん? あれ、泣いて……」
「うん? どうした、赤緒」
「あっ、いや……何でも……」
 誰かに言うのは憚られて、赤緒は言葉を仕舞う。
 確かに、真似事に等しい入学式なのかもしれない。
 それでも、何か意味があったのだと、感じ取るのは当人たちだけの価値なのだろう。
 澄ました様子のルイがさつきの隣でエルニィの進行をじっと見据える。
「じゃあ、一応略式だけれど、入学式は終わり、っと。閉会っ!」

「――南さん、泣いていましたよね?」
 軒先で涼んでいる南へと、赤緒は夕食後に問いかけていた。
 一応、全員の眼がないことを確認しての問いかけに、南は微笑む。
「やだ、見られちゃってた?」
「あっ、気付いたのは多分私だけなので……。やっぱり……嬉しかったんですか?」
「うーん、嬉しかったって言うかムードって言うか……。ルイとはね、本当の親子じゃないのは、知ってるっけ?」
「……それとなく、分かってはいますけれど……。南さん、お若いですし……」
「よしてよ、赤緒さん。おべっかなんて似合わないんだから。……けれど、そうね。それでも、感極まるってのはあったのかもね。あの子がよちよち歩きの赤ん坊の頃から知ってるけれど、軍部に入った時なんかは断絶を抱えたこともあったし。案外、子供なんて育てる側が思う以上に成長しているものよ。それを感じ取れる機会ってのが、入学式だとか卒業式って言う、節目なのかもね。おっ、茶柱」
 湯飲みを覗き込んでぽつぽつと語る南に、赤緒はその隣に腰掛けて、自分の分の湯飲みに視線を落としていた。
「……私、育ててくれたって言うか、身元を引き受けてくれた人が居て……。もちろん、今も面倒を看てくれている五郎さんにも感謝してるんですけれど……。その人は、高校生になった私を見て、どう思ってくれるのかなって……ちょっと考えちゃいました」
「きっと、嬉しかったんだと思うわ。赤緒さんが立派な女性に成っているのを、その人も見たかったはずでしょうし。だから、節目節目の行事って大事なのかもしれないわね。本人たちもそうだけれど、周りを取り囲むみんなに対しての、ケジメ、みたいな。上手くは言えないけれどね」
「……私、その人の思うような人間に、成れているんでしょうか?」
「成れる成れないじゃないとも思うわ。人間、そうそう簡単に事が運ぶはずもないもの。それが血を分けた親子だろうと関係なく、ね。だけれど、赤緒さんはとっても優しいから、こうやって私なんかに言葉をかけてくれるんでしょ? きっと、それって誇らしいのよ」
「よしてくださいよ。……私、南さんの涙を見ちゃったから、何となく責任を取らなくっちゃいけないと思って……」
「それも一つの託す形なのかもね。誰かの涙を見ちゃうと、そう動かざるを得ないって言うか。でも、よかった」
「よかった……ですか?」
「うん。ルイもああやって……憎まれ口だったけれど、ああして、立派に育っていくんだなぁって思えたことがね。私、多分ニコニコしていたと思うんだけれど、それはルイが、誰かと縁を結んで、こうして成長してくれたことが心の底から、嬉しかったからなのよ、きっと。いつか……ううん、もう今なのかもしれないけれど、自分の手を離れちゃう時とかに、迷わないように。こういう時って大事なんだと思うわ」
 南は真っ直ぐな瞳で夜空を仰いでいた。
 赤緒もその視線の先を追うようにして、澄んだ夏の近づく宵闇を見上げる。
 煌めく星々を見据えていると、ふと言葉が漏れていた。
「……私、誰かとこうして、見たかったのかもしれません」
「それは、夏が近い星空を?」
「いえ、そうではなくって……。自分の近くの人たちが幸せになっていく……そういう証みたいなのを。だから、今日みたいな日は特別なんですね」
「そうよ、赤緒さん。それは赤緒さんもきっとそう。これから先、色んなことが待っていると思うわ。けれど、高校を無事に卒業して、もしかしたら大学に入って、成人式もきっちりしてから……赤緒さんも周りを取り巻く人たちもみんな、幸せにできる。そういう証みたいなのだけは、きっと間違わないはず」
 南がどのような人生を歩んできたのかは分からない。
 それはルイにしたところでそうだろう。
 しかし、これから先の彼女らの人生に寄り添うことは、どんな形になったとしてもできるはずだ。
 赤緒はそっと、湯飲みを掲げる。
「……お茶は冷めちゃいましたね」
「けれど、一緒に飲むから美味しいんでしょうね」
 互いにそっと乾杯を交わし、赤緒は濃い緑茶を喉へと流し込んでいた。

「――さつき。今日は自称天才と一緒にカブトムシを取りに行くわよ」
 ガラッと扉を開けられてさつきはひゃんと素っ頓狂な声を出してしまう。
「も、もう、ルイさん……。ノックしてくださいよ……」
「したわよ。聞こえなかったんじゃないの?」
「……そ、そうですか……?」
「それよりも、何よ、それ」
「あっ、これ……この間の入学式の写真が出来あがったって言うんで、ちょっと見ていたんですよ」
 アルバムの中に写し出されたのは、自分とルイを囲むトーキョーアンヘルの面々であった。
 両兵が居なかったのは残念だが、次の機会には呼ぶとしよう。
「……ふぅん。そういうの、どっちだっていいと思うけれどね」
「またまた。ルイさんも……嬉しかったんじゃないですか? だって、ちょっといつもより……笑っているように見えましたから」
「……それは錯覚よ」
 ぷいっと視線を逸らしたルイの頬はしかし、紅潮しているのがありありと伝わってくる。
 さつきは写真を机の隅に飾ってから、ルイへと歩み寄っていた。
「じゃあ、行きましょうか。カブトムシを取りに」
「……いつもならそんなことしている場合じゃない、って言うじゃないの」
「今日は……いいかなって。駄目ですかね?」
「……駄目じゃないけれど」
 ルイと手を繋いで、さつきは階下へと降りる。
 玄関口ではきっと、エルニィが待ちぼうけを食らっていることだろう。
 夏空の近づいた涼しい風が柊神社に吹き抜けてくる。
 その風が心地いい。
 ――何故なら、まだまだ、自分たちの青春は始まったばかりなのだから。

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